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茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

エラソーに

自分の子育てを振り返ると、やたら大雑把に過ぎたようで冷や汗が流れる。
健康面や安全面に気を配るだけで頭が一杯、接し方についてはまことにお粗末だ。
あまりにも情けないので、何かひとつくらい意識して心がけてきたことはないのかと、
終わりかけの歯磨きチューブよろしく無理矢理絞ったら、僅かにふにゃっと出てきた。

それは、子どもに向かって“エラソーに”という言葉を吐かないこと、である。
尤も、おとんを見下すような態度を取ったり、理由なく他人を悪し様に言った際には、
似た類の言葉を叩きつけてしまったような気もするが、通常は避けていた。
なんとなれば、人を黙らせるのにこれほどあらたかな言葉はないからである。
黙ること即ち心の遮断機を下ろすこと、相手を従わせたと満足してちゃどうしようもない。
ただでさえ鈍い母親なのに、余計子どもの気持ちが測りにくくなっては困るのだ。
意思の疎通が困難な状態では何を説いても無意味、時によっては逆効果にもなろう。

と、それこそエラソーに述べたが、実のところ自分が最も言われたくない言葉だから、
ぼうずに対してもやめとこと思っていただけの極めて感情的・感覚的な話であって、
高邁な信条には程遠い。
そのあたりのことに気付いたのはごく最近である。

私は、おのれを恃む気持ちなど微塵も持てぬ、惰弱な人間だ。
大体、この『茅屋雑記帳』にしたって、
「ボンクラ主婦がボンクラな日常における雑感を綴る日記である 」
と、自らその趣旨を明らかにしているし、実際、管理人がボンクラ主婦であること以外、
何も表れていないブログとなっている。

勿論、ネット上で晒しているわけだから、純然たる日記ではない。
そこはまあ、他者との接触が全く無い場での発言には楽しみを見出しにくいというか、
気楽の範囲を超えた孤独にはなじめない身勝手な自己顕示欲のせいだろう。
ともあれ、本人としてはそのときどきに思ったことを記す幸せに浸りたいだけで、
ちっともエラソーにしているつもりなどないのだ。
もしそのようなコメントが来ても絶対に受け付けない腹でいる。

以前『ありがたいブログ』の項で触れた“お気に入りコラム”の人気ブロガーさんが、
「ブログは誰が見ているかわからないから怖い。
 
その点SNSは読み手の『顔』が見えるからよい」
と書いてらしたが、私の場合は捻くれた性格ゆえにSNSじゃ上手くいかないと思う。
たとえ親しさのなせる業であっても、読み手の“エラソーに”という顔が見えてしまうと、
以後、何を綴ることもできなくなるだろうからだ。
ボンクラを自覚している者がさらに自分をエラソーと取られなくする術は、沈黙のみ。
私にとって“エラソーに”は、ものを言うこと自体に差し止めを食うのと同じなのである。

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