茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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ブログ

ブログというのはもはやとうに時代遅れとなったらしい。
そういうことを言われるといつもよりまめに更新したくなる私に相応しく古い話なんだが、
一年ほど前だったろうか、Yahooニュースで、
『自分の死後、自分のブログやSNS等の日記はどうなるのか』
てな話題が取り上げられていた。

業界の人によれば、誰かが削除依頼を出さぬ限り、大抵そのまま残り続けるとのこと。
一般人にしてみりゃ複雑な気持ちになるが、人気ブログだと死後なお訪れる人が絶えず、
墓碑的な存在になっているところも多い、といった言で結ばれていたように思う(←曖昧)
過疎ブログ管理人の私ながら、それを読んだ際には一般人っぽく複雑な気持ちになった。

おっさんは、仕事じゃ毎日当たり前にPCを扱っているものの、家のノートには全く触らない。
私専用である。
彼はネットの世界に少しも興味がない上、会社以外ではメールのやりとりさえしないからだ。
ブログを開設していることは一応話してあるのだが、
「また何やらPCに向かってごそごそやっとるな」
くらいにしか思っていない様子。
伜も同じ。
ブログを始めた頃はまだ家にいたが、高校男子は母親のしていることになど関心を持たない。
そ、やはり私の日記に削除依頼を出す人間はおらず、結局、残っちまうのである。

いや、伜に言っておけば、たぶんちゃんと出してくれると思う。
が、それは即ち中身を読まれてしまうということだったりする。
となれば、立つ婆跡を濁しまくりのくっちゃくちゃ、
「うげげっ、何ちゅうあほ晒しとってんこいつ、現実の姿そのままやんか!」
ひどく呆れるだろう。
ブログは残らずとも恥を残すんで、頼む勇気はない。

要は、自らの手でブログ削除、という踏ん切りがつかぬ以上、流れに任せるしかないわけで。
例えば、もし昨日不慮の事態が発生していたならば、うんこの話を最後に更新がストップ、
自分らし過ぎるにも程がある自分らしさを表紙にしてしまう破目になる。
誰も見に来なくなるまで四十九日もかからんとは思えど、流石にきまり悪かったりするのだが、
そういうことも覚悟しておかねばならないのである。

とか何とか大袈裟に言っているけれど…
「ほんっと、しょうもねえよなあ」
苦笑いを浮かべつつ、私は愛しているのだ、自分のこのブログを。

実際がとこ、何かにつけて劣等感を覚えてしまう私である。
また、実際がとこ、人の目を気にして気に病む、といった、うじうじ気質の私でもある。
それでも、自己嫌悪に苛まれるかと言えば、実際がとこ、否である。
「あー、もう、馬鹿馬鹿、私の馬鹿っ!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ることはしょっちゅうだが、絶対におのれを見捨てられない。
従って、このブログに刻まれている25㎝のよたよたした足跡や尻餅の跡も捨てられない。

私は、たとえくだらぬ呟きであっても、時の間に間に流れ去ってしまう感情を文字にしたくて、
今現在のナマの思いを誰に遠慮することなく日記として綴っておきたくて、ブログを始めた。
「そんなことジャポニカ国語学習帳にでも書いとけ」
てな話ばかりながら、中途半端な自己顕示欲によりネットの大海原に漂い、現在に至る。
当然、隠していること、伏せていること、ぼかしていることもいっぱいあったりする。
大体、自分の本名だってよう出さんわけだし。

でも、嘘は嫌だ。
嘘をついたら日記ではなくなる。
誰に遠慮することなく自分の思いをそのまま日記に綴っておきたい、という、本来の目的、
愉しみを失う。
何より、私が書いている文なのに私がいなくなる。

人さまからどう思われてもいい、などと断言できる度胸なんて、本当はない。
良く思われたいに決まっている。
ただ、良く思われなかった場合、
「それはそれで仕方ない」
と、自身の態度に抑制を利かす程度の理性はある。
ゆえに、嘘をついたときには、ばっさりとブログをやめるつもりだ。


まあ、何をつべこべ言ったところで、今日もこうして埒もないことを綴っているわけで。
はい、死後残るも残らぬもカンケーない、ただの物好きなんですわ。

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