茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

第一歩

以前にも述べたが、何年か前までときどき某掲示板に書き込みをしていた。
けれども、次第に、ああ、私みたいな奴には不向きな場所かもしれんなあ、と思い始めた。
何しろ他人の投稿にむかついてむかついてしょうがなくなってきたのである。

ちゃんと人の文を読まんかタワケ、とか。
こんなときに面白くもねえ茶々を入れるな、とか。
何胸張って言い訳してやがんだ、とか。
やっすい思い込みで“他人を受け止められる自分”に酔うな、とか。
てめえみてーに的外れなスカ弾野郎が気配り上手な人格者面すんじゃねえよ、とか。
ぶってぶってなM趣味は自分ちの中だけで夜にこっそり愉しんでろ、とか。
よくもまあこんなピンボケな皮肉をかまして悦に入ってられるもんだ、とか。
はいはい賢婦様、本日のありがたーいお言葉ご苦労さん、とか。
とにかく頭の中には罵詈雑言が轟々と渦を巻く。

勿論、尊敬や憧憬の念を抱いたり、ひどく胸を打たれたりすることもよくあった。
自分を飾る言葉を探しがちな私にとって、自分を飾る言葉を吐かぬ人ほど眩しいものはなーい、
シクラメンのかほり、ちょっと昭和臭。
だが、そんな人々の言に上記の奴らがべたべた汚い指紋をつけようとする度、余計苛々した。


つらつら考えるに、私は、経験の豊富さや特異さをベースにものを言う人が嫌いなのだろう。
いや、決して自分語り自体を厭うわけじゃない、時には身を乗り出すようにして読んだりもする。
我慢ならんのは、他人の言にまでいちいち自分の経験の豊富さや特異さをおっ被せちゃって、
相手のことを把握しているかのような態度を取る人、だ。
「おまえの気付いていないおまえが俺には見えているんだ」
「あなたがどんな人か、私にはわかるのよ」
すっげーさっぶい先輩風をびゅうびゅう吹かせちゃいるが、結局は自分を認めさせんがため、
他人の言に依存しているだけじゃねえか、と、凍えそうなカモメ見つめ泣いていました、おっと、
また昭和臭。

掲示板で信頼できる人というのは、
『言の主意を言の中に見出してくれる人』
だと私は思う。
言外に匂わせた気持ちなるものを、拾いー集ーめて暖めー合おぉー、な人ではない。
そんな態度に出られたって私にしてみりゃ本当に何もない春だ、おいどうにかならんのか、
この再三の昭和臭。
ともかく、理解や賛否などその後に来るものだし、また、そういったコミュニケーションって、
求めて得られるものでもない。
ただ、
『言の主意を言の中に見出すこと』
が掲示板におけるコミュニケーションの第一歩であるのは確かだ。
「おまえの気付いていないおまえが俺には見えているんだ」
「あなたがどんな人か、私にはわかるのよ」
などと嘯く人々はそれをばっさりと放棄しているのである。
その、老化したことを威張っているとしか思えぬみっともなさにはついついげっぷが出る。

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