茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

実用一筋

先日、耳鼻科の待合室にてたまたま開いたちょっと古い雑誌の、
『キッチンもおしゃれに』
てな特集。
例として紹介されているのは、うわぁ素敵、な空間ばかり、うっとりである。

ただ、その空間から生み出されたという、数々の凝った料理のフォトにより、我に返った。
料理にかかる時間だけじゃなく、シンク、調理台、ガスまたはIHレンジ等の設備、電化製品、
そして銅の鍋やら全てぴっかぴかに磨き立て、細々した用具などは見苦しくないよう収納し、
しかもセンスのいい雑貨や観葉植物、絵を飾り…。
おいおい、これがほんまの実例なんだったら、一日中キッチンに籠っていなくちゃ無理だぞ。
実際、キッチンほどいとも簡単に汚れてしまう場所はない。
私には衛生的に保つくらいがせいぜいだ、作る料理も田舎っぽいしの。

大体、うちの場合、一部のみ眺めてもこーんな風になっているわけで。
ぶーらぶら
(
シンクまわりの約右半分)

いろんな物がぶーらぶら、生活臭紛々ですな。
頻繁に使う用具はすぐ取れるところに出しとけ、てなもんである。
シンクの上なら自然に水切り、はいまた出番、で、洗った後そのままほいっと掛けといたほうが、
格段に効率的、美観より実用。

リビングダイニング側からの見た目を考え、開口部には一応カフェカーテンをあしらってあるが、
限りなく気休めに近い。



で、
里芋の含め煮
今日も今日とて里芋とか()
現在味を染み込ませるため鍋止め中。



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禁句

古くからおっさんがお世話になっている方のお父上が亡くなられた。
ビジネスを飛び越えて何かと温かなお心遣いを頂き、また、奥様までもが私ごときを気にかけ、
折々に親身なお電話を下さる。
昨日の葬儀には私も参列した。

九十で天寿を全うされたため、悲嘆の漂わぬ穏やかなお式。
御親族なのか、やはりかなりのお歳と見受けられるおばあちゃま方など、
「まあ、おめでた葬礼やわな」
さばさばと笑ってらっしゃる。
集まった方々が喪主さんに寄せる挨拶も、“御高齢だから”的な言葉が殆どのようであった。

けれど、この“御高齢だから”的な言葉、私は絶対口にすまいと、二十五年近く守ってきた。
実家の祖父が八十三歳で亡くなった際、やはりそう仰る皆さんに頭を下げて話を合わせつつ、
胸中では、
「たとえ高齢でも、やだよ…」
力なくそう言い返していたからだ。
大好きなおじいちゃん。
頑固な明治男ながら、武骨に可愛がってくれたおじいちゃん。
もうこの顔を見られなくなっちゃうなんて、小さなお骨になっちゃうなんて、やだよ…、と。

親族は、あきらめの形で気持ちを紛らわすべく、そのような言葉を発する。
が、他人より聞かされると、悪気のかけらもない純粋な慰めだけに、却って冷たく響いてしまう。

自身も歳を重ねようが、順当なこととして涙を見せず送ろうが、身内を失うのは、悲しい。
心の奥にはどうしようもなく大きな穴がぽっかりと開いている。

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再生なるか

月曜日、湯豆腐に使ったみつば。
根っこの近くに新芽がありそうな茎を残してスポンジのまま水につけといた。
今朝はこんな具合。
みつばの根っこんとこ

あなたが再生したいと言うならば、その暁には食べるにやぶさかでない。
と、実にやぶさかなことを呟く婆なのであった。

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続・とうがん

ところで。
おっさんは、とうがん同様セロリも嫌いだ(だった)
サラダやマリネの香りづけにほんの一寸混ぜただけでも、几帳面に選り分け、取り皿に盛る。
野菜スープなんかへ入れた日にゃ、全体がセロリ味になっとる、とか言って、丸残し。

あるとき、ふと、思った。
セロリってのは、たとえ他の野菜の中にこっそり紛れ込ませようと、癖が強くてすぐばれる。
ならば、その癖の強さを逆手に取り、セロリ主体のもんを供してみたらどうだろう、と。

で、斜め薄切りにしてから幅5ミリくらいに整え、セロリだけをきんぴらに。
ごまをたっぷり振り、素知らぬ顔でぽんと出した。
すると、何だよ、ちゃんと食べてんじゃん。
「それ、ど?」
「別に、うまいよ」
「ふーん、じゃあまた作るわね、セロリやけど」
「え、まじ?」
 
