茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

見守る人

「母のように大きな愛で見守る」
夢想家がよく口にする表現であり、ネット上でも結構見る。

そんな眉唾な言葉をよくも堂々と使えるものだ、と、思う、自身を振り返ればなおさら。
実際、母親くらいせせこましいものはない。
そりゃ、我が子は大事だ、可愛いに決まっている。
が、自分を主にした“好きという感情の度合いの強さ”を『大きな愛』などと神聖化するのは、
とんでもなく厚かましい。
おのれが抱く『愛』とやらをじっと見つめてみよ。
『独占欲』や『支配欲』と紙一重じゃねえか。

加えて、『見守る』という言葉を平気で使う人ほど逆に他のアラさがしも得意な気がする。
いや、黙って見守ることのできぬ人が自己陶酔のために使う言葉、と言い換えたほうが、
より妥当か。
これもまた、母親がそう。
子の欠点をあげつらっての小言も、“見守ったことの結果”として乱暴に混同させちゃう。
ただ、母親ってのは基本スカタンなので、アラさがしと同時に見逃しも多いが。
とにかく、せこい愛でも愛は愛、程度に弁えとかなきゃ赤っ恥だ。


「母のように大きな愛で見守る」
母親がどうのという話を別にしても、あまり気持ちのいい言葉ではない。
歌の世界ならともかく、好きでもない人間に、
「あなたを見守っているよ」
などと言われたって、ありがたく思うどころかケツを掻きむしりながら逃走するだろう。
じめついた監視を美しい言葉に変えて恩を着せられるのは大迷惑だ、とばかりに。

但し、私ゃ、好きな相手なら男性・女性を問わず自ら美しい誤解をしてデレデレ、な、
“手のひら返し”という大技も持っている。


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