茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

勝手に語る歌謡曲 1

クラシック、ジャズ、ロックに明るい人って、それぞれ、なんか、かっこいい。
また、ジャンルを問わず洋楽に明るい人ってのも、いちいち、なんか、かっこいい。
好きな楽曲・アーティストについて思わず熱く蘊蓄を傾けてしまい、はたと気付いて、
「あ、ごめん」
などと顔を赤らめたりするさまもひどく眩しく見える。

何しろ私が思わず熱く蘊蓄を傾けたくなる曲と言えば、『金太の大冒険』に始まり、
『うぐいすだにミュージックホール』、『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』etc.…とまあ、
ちょっと挙げただけでもかなりまずい方面に偏っているのである。
自分の顔が赤らむより先に聞く人の顔が青ざめそうだ。
長の年月口重な主婦で通っているが、必然的にそうならざるを得まい。


だが、私の心にべったり染みついているのは、やはり歌謡曲である。
但し、もはや“今は亡き”と付けねばならんだろう。
阿久悠の死去と共に、小さな点になっていた歌謡曲の背中もとうとう見えなくなった。
巷じゃ歌謡曲をJ-POPと呼ぶようになった、てな観方もあるが、私は別物だと思う。
歌謡曲はJ-POPほど小洒落ていなかったし、かと言って演歌ほど陳套でもなかった。
勿論、やめでぐれー、と身悶えさせられるくっさい曲も多く、また、アイドル物などには、
おいアタマ大丈夫か、と心配になるくらいすっからかんに晴れ渡った曲も見られたが、
反面、一度聴いただけで全身に鳥肌が立ってしまうような感動をもたらす曲もあり、
兎に角それらを全てひっくるめたごった煮的な歌謡曲の世界が私は好きだったのだ。


ピンキーとキラーズの『恋の季節』が流行ったのは小学一年生の頃だったか。
黒い山高帽を被り四人のおっさん(実際は青年だったが)を従えたでっかい姉さんは、
いかにも颯爽と目に映った。

そして何よりこのフレーズ。
        【  夜明けのコーヒー 二人で飲もうと
            あの人が言った 恋の季節よ      】
鼻垂れガキのこと、当然慇懃を通じる男女の仲についてなどわかるはずもない。
なのに、やたら強く耳に残った。

恋の季節というのはどうやらえらく特殊な気持ちになる季節を言うらしい。
そしてこのフレーズは何だかその特殊さを端的に言い表しているような気がする…と、
当時受けた感を現在のばばあ心でばばあ語に訳し説明すればこうなるわけだが、
何にせよ、一つのフレーズにはっとさせられたのはこの曲が初めてだった。


また、同じ頃流行ったいしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』にある、
        【  足音だけがついてくるのよ ヨコハマ 
            ブルーライト・ヨコハマ           】
というフレーズも印象的だ。

いしだあゆみと、何故だか知らんが西郷輝彦が、仄青い街灯りの下を歩いている。
かすかに潮のかおりなんかもして、どこまでも二人きり。
『足音だけがついてくるのよ』という何気ない一言で美しい情景が浮かび上がり、
子どもながら浪漫チックな気分を齧ることができた。
後年、西郷が『どてらい奴』の猛やんになってしまったときは心底がっかりした。


小学四年生のときに流行った五木ひろしの『よこはま・たそがれ』は、演歌ではなく、
歌謡曲の中に入れたい。
何故なら子ども心に物凄く斬新な感じを受けたからだ。

この曲は、よこはま・たそがれ・ホテルの小部屋・口づけ・残り香・煙草のけむり…と、
延々名詞ばかりを並べ、歌われていくのだが、最後になってそれらが突然、
        【  あのひとは 行って行ってしまった        
            あのひとは 行って行ってしまった
            もう帰らない                 】
という嘆きに集約され、感情が堰を切ったように放たれる。

むろん名詞云々なんてのは後から気付いたことだが、不思議に感情過多に陥らず、
どこか乾いたあきらめを感じさせたのも、その辺りに依るところが大きいのだろう。
だからこそ演歌に興味を持てない子どもの耳にさえ垢抜けて聞こえたのだ。
『泣かないで』(舘ひろし)の作詞者ももしかしたらこの手法を取り入れたんじゃないか、
個人的にはそう睨んでいる。


さて、思春期前の話だけでもどんどん冗長に流れているが、幼心に最も響いた曲は、
何と言っても小学五年生の師走にレコード大賞を受賞した『喝采』である。
当時、この曲はちあきなおみの実体験に基づいたものという作り話が囁かれ、実際、
彼女はさもあらんと思わせるほど繊細に神経を巡らせ、いとおしむように歌っていた。

音楽にしろ、ドラマ・映画にしろ、私は愛する人の死を扱った作品が苦手である。
実話ならまだしも、フィクションで感傷にまみれさす事柄ではないと考えるからだが、
『喝采』のような作品を知る以上、ムードのみで片付ける駄作など受け容れ難い、
そんな思いも多少は絡んでいるようだ。
この曲に関しては、極限まで贅肉を落とした掌編小説である、としか述べようがない。

しかし。
愛する夫の死を境に表舞台からふっつり姿を消してしまったちあきなおみ。
彼女はこの不朽の名曲『喝采』でさえ、もう二度といとおしめないのかもしれない。

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

あの頃みんな若かった

『喝采』、流行りましたね!幕が上がる手真似付きで家でも学校でもよく歌ったものです。私は6年生でした。ちあきなおみのキャラクターでしょうか、熱唱してもからりとしてベタつかないところにかえって一層の情感がありました。次のヒット曲の『夜間飛行』・・・「全員集合!」で下手から上手へでっかいヤカンが飛ぶ場面があり忘れられません(笑)。『喝采』はカラオケに必ずありますが、同じ年に流行った平浩二の『バスストップ』はなかなかなくて寂しいです。

弓 | URL | 2008-11-03(Mon)11:48 [編集]


弓さま

『バス・ストップ』とはまた渋い名曲を。
別に子どもの頃から渋好みだったわけじゃなく、子どもが聴いても目の前にありありと情景が浮かぶ、ってな曲でしたよね、平浩二、美声だったし。
いや、『バス・ストップ』、やっぱり今でもすらすら歌えちゃったりしますわー、ちゃんとカラオケに入れといてくれよし(笑)。

でっかいヤカンのシーン、何となく観たような気もするんですがはっきり憶えておらず、想像してげらげら笑ってしまいました。
ドリフの笑いって他愛ないんだけど後を引くというか、私が忘れられないのは、大工さんに扮した志村が昼の休憩時に弁当箱のフタを開けた途端『東村山音頭』のオルゴールメロディーが鳴りだし、慌てて閉めたら止まったんでほっとして再び開けたらまた鳴りだし…という繰り返しでとうとう昼食を取り損ねた、ってやつなんですが、それを、このトシになっても突然思い出すことがあるもんだから、道を歩いている時なんかだと笑いを堪えようとするあまり挙動不審になってものすごく困ります。

あっ、つい長々と熱く語ってしまい、すみません(笑)。

きすけ | URL | 2008-11-03(Mon)22:21 [編集]


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。