以来、サラダもマリネもスープも厭ではなくなったそうで、
「トシくってくると、好みが変わるんやろか」
食べる度に首を捻っている。


えっと、この記事ってとうがんの話をするつもりだったんだよな、何だこのだらだらした前置きは。
とにかく、伜のひとことに気を良くし、久し振りに買ってみたそのとうがんなんだが。
小ぶりに見えて、スケールで量ったら、750g強もあった。
まあ、とうがんってのは、真夏など冷やし鉢にするぐらいで冷めたものもかえって美味しいため、
おっさんが箸を付けなくても、冷蔵庫に突っ込んどいてまた翌日私が食べればええわな、と、
水曜の夕、調理にかかった。
細かく叩いた海老と合わせたあんかけ煮である(海老好きな名古屋生まれのサガですな)
食卓へ出す直前、彩にさっと茹でて斜め切りにした絹さやも散らし、おお、いい感じ。
大鉢に盛ったところなど珍しくデジカメで撮ってみたんだが、湯気でうまくいかずボツだぜチッ。

主菜は塩麹に漬けた鶏としし唐・椎茸のグリル焼きだし、おっさんには別にオクラ納豆を用意、
二人もそもそ食べ始める。
それでも、一応取り分けの小鉢に二切れほどよそい、おっさん側へ置いといた…
…ら。
あれ、食べてはるやん。
「おとーさん、平気なん?」
「なんで? 洒落とってええやん、この大根
おいっ!
しかも、自主的にお替わりをよそっている。

あんまりびっくらこいたんで、そのまましれっと黙っといた。
寝る前に一旦火を入れ、冷ましてから、冷蔵庫にてキンキンに冷やし、翌晩も再び出したが、
やはり普通に食べてはった。
それで初めて、
「あんなぁ、その煮物、とうがんなんやけど…」
と、種明かし。
「え、まじ?」
セロリの際と同じ反応。
そして、やはり、
「トシくってくると、好みが変わるんやろか」
首を捻っているのであった。

けど、嫌いなものが減るって、いいことだよな。
この私とて、最近になってようやく、おっさんの好物であるしめ鯖の旨さに目覚めたとこやし。
今度いっぺん我が手でも拵えてみようと思っておる。





以下は、自分用の覚え書き。
逐一計量したり時間を測りながら作るのは面倒だが、次回の目分量・目安時間の基になり、
結局は後日のラクにつながるようだ。
今イチだった場合の修正にも役立つし、近頃割とマメに試みレシピとしてぼちぼち纏めてます。

             
※ とうがんと海老そぼろのあんかけ煮 ※

とうがん 小一ケ 約750g
海老   10尾   殻をむいて大体200gくらい

絹さや  10枚

《★》
 薄口醤油         大さじ3強
 酒                   大さじ2と1/
 味醂                大さじ4
 塩                   三つまみ
 すりおろし生姜 親指3/4大ぶんくらい

 出汁               今回は鰹の厚削りを使用 水900cc 出来上がりは830ccくらい
 生姜の絞り汁  親指一本大ぶんくらい
 コーンスターチ  大さじ多め盛り1くらい


1. とうがんは半分に切って中のワタを取り皮をむき、4~5cm角大に揃えて面取りした後、
  皮の側に浅く細かい格子目の包丁を入れる。
2. 塩少々を溶かした多めの水に入れて火にかけ、沸騰後弱火で4~5分茹でて火を止め、
  そのまま置いてしぜんに冷めたらざるに上げる。
3. 海老は殻をむいて背ワタを取り、粗みじんに刻んで《★》と共に鍋に入れてしっかり混ぜ、
  中弱火にかけて色が鮮やかになるまでほぐしながら炒るように煮る。
4. 3.に出汁を注ぎ、アクが浮いてきたら取り、2.を加えて落し蓋をし、弱火で12分程煮る。
5. 4.に生姜の絞り汁を加え、倍量の水にて溶いたコーンスターチでとろみをつける。
   供する際には、さっと塩茹でして斜め切りにした絹さやを散らす。


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とうがん

朝。
洗濯物&布団を干しにベランダへ出たら、おや、かすかながらも、季節の便りが。
金木犀である。
風を通すため、家の全ての窓を開け放しておくうちに、少しずつ増してくる、その芳香。
ああ、もう、ほんとに、こころの隅々まで潤う。
ことしも、ありがと。



