茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

良順先生の足あと (1)

PTA役員になると、校長室にて打合わせてなシーンにも度々紛れ込む。
七年前の春の日も、小学校の校長室で補助の折畳み椅子に座っていた。

凡その話が纏り、和やかに雑談って頃にはもう気が散っている不届者、
ヘラヘラよそ見していたら、ふと古ぼけた扁額が目に留まった。
『 尋常小学 ○○校 』と記された、旧制時代の校名額である。
建替えの際に外し、移されたものだろうか。
スチール棚の上へごちゃごちゃ積まれた箱の間から姿を覗かせている。

ただ漫然と眺めていたのだが、左隅の小さな文字に気付いた途端、
テーブルを跨ぎ組体操よろしく他人を台にして飛びつきたくなった。
【 正四位勲二等 松本順 】
すっかり剥げて見辛くなっているものの、脇には落款らしき跡も二つ。

なんと、良順先生ではないか!

松本良順(明治四年以降は『順』と称す)
若い頃、小説の影響で幕末にかぶれた時期がある。
私はとりわけこの人に強く魅了されていた。

彼を取り上げた作品は存外少ないようだ。
勿論、代表的なものとして司馬遼太郎の『胡蝶の夢』があるものの、
他に詳しい作品は広瀬仁紀『適塾の維新』あたりしか浮かばない。
人名辞典でさえ要点をかいつまんだごく短い記述に終わっているのだ。
それでも、目を凝らせばその要点がもたらす重量感に圧倒される。
そのうち句読点までもがとんでもなく劇的に胸の奥まで響いてくる。

余談ながら。
司馬作品の大好きな私だが、上記の二作で言うと、後者により惹かれる。
史上・架空を問わず登場人物の誰もが活々と体温を持って描かれてい、
松本も脇でありながら強烈な印象を残す。
(
これは最近のものだが、吉村昭『暁の旅人』も心を打つ作品である)

話は戻って。
やたら身近な場所で目にしたその名、意外どころの騒ぎではない。
旧街道筋にひらけた町とはいえ、地方の特色もない一小学校と、
松本という傑物とがどうにも結びつかないのである。

「良順先生は、本当にこの地へ足を運んだんやろか」
床に就いても頭の中はでいっぱい。
は枕に詰まった蕎麦殻と同調する。
輾転反側する度しょりしょり音を立て、余計に眠れやしない。

翌日、単身校長室を訪ねた。
会議の際にはうなずき要員としてちんまり座っているだけだが、
おのれの興味のためならやたら図々しくなれる人間なんである。

「あのう、そちらに掲げてある扁額なんですが」
「扁額ヘンガクああ、これですかいな」
どうやら校長先生は今初めて気付いたような様子。
赴任して日も浅いのである、無理もないだろう。
第一、ダンボール箱の陰でひっそり埃を被っているような有様なのだ。
一定の角度からでないとその全貌を見ることすらできない。

「昨日お邪魔した際、松本良順の手によるものと見まして」
「え松本良順ですかうーん」
できればざっと由来など聞けたら、そう思ってやって来たのだが、
「いえ、関心があるので写真だけ撮らせて下さい」
すぐに話を打ち切った(しっかりカメラ持参してんのな、がはは)
なに、休み時間には周りに子どもたちが鈴生りとなる温厚な先生なのだ、
松本良順にぴんと来なくたって少しも失望の材料にはならない。

それから疑問を解くべく暇をみては市内外の図書館をはじめ市役所、
また、各地区の郷土室等を訪ね資料を探し歩いた。
が、手がかりひとつ得られない。

胸中に燻りを残しつつ松本良順は小説の中へ帰って行った。

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