茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

無常と日常




五月、三木たかしさんが亡くなったときには、がっくりした。
阿久悠さんの訃報に涙した記憶も新しいのに、私にとっての歌謡曲の神がまた…。
そんなに急いで天に帰って行かんでもええのに、と、恨めしかった。

婚姻関係にある詞と曲を別々に取り上げても枚挙に遑がないヒット曲を生み出した両者だが、
この二人がコンビを組んだ数々の作品の中で、私の胸に最も深く沁みたのは、何故だろう、
さほどに売れた記憶もない、三善英史の『彼と…』。
初めて聴いたのは中学生になったばかりの頃だったか、まあ、年寄しか知らん曲である。

三善英史って人は、きしょいキャラを売る現在でなくとも既に当時から一寸ばかり薄気味悪く、
どちらかと言えば苦手な歌手だった。
大ヒットした『雨』みたいなわざとらしくMっぽい世界も嫌いで、
「さっさとどっかの軒下に入れ」
といらついたし。

だが、この『彼と…』は、マンドリンの音色と共にありありと情景が現れ、
「なんか…きりきりくる歌だなあ」
と、耳にする度、ひどく切なくなった。
一寸ばかり薄気味悪くたって、三善英史の歌唱力・表現力がそれだけ優れていたってことも、
紛れもない事実だったのだろう。

それはともかく。
        【 彼と暮らしてるこの部屋で いつかは泣く日が来るだろうか 】
という、サビの言葉。
…来るんだろうな、と思った。
てか、このヒロインは、それがぼんやりわかってて自問しているんだろうな、と思った。

だからこそ、迎えに出る。
坂道の辺りまでと言いつつ、時間が迫ればサンダルを鳴らし、バス停へとつい小走りになる。
ほんの少しでも早く会いたい、昨日と変わらずこの部屋へ帰って来てくれるその姿を見たい、
そんな、黄昏に溶けそうに不安げな彼女の背が浮かび、中一女子はきりきりきていたのだ。

彼女の自問は、
        【 ぽろぽろとわけもなく泣けてくる 幸せで頼りない 夜更け頃 】
この最後のフレーズで自答になる。
いつかは泣く日が来るだろうか、と自問しながらもう泣いているのだ、その幸せの頼りなさに。


で。
何年か後、古文で『徒然草』や『方丈記』に触れ、“無常観”ってものを習ったとき、
「ああ、『彼と…』、か」
この曲が聴こえてきた。
兼好にも長明にも、世が目まぐるしく変転し、人間がいとも簡単に死んでしまう時代に在った、
そんな人々の思想を読みとらねばならないのだろう。
なのに、“無常観”で真っ先に歌謡曲を想起するとは、根っからアタマのすっからかんな奴だ。

だが、今読んでも、これらは自分の日常の中で日常の底を眺められるインテリゲンチアが、
後世に残る優れた筆力で以てその嘆息を仏教的に書き表したもの、てな気がしてしまう。
古典文学になっちゃえば高尚だが、“無常”って、そこに“観”が付くかどうかに拘わらず、
また、わざわざ眉根を寄せて考えなくたって、万人に等しく課せられた定めだよなあ、と。

そして、万人に等しく、などと実に軽々しく言えてしまう自分の世間の狭さに苦笑しながら、
いじましくあさはかな安堵を覚えている、それが私の日常なのである。

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