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茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

あたりまえのこと

七月、悪性腫瘍の診断結果をおっさんに話したとき、彼は、
「昔は告知自体が大ごとやったのに、今は当の本人から聞かされるんやな」
ぽつり言い、黙り込んだ。
「そんだけ医学が進歩したんじゃね? フツーの病気なんやわ」
と、答えつつ、言われてみればそうだなあと思った。
古いドラマを思い返すと、本人にどう伝えるかみたいな周囲の懊悩シーンがよくあった。
それがテーマになっていたのさえあったような。

入院して、手術して。
そういうことには慣れてるんで、まあしゃあないわなあ、だった。
ただ、病院のベッドであれやこれや考えもした。


私は、ずっと、死ぬのが怖かった。
幼い頃母親に何度も訊いた憶えがある。
「おかあさん、人は死んだらどうなるの? どこへ行くの?」
そんな阿呆な恐怖心を五十路になるまで胸のはじっこに隠し持っていた。


だけど、たまたまひとりだった日の四人部屋の病室で先の事をぼんやりと考えたとき、
死ぬのをさほど怖いと思わなくなっている自分に気付いた。
すごく不思議だった。



死ぬのはこの世に生まれてきた全ての人にとってあたりまえのこと。
この歳になってようやくながらわかったのが、私の生においての収穫なのかもしれん。

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先生

実は、一昨日最もショックを受けたのは…。
初めから面倒をみてくれはった主治医であり執刀医でもある先生がいなくなってしまう、
そのことだった、てか、一昨日が最後の外来診察だった。
市立病院なんで、お役所っぽく見辛い掲示板にそういう文書が貼ってあっただけ。
最終日の診察を受けるまで、私は知らんかった。

一昨日も、
「きすけさん、排液を穿刺してから創の盛り上がった部分を削ってきれいにします。
少し痛いかもしれませんが、遠慮なく言って下さいね」
「はい、お願い致します」
ってな感じで、いつも通りのやりとりだった。
ただ、今後の治療についてまだ迷いがあると話したとき、すごく困った顔をされたので、
変な気はした。
「次の診察予約は部長にお願いしますね。
でも、急いで決める必要はありませんよ、御自身のお気持ちが最も大事です。
できたら私も来ます」
余計変な気がした。
なんで部長先生なんだろう?
なんで“できたら”なんだろう?

先の事を決めかねてはいるけれど、いずれにせよホルモン療法だけは受けねばならん。
診察後、その療法のための検査があって移動するとき、偶々通りすがりに掲示板を見た。
『外科の○○医師転勤、最終の外来診察は9月13日になります』
えっ、何だねそれ?
先生、聞いてないよぅー?
でも、お医者さんとしては、よくあーる話じゃーないかー (by日吉ミミ またかいw)。
転勤となっていたが、実際は退職、新天地の病院で活躍されるのだろう。


入院中毎日見てたら、甥っ子よりちょっと年嵩だったものの、雰囲気はやはり似ていた。
何より、言葉の柔らかさで安心感を得られた(甥っ子は私に似ずそういうええ男やねん)。
優しい先生でよかったな。
阿呆なんであからさまにきっついことを言われた場合、質問とか何もできへんかったやろし。



何だかんだでしょぼくれていた私に、帰宅したおっさんが言った。
「旅行しよ、一泊でも、隣町でも、旅行は旅行や。
うまいもん食って力つけて、そっからまたやってこに」

うん、行く!
もう少し待っててな、創が治ったら是非とも。

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たぶん

「今は創を治すのが大事です、ゆっくり考えましょう」
先日の診察にて、いつもの優しい口調で先生はそう仰ったが、ちらり匂わせてらした。
先に抗癌剤治療→続いてホルモン療法という方針。
「抗癌剤治療については、あなたが80歳を超えていたなら当然お勧めしません。
ですが、きすけさんはまだ56歳なので…」


似たような言葉を、ずいぶん前にも聞いた憶えがある。
脳動脈瘤の手術をしたときだ。
「あなたが77歳なら経過観察とするが、47歳からそれを続けることの負担は過大」
結果、うまくいった、だから今もこうしてちゃらちゃらブログなど書いていられる。
当時だって既にトシくったな感は覚えていたけど、やはり若かったと思う。
自分の寿命ってことに対し、どこか緩衝物があるような鈍感さで以て決断できたから。


抗癌剤か…。
外見なんかはまあいいよ、はげになろうが、眉毛・睫毛が無くなろうが。
ただ、体内の健康な細胞まで殺しちまうその副作用に苦しむ人が身近に何人もいた。
その挙句、再発しちゃったなんて場合さえ。
私の身体はそれに耐えられるのかな。
今以上ゴロゴロ寝たり起きたりな生活になった時、私の気持ちはそれに耐えられるのかな。

