茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

ヒーロー セブン

/30付の記事にても述べたが、私はほぼ毎日NHKラジオ第一放送をながら聴きしており、
水曜と金曜の『午後のまりやーじゅ』など、特に楽しみにしている。

まっちゃんがパーソナリティーだった去る6/19(水)のゲストは、森次晃嗣さん。
『 ♪セブンー セブンー セブンー セブンー 』
で始まる、かのウルトラセブンのモロボシ・ダンだ。
あ、勿論このOP、すらすら歌えまっせ。
つい今し方のことでさえ三歩行けば忘れるくせに、大昔の記憶は苦も無く飛び出すわけで、
年寄ってのは全く厄介なもんですな。

とにかく。
「かっこいいなー」
子ども心にいつも一緒のアンヌ隊員を羨んだ森次さんが語る興味深いエピソードや撮影秘話、
実は今春、伜の引っ越しの手伝いで古稀となったモロボシ・ダンにしみじみ見入ったこともあり、
感慨一入だった。

というのも、伜の奴、卒業間近のどたばたした合間を縫って横浜近辺へツーリングに出かけ、
その際なんと湘南の森次さんのお店にも立ち寄り2ショット写真付き色紙を頂いていたのだ。
そりゃ小学生の頃には『ウルトラマン大百科』的な絵本をねだられて何冊か買ってやったり、
ビデオを借りたこともあったのだが、そこまで好きだったとはついぞ知らなんだ。

新しい巣にも早速飾られたその色紙(500円と言ってたかな)、“○○さんへ+サイン”だけの、
巷でよく見る大味なものでなく、なかなかの達筆で『正義、勇気、希望、夢』と添えられている。
伜曰く、
「さっぱりと有料にしてはるのが俺はむしろ気持ちいいと思ったわ。
 
気後れせずお願いできるし、めっさ丁寧に書いてくれはったし」
そして、
「ものっそ紳士的な人で、しゃきっとかっこよかったよ」
とも。
森次さんと並んで写っている伜は、でかいなりしやがってやけに無邪気な笑顔だ。

モロボシ・ダンは、今なお“ヒーロー セブン”だったのである。

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とりあえず何でも冷凍・冷蔵

今月半ばを過ぎてから、ようやく梅雨らしいお天気となってきた当地。

昨日、雨の中、注文してあった冷凍の諸食品が届いた。
各種お肉、そして銀鮭&フライ用エビ&6Lサイズのむきエビ、それぞれ山口と青森よりの荷だ。
しかしさあ、発注の際には必ず通院がない日に合わせた午前着の指定でお願いするわけで、
朝からじっと待機してんのに、ちょうどピンポンの時だけトイレに入っていて応対できなかった、
その脱力感ときたら。
わざわざ再配達して頂くのってほんと申し訳ないわ…。

ともかく。
今や楽天の派手な宣伝やポイントアップ企画、数々のレヴューにもあんまり食指が動かんし、
同内のショップにしろ、ネット通販を扱っている個人のお店にしろ、我が家に合う商品である旨、
ちゃんと納得できたいくつかのところからしか購入しなくなったため、その分、到着時には、
「来た来た♪」
まるで親しい友を迎えたような心地になる、なに、結局喰っちまう相手なんだがよ。
で、ラジオペンチ片手にダンボールを開け、急ぎ専用冷凍庫へ。
先にストックしてあった魚介類や肉類、また、自家製の肉団子・つくね・ハンバーグたちと共に、
今はカチコチ控えてござらっしゃる。

さて、上記は、専用冷凍庫の状況、冷蔵庫の冷凍室内はまた別だ。
こっちには、ミックスベジ・コーン・インゲン・枝豆等、すっかりお馴染みな市販の冷凍野菜の他、
納豆・油揚げ(薄物)、バター、出汁用の鰹粉・煮干し、スープストック、揚玉、にんにく、柚子皮、
食パン、御飯etc.…、果ては片栗粉・コーンスターチ・小麦粉・パン粉他各種粉類まで。
(
いや、小家族だと粉類ってさほど減らんし、日持ちを考え開封後は冷凍保存してきたんだが、
先日たまたま『ためしてガッテン』で常温保存の粉の中に蠢いているダニの映像を見、ゾゾゾ。
結果オーライだが正解だったようだ)

みなさん大小の密閉容器や密封袋にてぎちぎちとお住まいである。

よくよく考えてみると、常温保存している食品って、缶詰か出汁用昆布や乾燥ひじきあたりの、
カビにくい乾物くらいのもんなんだなあ。
高温多湿のこの時期、お高野や干瓢・切干大根・干椎茸でさえ一旦開けたものは密封し直し、
冷蔵室の奥に入れてあるし。

