茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

教えて婆

ぼうずは今どき珍しい泥んこ小学生だった。
低学年までは病がちでよく学校を休んだが、体力がなかっただけで元々活発な性格、
10歳を超えると喘息発作も出なくなり、毎日野猿のようにあちこち駆け回っていた。

当然、勉強のことなんかなーんも考えていない。
私の実家がある街は、“大いなる田舎”と言われつつもそれなりに栄えている都会、
三人のいとこはみな中受組で、小四から進学塾に通い、自ら進んで勉強していた。
私の血も多少は引いている筈なのに何と偉い子らだろう、と正直自慢の甥姪なんだが、
子どもはそれぞれだしなあ、うちの奴だと無理矢理縛り付けて重苦を与えるようなもんで、
たぶん曲がってしまうんじゃないか、と、ぼうずの尻を叩く気持ちは起こらなかった。
とにもかくにも丈夫になってくれてめでたい、という思いの方が強かったせいもあろう。

とは言っても、全く不安を持たなかったわけではない。
学校からは夏休み以外殆ど宿題が出ず、しょうがないんで市販のプリント問題集を買い、
努力はしていた、やらせるだけという努力は。
だが、国語はともかく算数は、
「これどうするのー、わからーん」
と頻繁に呼ばれる。
親も親で、国語はともかく算数は、五、六年生にもなると解説の仕方がわからーん。
余計に混乱させてしまいかねないんで、
「悪い、あんたが学校の先生に聞いてきて、おかあさんに教えてちょうだいさあ」
などと言っている始末。

ま、学校の休み時間なんぞやっぱり遊ぶのに費やしてしまったわけだが、それでも
「あんなあ、これはこういう風に考えて、こうやんのやて」
ごくたまにはちゃんと聞いてきて説明することもあった。
そして、何度かそんなことをしているうちに、ふと気づいた。
「なるほど、ようわかったわー、また教えてなあ」
と感心するこちらの言葉に、とても嬉しそうに胸を張るのだ。

で、勉強以外のちょっとした会話においても、ときどきそうするようになった。
ぼうずが唯一好きだった日本の歴史関連の事柄など特に、わざと質問には答えず、
「どやったかなあ、おかあさん忘れてもうた、ここはひとつ、あんたが調べて教えてなあ」
と頼む。
すると、本棚から色々引っ張り出してごそごそ探し始め、
「おかあさん、桂小五郎は木戸孝允になったんやぞ」
得意気に披露する。
勿論、こんなのは教育でも何でもない、むしろ駄目親ぶりをさらしているだけなんだが、
単なる親子のふれあいとして見るなら、そう悪いことでもなかったかな、とは思う。


冬休み、何だかようわからん洋画のDVDを借り、
「うーん、これは面白いなあ」
と観ていたぼうずだが、私は眠くなるばかり、途中で寝室へ引き上げた。
翌日、世界史の分厚い資料集みたいなのを持ってきて、
「おい、せめてこことここのページだけでもええで、しっかり読んどけ。
洋画はある程度キリスト教の知識がないと楽しめん作品も多いぞ」
だと。

ここ数年は真の教えて婆になっているため、先手を打たれちまった。

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