さて、話は、ころっと変わる。

前の記事で述べたように、にこにこ買って帰った、とうがん。
しかし、実は、おっさんが大の苦手とする野菜なんである。

新婚当時、鶏団子と共に葛煮にして供したところ、
「これ、なん?」
「なん? って、とうがんじゃん」
「うわ、やっぱりか…ごめんやけど俺あかんねん」
出汁と生姜をきかせ、なかなかな仕上がりだったにも関わらず、箸さえ付けてもらえなかった。
アレルギーの関係なら致し方ないが、そうではない。
せめて一口だけでも食べてくれればいいのに、と、結構しょんぼりした。
以後、ぱったり用いぬ食材となった。

だが、私ゃとうがんの、淡白乍らも地味に個を主張する、瑞々しい味わいが大好きなのだ。
伜が幼稚園に上がった三歳頃から、接待や出張他でおっさんが不在、ってなときを狙い、
夏~秋季には、再びとうがん料理を拵えはじめた。
伜は、特に喜びはしなかったものの、嫌がりもせぬ。
二人での食卓に限り出ることなど知らなかったろうが、高三までの間、普通に食べてきた。

そして、彼がよそのまちへ行き、とうがんはまた、御無沙汰な野菜に。
だって、よ…。
ワタ取って皮剥いて一口大に切って面取りして背に格子の包丁目を入れて塩水から下茹でして、
んでやっと改めて他の食材と共に煮込むとかって(どうでもいいけど文節の末尾が“て”ばっか)
独りメシのためにわざわざかけるほどの手間か?
正直、私だけのごはんなんぞ、残り物のアレンジか、茶漬け、蕎麦・うどん、カップ麺位で上等。
はい、怠けることにも余念はございません。

とにかく。
そのとうがんが、極私的に一躍日の目を見たのは、先月上旬。
ゼミでフィールドに出たチーム調査を終え、卒論にて説を立てつつ湧く疑問点を検証すべく、
現在は単独でちょこちょこ各地を訪ね回っている伜からの電話で、だ。

あれこれ予定が狂い、小さなまちに唯一みたいな昭和風の宿に飛び込んだらしいバイク野郎。
「素泊まりやよって、そこの食堂でお茶もうて、コンビニで買うといた弁当食っとったんやわ。
 
そしたら、宿のおばちゃんが、
 『そんなもんだけじゃ力がつかん』
 
て、丼盛りの煮物をサービスしてくれはってなあ。
 とうがんてやつか? あのとろっとした煮物。
 昔食ったあんたのんそっくりやってなあ、しみじみうれしかってなあ」

受話器を置いた後、しばし黙り込んでいた私へ、怪訝な顔をするおっさんの、
「どした?」
に対し、
「なんや知らんけど、とうがんがうまかったんやて」
怪訝度をさらにアップさせる胡乱な返答。

けど、私にとって、あれほどの褒め言葉は、ない。
私ゃ昔から、褒められるってことがあまりなかった人間だ、容姿以外は(おい平然と大嘘こくな) 
だから、余計、伜のかいらしいひとことに、私こそ、しみじみうれしかってなあ、になっちゃって。
能無しでへなへなだらしねぇ者でも、一応“おかん”ではいられてたんかなあ、とか思っちゃって。

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久々に 3

『知多四国八十八ケ所霊場』として善男善女がおいでるように、この近辺には寺社が多い。
うちのクルマのトランクには、
My杖(笑)
なんかも年寄臭く忍ばせてあるんだが、寺社に付きものの階段はまだちょっと怖いんでパス。
遠くから手を合わせるだけとなった。

帰り道、土地のものを扱う地場産店に寄ってもらう。
規格外のちっさななんきんさんやらとうがんやらも置いてあり、小躍り。
うんうん、こういうの、二人暮らしの家庭にとっちゃ、最もうれしいサイズなんだよねっ。
で、今回のおみや。
おみや
見た目は今ひとつだが、みかんも甘味・酸味共ぎゅっ、な、好みの味でしたわ。

あー、楽しかったー!
も、ほんっとこころ踊る一日だったー!