ま、いつものようにすごくどうでもいい、それこそ湿気たお話でごぜえましただ。
が、このように、とりあえず何でも冷凍・冷蔵することだけでいかにも神経遣ってます、なフリは、
一方で、保存に関し何の知恵も持たないことを物語っているようにも思う。

実際、昔の人の保存の知恵や日常的に遣っていた神経、勘は、現代の比ではなかったろう。
所謂高度経済成長期に生まれ、電気冷蔵庫のない生活を知らぬ私であってもうっすら感じた。
一粒口にした途端、その口とおいどの穴が同時に同様の形状を示しているかの如く緊張する、
皺の寄った酸っぱしょっぱい梅干し。
やたらしなびた、やはり酸っぱしょっぱい古漬け沢庵。
頬の内側の肉に突き刺さるほど固く甘辛い小魚の佃煮。
時折北の知己が送って下さる塩の吹いた荒巻鮭。
子供にとっちゃまずいとしか思われぬそれらを、祖父母も両親も何だか愛おしむように、また、
懐かしむように、味わっていた。


何にせよ。
折角食べ物を長く美味しく頂ける有難い時代に生きているのだから、せめてフルに活用したい、
ってんで、今日も二把88円の特売ニラをせっせと刻んで餃子を拵え、冷凍したのであった。


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困ったときのきすけ丼

給料日前なんかによくやるやつ。

【 材料 】 2人分
  油揚げ(厚手で大きめのもの)  2枚 
  玉葱  大サイズ1/2(小サイズなら1個)
  生姜  1かけ
  ★だし汁 150cc
     
みりん  大さじ2弱  
   酒     大さじ1
   砂糖   大さじ1
       
しょうゆ 大さじ1    
【 手順 】
 1.油揚げは熱湯の中に入れて4~5分煮立て、しっかり油抜きしてキッチンペーパーに挟み、
   水気を絞る。
 2.玉葱は縦に薄切り、生姜は皮をむいて千切りにする。
 3.★を鍋に煮立て、油揚げ・玉葱・生姜を入れて蓋をし中火で煮汁が少し残る位まで煮る。
   途中、油揚げを裏返すこと。
 4.丼にご飯を盛り、3をのせて残った煮汁をかけ、喰らう。

あとは副菜に青菜のごまあえとかき玉汁でも拵えれば栄養バランスもOK。
結構美味しいよ。

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桑名夕間暮

おっさんは、出張中。
自分一人のごはんなんか、茶漬けとかニッスイの冷凍ちゃんぽんとかテキトーなもんでいいし、
トマトをざくざく切った皿を添えれば栄養的には何とかバランスが取れる。

ってことですんげーヒマだったため、押入れの天袋を整理せんとす。
だが、“昔の色々”などと記してある箱を下ろし、開けたら、どれもこれも逐一手に取っちまい、
ぺたり座り込んで読み耽る有様。
断捨離どころの騒ぎじゃねえわ。

その中の一つ、角の擦れた雑記のノートに、四半世紀ほども前のおのれの顔がくっきりな頁が。
ものすごく恥ずかしい、恥ずかしいが、考えてみりゃババアに恥ずかしいものなどない。
ってんで、抜粋してみる。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歌謡曲ってもう終わりなんだな。
くさい演歌とポップスだけしかなくなっちゃったような気がする。
日本人特有のいいかげんで情緒豊かな世界はもう消えてゆく一方か、悲しいな。
大好きな桑名を題材に気紛れな詞など、曲は頭の中で付けたやつ。
歌謡曲と、帰って来ないだろう○さんに愛を込めて。


                     桑名夕間暮


          1. 途切れた夢路をさかのぼる 桑名の潮風は淡い
             日傘をたたんで思い出に 溶け込む夕間暮れ

             素っ気なくさよならを 言えた二人は若かった

             無器用な男だと いつも 笑ったひとよ
             しあわせに暮らしてるあなた なぜだか浮かばない



          2. 石取祭のにぎわいに 取り残されてゆくこころ
             七里の渡しに佇めば ほのめく舟あかり

             口紅を変える度 かなしみだけが濃くなった

             わがままな女だと いつか 叱ったひとよ
             面影が遠ざかる日まで ひとりでいてほしい

             わがままな女だと いつか 叱ったひとよ
             面影が遠ざかる日まで ひとりでいてほしい

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いやはやなんとも…。
ただ、桑名は、こんなたわけた詞を書きたくなるほど好きなまちだった。
名古屋っ子(当時)が愛車に乗り込み、気軽に行けた近畿方言圏のよそのまち。
暮れてゆく桑名のまちで、私は、“ひとり”ってことをほんの少しだけ知った。
“孤独”ではない、“ひとり”ってことを。
 


