茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

雑念

おっさんの友人に各地の古民家や庭園等を訪ね歩くのが趣味という風流な人がいる。
彼から、最近はその際宿坊で泊まったりもする、と聞き、
「いっぺん宿坊ってのを知ってみるのもええなあ」
ガラにもないことを言い出すんで、
「えーっ、あかん、私には無理無理、特に禅寺は無理っ!」
ひどく慌ててしまった。
実家は曹洞宗、嫁ぎ先の本家は臨済宗妙心寺派だってのに、でらバチ当たりな返事だ。

だが、宿坊に泊まるからには、やはり或る程度は修行ということも意識すべきじゃなかろか。
非日常の静寂や精進料理を味わい、ありがたく堪能させて頂きました、合掌、だけで済ます、
なんてわけにはいかんだろう。
『坐禅』とかしなきゃならなかったらどうすんだ。
てか、それを望む人、厭わぬ人こそが泊る場であるように思う、上記の彼のように。

で、だ。
何があかんかと言うと、私にはその『坐禅』が無理なんである。
『精神統一』とか『無の境地』って、一体どういうものなのか、想像もつかん。
そこまで高尚な話じゃなくとも、『頭の中を空っぽにする』てなことでさえわからん、いまだに。
自身に対してよく感じる、頭空っぽ、は、頭の回転の鈍さや教養の不足をさすのであって、
本当に頭が空っぽになったことなんか起きている時間にはまずない気がする。
いや、親によれば、むっつりと愛嬌のない子どもだったくせにやたら寝言が多かったそうだし、
また、現在でも
「おい、おかーさん、何うんうん言うとんねん」
と、おっさんに起こされるときがあるんで、寝ている最中だって怪しいかもしれん。

とにかく。
私の頭の中では、常に何かしらの雑念が、次から次へとわいているようなのだ。
小バエの飛び回るが如く、わんわん、と。
買い物ついでに一寸散歩という際など、ぼーっとして側溝に片足はめそうになったりするのは、
ぼーっとするほど頭の中が要らんことで一杯だから、なのである。
『坐禅』なんかしてみよ、開始三秒後に警策を受けるのは目に見えている。
そしてお坊さまは私のそばで付きっきりになってしまうであろう。
たまらん。

大体、今このときもトロトロとキーを打ちつつ、
「さっき荷物を届けてくれはったヤマトのおにいさん、えらい男前やったなあ」
ついニタニタしてしまったりする有様なのだ。
自分でもときどき情けなく…なってねえか、別に。
このブログ自体、そういう雑念のごった煮みたいなもんだしな。

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