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茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

『釣り』に思う

ネットの掲示板では、時折『釣り』という言葉が出てくる。
それを目にする度、嫌な気分になる。
大抵何らかの反応をみた後に使われるのだが、『釣り』と言うからには、
他者とのやりとりを意識した自己の姿勢を明らかにしているわけであり、
個人の独言として済ませるつもりではなかったことになる。

では、『釣って』何をしたいのか。
何を伝えたいのか。
要となるその目的は曖昧なことが多い、ゆえに嫌な気分になるのだ。
現実に、殆どの場合、他人を揶揄、嘲弄或いは悪罵するだけに終わる。

全てではないが、揶揄他上記の行為を目的とする面を持つ2ちゃんなら、
痰でもゲロでも大小便でもスペルマでも見苦しく撒き散らし、
自業自得でおのれもどんどん排泄物そのものへと堕してゆけばいい。

が、まともな場で他者とのやりとりを意識し意見や批判を提示する以上、
目的につながる内容を展開していく努力は必要だろう。
『釣った』相手の発言を、それがたとえ稚拙だろうがずれていようが、
バシリ叩くことのみで悦に入るなど、手段に酔った田舎芝居でしかない。
結局、そういう人は、個人の怒りや不満を吐き出すだけにとどまらず、
それを恰も正当なものであるかのように位置付けたいがため、
掲示板を利用しているのではないかとさえ思われてくる。
相撲を取らせてくれる他人の褌が必要だからわざわざ餌まで仕掛けるのだ。

この『釣り』、プラスの意図としてはHR等で学校の先生が日常的に行う。
断片的な言葉によってしか意思を表現できぬ子どもたちを誘導することで、
考えを引き出し整理させ、子どもたち主体の問題へと発展させる狙いだ。

しかし、偏頗な先達面に疳筋立ててがなろうと、誰の心にも響きはしない。
具体的な事例が欲しくて揚げ足を取らせるために他者を『釣って』おき、
揚げ足を取る態度に憤ってみせる、二重に手の込んだ揚げ足取りの虚しさ。
ガツンな快感を得たいだけなら、自己の権勢の及ぶシマでやっとくれ。
掲示板において実生活の地位や実績、経験等はあくまでも話の前提要素。
自己申告の世界で価値を有するのは、それらを振りかざす言葉でなく、
それらによって身につけた見識を示す言葉なのである。

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