はい、やっぱ断捨離どころの騒ぎじゃなかったわけで。



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夏の思い出

まだ夏至の前だというのに、盛夏のような蒸し暑さ。
思わず、
『♪ 夏が来ぅ~れば思い出すぅ~』
などと口ずさんだりして、深夜だぜおい。


もうずーっと以前の記事にちらり書いたが。
kisuke234.blog102.fc2.com/blog-entry-31.html
kisuke234.blog102.fc2.com/blog-entry-32.html
伜の小学生時代、四年生からは夏休みの宿題として自由研究が課せられた。
自由研究というわりにちっとも自由ではない、毎年“郷土について”というお題付きだ。
ランドセルの底よりがさっと掴み取ったアコーディオン状の説明プリントには、
『おうちのかたとよく話し合ってとりくみましょう』
と、ある。

平たく言えば、親も手伝ってちゃんとまともなものを提出させてちょーだいね、ってことなんだが、
「めんどくせー」
心中ぼやき乍らも、私ゃ結構真面目な性格(などとぺろり言う不真面目さはほっといて下さい)
学校からの御触れゆえきっちり従わねば、と、よく話し合ってとりくんだ…つもりだ。
てか、当時もテープ起こしの内職なんかをちまちまやってるだけの使えねえ専業主婦だったし、
大体、普段の宿題で質問されても、特に算数など、こっちが教えてほしいワ、な頭の悪い母親、
夏休みくらいちったあおうちのかたらしくしなきゃ示しがつかん。

また、子ども一人にやらせたところで、図書館にて史料を丸写しするだけになるのが関の山。
端っから“親も手伝え”ってんなら、奴との日頃の会話中に散見する郷土絡みの言を掬い取り、
それを元に母子共々汗を流すのも、長期休暇を無為に過ごさぬための良策になろう。
どうせやるなら、自分たちの目で耳で声で足で調べ回ろうじゃないか、と。

小四の夏は、『ぼくの町の歴史あるお店』というテーマで、あちこち飛び込みの取材()を敢行。
今思えばひどく迷惑な母子だったにも関わらず、どなたさまも実に以て御親切、
「ボク、うちのことに興味持ってくれたんやー、おおきになあ」
「ぼうず、頑張ってこのじいやんとこを紹介したってくれやあ」
温かく励まされ、伜はどんどんやる気になっていった。
たとえ少々ぎこちなくとも、目上の方々に頭を下げてのお願いを通し、人が守るべき礼節や、
誰もが知らず人さまより受けている恩沢の大きさにも気付くことができたのではないか。
深謝合掌。

小五の夏は、古くから我が市に伝わる踊りを取り上げたんだが、ちょっと手抜きになってもた。
交通事故に遭い右足指を三本骨折していたおばはん、歩くのが困難な状況だったからである。
それでも、おっさんが休日にクルマを出してくれ、松葉杖をつきつつ保存会の方々をお訪ねし、
大変に貴重なお話を伺うことができた。
勿論、あくまでも私は付き添いであり、伜主体で進めたんだが、
「こんな田舎の変な盆踊りみたいなのんが、遡れば戦国武将にまでつながっとんのか…」
由来を語って下さるおじいさん・おばあさんのお言葉に感銘を受けた模様。

さて。
前年の研究が些か消化不良気味となってしまった分、小六の夏は、まじになった。
かねてから、
「○○屋(近所の駄菓子屋さん)のばあやんが、
 
『ここの辻は、昔、交通の要所やってんで。
 
ほれ、そこに石があるやろ』
 
て言わはるよって見てみたら、店の前にほんまになんか書いたる石があったわ」
とか、
「ガッコのそばに斜めに埋まっとる道しるべがあんねん」
とか、何となく興味を示す言を発していたため、よし、今年は近辺に残る道標を探し回ったろ、
ってことで、伜と気を揃える。


も、動いた動いた。
道標や塚、関連の史跡を含め約60地点、撮影した写真は使用したものだけで100枚余。
当時私は四十ちょうど、ずいぶん歳を食ったものだと思っていたが、やはり若かったのだな()
この時も、単に道標を探し写真を撮って図書館等の史料と突き合わせるだけじゃ面白くない、と、
近くの商店やいくつかのお寺にお邪魔して御店主・御住職にお話を伺ったりした。

細かいことを話しだしたらきりがないので、現物の後書き。
後書き1 

後書き2 

後書き3
非常にきたない字だが、なかなかもっともらしいことを書いている()



