茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

愛おしい風景

友人からメールが来た。
  「おーい、生きとる?
   すっきりカタがついたら飲んで騒ぐでー、よろしく!」
中三女子のおかん、色々落ち着かぬことだろう。
 
  「お、わかった。
   母娘とも身体に気ぃつけてな」
と返信。

家は近所も近所、徒歩五分くらい。
が、この前顔見たのいつだっけ、な状態だし、たまの連絡も上記の如く簡潔である。
数少ない友人は皆同じ、お互い用がなきゃ放置もいいとこ。
若い頃は干渉を干渉と意識する暇さえないほどにじゃれ合い自体が楽しかったが、
今はこういうあっさりしたつながりも歴とした友情の形だと思う。
ひとたび用ができりゃすっ飛んで行くしな、それがどんなにアホらしい用でも。


トシをとるに従い、人付き合いがどんどん減ってきた。
親密であることを確認・維持し合うだけの関係に必要を感じなくなったからだ。
まあ、手短に言っちゃうと、四十面下げていちいち
「私たち、仲良しだもんね」
なんてやってられっかよ、ということなんだろう。

友情とはおのれの内に湧いた
「あんたって、なーんか、ええなあ」
という気持ちそのものをさす。
ゆえに、あるのが当然の異論や見解の相違に対しても寛容、てか、いいかげんで、
言いたいことを言い合いつつ話を織り上げてゆける相手が友人なんだと思う。
また、言いたいことを言える=言いたくないことは言わなくていい、てな緩さで、
理解への執心をきちきちと持たずに向き合える相手が友人なんだと思う。

だが、女性というのは何故か友情の『証』ばかりを大事にしたがる傾向が強い。
自分がどんなにアナタ思いの人間であるかわかってもらおうと躍起になる。
その類の熱心さは同じような思いを示す反応によってしか報われない。
次第に『証』を見せ合うことこそが友情という、方便に傾いたルールが出来上がり、
それに沿ってあれこれ腹を探ったり、お節介を焼いたりと、面倒な事態も起きてくる。

誰が悪いわけでもない、誰もが善人なのだ。
善人だからクソ真面目にルールを作り、指定席を設け、快適な環境づくりに励むのだ。
「私たち、仲良しだもんね」
と言い合える平和をいつまでも保つべく。

ただ、私の場合は、それと引き換えに失ってゆくものが、
「あんたって、なーんか、ええなあ」
というおのれの気持ちなのである、皮肉にも。
で、んじゃ、指定席なんか要らんわ、となる。
入念に顔色を読まねばならぬほど他人は愛おしくない、私は私が一番愛おしい。


友情絡みの話になるといつも凄まじく青臭い言葉を吐いてしまう自分に笑えるが、
結局それは友人への感謝に他ならない。
市内での転居は経たものの、当地の人間となってそろそろ二十年。
何の変哲もない山、川、町並みが愛おしく目に映るのは、彼女らのおかげである。

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