茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

模範的回答

ぼうずが中三の冬。
推薦入試対策として一応全員に模擬面接の指導が行われた。

その際配られたらしいプリントを見、思わず“はあ?”。

『尊敬する人』の項にきったねえ字で“両親”と書き込んである。
ようもまあこんなに白々しいことをぬけぬけと…と大笑いした後、
「あんたなあ、こゆことは常識として言うもんっちゃうで」
そう釘を刺しておいた。
嘘臭さに対してではなく、みっともないという意味で出た言葉である。

TVじゃいい歳こいたタレントが普通にやってたりするものの、
くだけた場、気心が知れた者どうしの会話でもない限り、
人前で自分の親を“お父さん”、“お母さん”とは言わない。
中学生にもなりゃ電話の応対やきちんとした場においては、
謙譲を解して“父”、“母”とすべきだろう。
尊敬する人=両親という答えにも同じ恥ずかしさを感じたのだった。

ところが、
「それなあ、先生が模範例として挙げたんや。
 
“両親”または親のどっちかがええんやて」
とのこと。
本気でびっくりした。

家族関係の崩壊が社会全体の深刻な問題となっている昨今、
意図するところを考えれば確かに無難な答えではあると思う。
「尊敬する人は両親です」
の明るい一言で、たとえお約束の範囲内にしか過ぎなくとも、
まともな家庭に育っているという生温いアピールにはなるからだ。
それに、例えば歴史上の人物を挙げれば、
「どんなところが?」
と質問され、付け焼刃では緊張の余りしどろもどろてな恐れもあるが、
両親にしとけばそれ以上は突っ込まれまい。
また、
「天皇陛下です」
などと答える猛者が現れたりしたら中学校側としても慌てふためく。
(私自身は天皇皇后両陛下のたたずまいに惹かれる者だが)
ともかく、謙譲どころではない身内自慢の勧めという流れに、
却ってゆとりの無さを嗅いでしまうのは皮肉であった。

まあ、こういう母親への尊敬を誘導される身が気の毒、
そんな気持ちもあったが、上辺を繕うのも一つの勉強なんだろう。
型の無い社会なんか有り得ないし。


話は面接から離れるが。
謙譲は卑下と大きく異なる。
上下関係を背にしたへりくだり以前に、まずは他者の話を聞く、
今の世の中においてはそんな姿勢を表すように思われるのだ。
上からものを言うのは簡単である。
他の弱点を見つけて叩くという風潮が物語っているではないか。

しかし、他者を高めるという意識は同時に自分をも高めるもの、

謙譲の基本はそこにあると考えるのだよ、ダラ婆なんだけどね

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