実際がとこ、乳癌って、ほんとうは完治するわけじゃないもん。
出来場所にもよるが、切れば終わりでなく、事後いかに転移・再発を抑えてくかっつう病。
ゆえに、その人の生におけるのちの主題ってもの自体、変わってしまう気もする。
化学療法の副作用に耐えつつ体内の癌の芽と闘い、いけるところまで長生きするか。
または化学療法に頼らず、体内の進行無視でフツーに過ごし、転移・再発を容れるか。

前者を選択し、乗り越え、元気になる人も多い反面、効かずに亡くなった知人も。
後者を選択し、フツーに長生きした人もいそうだが、その比較には意味がない。
大体、化学療法がない時代に罹患した人だと選択すらできんわ、統計も残っとらんし。
昨今になり、自然療法に委ね若くして亡くなった人々のことが世の話題にも上るので、
注目されかけてきたに過ぎない。

その人の生におけるのちの主題ってもの自体、変わってしまう気もする、などと、
ついさっきやたらエラソーなことを書いてしまった。
けれど、自分の生の全うの仕方をどう考えるか、結局はその一点に尽きるのだろう。



たぶん、ホルモン療法のみでいくと思う。
元々の持病との関係上、それだってずっと継続できるかどうかはわからないが。

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痛い

台風21号のさなか、おっさんと共に予め決まっていた退院後初回受診へ。
クルマだと10分弱の距離なんだが、家々のひしゃげて倒れた柵、ぶっ飛んでいる看板、
あちこちに横たわる大きな木の枝や雨樋などを目にしての、なかなか怖い道中だった。
院内もガラガラ・・・人がいない・・・午後とはいえ、外来のあんな光景初めて見たぜよ。
先生はとても恐縮してらしたけど、別に先生のせいっちゃうわなあ。
御自身とてそんな日の勤務だったわけだし。

んでさ。
もっと言えば、手術に臨んで思いがけずリンパ節廓清となったのも先生のせいではない。
センチネルの結果が転移なのならしゃあないこった。
天災のように大きな事柄でなく、一人の患者の身体内にしたって、予測は難しいんだろう。
よくあーる話じゃーないかー (by日吉ミミ 知っとる人いてるんかいw)。

排液がしつけーんで、まずはまたぶっとい注射で抜いて頂く(2本分あった、うげ)。
この先の治療についてもほんの少しだけ触れておられたが、今はまだ創を治すのが大事、
もうちょっと状態が落ち着いてからにしましょうね、とのこと。
実際、左上半身が痛くて痛くてかなわんし、左腕などノルマの自己リハビリでさえ泣ける。
おまけに抜いて頂いた術創の排液かて数日経ったらすぐたまって腫れてきとるやん。
これ、今度の木曜の診察まで持つんかなあ。

まあ、病理の結果、色んな問題が待っていることだけはわかった。
けれど、毎日鎮痛剤に頼りうんうん唸っている現状、先のあれこれをじっくり考えようにも、
まともな判断なんぞできん。
てか、暗い感情しかわいてこやへん。

なので、今んとこはまだチンタラチンタラ不良ばばあのまんま過ごしている。

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半分、グロい。

九月になりましたな。
病室では殆どテレビを見てなかったんで、毎朝の時計代わりみたいな『半分、青い。』も、
プチ玉手箱的にえらく話が進んどったわ。



入院中、下半身だけシャワーOKとなって以後、看護師さんに毎日繰り返し訊かれた。
「胸が見えたらいけないので上着を脱がないままでいいよう整えましょうか?」
「Aのシャワー室には鏡がありますんで、Bのほうで予約しましょうか?」
何でも胸部の変わり果てた状態に衝撃を受ける人が多く、失神したケースもあるそうな。
乳房を取った患者さんの大半は、自分のそれを見るまでに時間がかかるとのこと。

私ゃその都度、
「あ、大丈夫です」
と答えてきた。
だって、術後すぐの回診で既に見えちゃったんだもん。
上半身を起こした姿勢、大抵は顔を背けるのかな、でも、頭はまだぼーっとしてたものの、
目でははっきり捉えてもうてん、胸帯と分厚いガーゼを外したそこを…はい、馬鹿ですな。
失神はせやへんかったけど、冗談でなく『半分、グロい。』と思ったわえ(笑)。
だが、早いうちに慣れられたのは、却って良かったんじゃないか、と。



何にせよ。
自分の事なんだからさあ、ひとつずつ、ひとつずつ、自分で落とし前をつけていかんとな。

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