昨年。
卒論の仕上げにかかっていた伜が、
「この頃つくづく感じるんやけど、俺、小学生の夏にも既に似たようなことをやっとってんなあ。
 
あんたのやり方を踏襲させられとんのかて思うと、めっさ癪やわ」
電話でぽつり。
ないない、このパーな母親がそんな御大層なことを意図していたわけねーだろ。
ただの夏の思い出だ。
そう、めっぽう楽しかった、夏の思い出だ。

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総選挙

朝起きて、PC開けて、ニュースのヘッドラインみたいなとこを見て、アラびっくり。
AKB総選挙ってまーだやってたんかい。
好悪の感情は別として、秋元氏も実に美味しい商売を考えたものだが、当の彼女たちは、
どんだけストレス溜まる生活を送ってんだろう、と、なんとなく気の毒に思う。
しかもちょっとしたことですぐネットにて叩かれるし。
その辺の人間のテキトーな人生なんかと全く交わらない努力家の娘さん達をこき下ろして、
一体何が面白いのか。

他人様のことを言えた義理じゃないけど、ネットは一億総小姑化をもたらしちゃったんだなあ。

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十年近く前に購入したコンデジ。
キカイ音痴な私であっても手軽に扱え、人物や細々したものをさっと写し出してくれる。
遠景こそ不向きだったが、たまーのドライブなんかでも大活躍してくれていた。

昨十月、知多半島へ出かけた際にも携えて行ったのだが、
「あれ?」
撮影対象に合わせた液晶画面が紫色に映り、しばしばおかしくなる。

そのときはちょっとした不具合なんだろうと思っていた。
けれど、上記の症状は見る見るうちに悪化、まともな写真を撮るのがどんどん難しくなってゆく。
寿命なのかなあ。

さみしくなった。
ものすごくさみしくなってしまった。

今日、久々に取り出し、家の食器棚など撮ってみようとしたのだが。
なにゆえこうなるねん…
やはりだめであった。

長年近しい存在であったコンデジ。
柔らかなネル地の布で保存のカバーを縫おう。
そして、静かに休んでもらおう。


ずっと、ありがとう。


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ついでの人々

『苦髪楽爪』というのは、嘘である。
私を見よ、楽ばかりしているのに髪の伸び方がえらく早い。
そのため時々前髪のみ自分で切ったりするが、大抵微妙な仕上がりとなる。
幼時の伜の散髪にしろ、私がやると長さが揃わないってんで、おっさんが担当してくれていた。
つまり私ゃ、昔からそんな楽をもしていたわけだ、感無量冠二郎。

・・・・・・。
とにかく。
そろそろ夏らしく床屋さんでばっさり切って頂こうか、とGoogleで画像検索を試みた。
毎回、
「樋口可南子さん風でお願いします」
ばかりでもナンだし、良さげなショートスタイルの例を印刷して持参しようという腹だ。
まず、“剛力彩芽”と入力、忽ち、まあかいらしい、な画像がたくさん出てきた。
が、頭髪の状態がよくわかるものをあれこれ追っていくうち、何故か河口こうへいのむさい面が。
こんなところに紛れ込むとは一体どういう了見なのか。

ま、床屋さんの奥さんに二十歳の女の子が笑む紙を差し出し、
「この人風でお願いします」
などと口走るのも、ある意味一体どういう了見なのか的行動だわな。
河口の面を冷静に見つめ、中止した。

気を取り直し、鈴木蘭々のかつてのショートスタイルも結構好きだったな、と、新たに検索。
すると、今度は、アリキリ石井やら垣添(現・雷親方)やら螢雪次朗《※註》やら大和田獏やら、
関係ない人々の顔が続々。
邪魔くささに呆れつつ、はたと気付いた。
そう、鈴木蘭々とて今でこそ中年女性乍ら、当時の画像自体は若い女の子のままなのだ。
床屋さんで差し出す際の恥ずかしさは、彩芽嬢のそれと変わらん。

で。
モデルが男性なら、若者であってもちったぁお願いし易いだろう、と、いきなり変な方向へ。
ところが、要潤で検索すれば、タモリや野口五郎の『私鉄沿線』のレコードジャケットの画像が、
岡田准一はブラマヨの小杉や大泉洋や麻生副総理兼財務大臣が、福士蒼汰は古田新太が、
成宮寛貴に至っては竹内力まで現れる始末、つい間違って参考にしてしまったらどうしよう。
ただ、この平成の御代にアイパー&ポマードがっちりなオールバックを貫き通してきたという、
揺るぎない姿勢は敬服に値する。

結局、やはり、
「樋口可南子さん風でお願いします」
になりそうである、それだって十分恥ずかしいが。




《※註》 螢雪次朗 

名前だけではぴんと来なくとも、一目顔を見たなら、
螢雪次朗
「あーはいはい、この人か」
と、頷きませんか。
私は、こういう役者さんが大好きである。

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