演歌にはそれほど興味を覚えない。
周囲を見回しても、たとえおっさん・おばはん真っ盛りの四十代であろうが、
「演歌が好きだ!!」
と声高に叫ぶ人はそう多くないように思う。
子ども時分、TVをつければ当たり前のように演歌が流れてきたため、
耳が勝手に覚えちゃったという点は否定できないが、
演歌は既にその頃からおっさん・おばはんの好むものと認識されていた。
が、成人後、尻尾に付いた埃程度の者として演歌に関わった時期がある。
結果から先に言えば、何かずれてやしないか、と感じているうち、
衰退の一途をたどり、末節の仕事(と言えるかどうか)もなくなった。
当時…昭和も押し詰まった頃…の演歌には個々の特色がなく(殊に歌詞)、
出る新曲みな『演歌』というタイトルで済ませられるように聴こえた。
同じシチュエーションや同じご当地を何人もの歌手に使い回させたり、
感情を伝えるのに形容詞ばかりを並べてお茶を濁したり、明らかに手抜き。
一人が『酒』がらみで当てると、みな右に倣えのアルコール依存。
また、『津軽』ばかりが大流行りのいっときもあり、首を傾げたものだ。
(ただ、その中でひっそり咲いた美しい花も。
新沼謙治の『津軽恋女』は、他の作品と一線を画す【うた】だと思う)
今、演歌を耳にすると、感覚的に色物・際物のような分別をしてしまう。
大昔のヒット曲こそ心中で昭和後期年表のBGM的扱いになってはいるが、
薄く関わった時期以降の曲は殆どみな頭の横を通り過ぎ、
ぼんやり眺めた先のひとところへ吸い込まれてゆく。
『演歌の間』という札の下がったドアがばたんと閉まってそれっきり。
そう、【うた】としての情景が浮かばないままに。
だからと言って演歌を貶めるつもりなど毛頭ないのだが…。