おっさん、まことにおおきにさんでございました。

喜ぶ婆

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久々に 2

昨日は穏やかな好天、ちょうど秋祭りが行われていた。
山車


さて。
目的の海の幸。
昔々のその昔は、まるはさんが定番だったが、今や長い待ち時間を覚悟の上でないと入れん。
だが、この近辺には、他にも美味しいお店がたくさんある。
今回寄せてもうたこちらも、
おいしおすえ
「よし、南知多へうまい魚を食いに行くぞ!」
という、おっさんの気持ちにばっちり叶ったお店だ。

定食と言っても、旬やその日の揚がりによって内容が変わるけれど、昨日は…
 梅定食 1,570
    刺身  鯛、名前は不明乍ら白身の地魚、あおりいか、みる貝(たぶん)
    煮魚  かさご(たぶん、て、こればっか)とやはり名前は不明乍ら白身の地魚の二尾
    焼き物 焼き大あさり二ケ
    小鉢  もずく酢
    ごはん、赤だし、お漬物
 松定食 3,150
    先付  たこぶつ
    刺身  同上
    焼き物 車海老の塩焼き
              小ぶりの鯛の塩焼き
       
      焼き大あさり・大あさりのチーズ焼き・さざえ壺焼き各一ケ
    フライ    あじ一尾、海老二本(海老の助数詞って“本”でいいのか?)
    小鉢   同上
    ごはん、赤だし、お漬物
以上を二人でシェアし、ぱくぱく。
(
小心者ゆえ、混み合う店内でデジカメを取り出し料理を撮影、ってのはできなかった)

しかし、あれですな、こういうお店で新鮮な地の物を頂いてしまうと、スーパーで買うお刺身が、
途端に色褪せて見えてくるからいけません、贅沢な。
そう言えば、学生時代、富山出身の友人がよく、
「名古屋の刺身はゴム食ってるみたいで気持ち悪い」
と、ぼやいてたっけ。
満腹、満腹、御馳走様でした。

そうそう。
上で述べたように、秋祭りの日に当たっていたため、揃いの法被股引姿の子ども四、五人が、
お獅子をかついで店内に入って来、
「家内安全、身体健全、商売繁盛…エトセトラっ!」(註:エトセトラの略は当方の都合だす)
元気な声をあげぐるりとひと回りした後、お店の奥さんからお菓子をもらいまた去ってゆく、
てなことが、食事を愉しんでいるうちにも二組あった。
風習なのかな、何だかさらにたっぷりしあわせな心地になったわー。
ありがとう、神様との間のメッセンジャーみたいな祭礼の子どもたち!

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久々に 1

金曜の夜。
明日のお休みは、たぶん、きっと、緊急の出動もなさそうだ、ってことで、
「昼まで寝たる」
にんまり床についたおっさん。

そして、土曜の朝。
「もし中途半端な時間に起きてきたら、冷凍してあるパンをトーストすればいっか」
私は、インクの匂いもまだ強い、サラの新聞を広げ、のんきに過ごす。
 
ところが、
「おい、やっぱ寝だめってでけへんのやな」
結局はよから目を覚ましてはんの。
んだな、トシくってくると、そんなもんやて、おっさん。

で、
「よし、南知多へうまい魚を食いに行くぞ!」
いきなり突飛なことを言い出すから困っちゃう。
そいでも、愛知の知多半島は、まだ名古屋っ子だった若い頃、何度か二人ドライブした地だし、
一応、くまっちゃぁうなーぁんっ、的表情を浮かべてみつつ、迅速に身支度するリンダ@50歳。

道中度々渋滞に巻き込まれたが、お昼過ぎには目的地へ。

海。
海 

海海。
海海 

海海海。
海海海 

やっぱええなあ、胸がすっとした。


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また、おおっ!

山中教授のノーベル生理学・医学賞受賞。
しかしだなあ、
「おおっ!」
と言っても、あたしゃiPS細胞について何を知っているのか? なんである。
関連の本を取り寄せてみようかな。

何にせよ、眩暈が治まり、読書とパソコンと裁縫ができるまでに回復したのは、実に有難い。
私からこの三つを取ったら、愉しみと呼べるものなどごっそり無くなっちまうような気がするしよ。
ひどく恥ずかしくはあるけれど、まっすんすんに正直な心情ですわ。

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おおっ!

おっさんに地元野菜の直売所へ連れて行ってもらった。
まだ一人で出歩くには近所であっても少々不安が残るため、青物やトマト、果物だけでなく、
比較的日持ちのする丸のままの白菜、根菜及び芋類も買い込む。
冷凍庫には肉・魚介を真空パックにしたものや納豆、油揚げ、薩摩揚げなんかも入っているし、
煮物で滋味豊かに活躍してくれる乾物や、乾麺、缶詰もストックしてある。
家でじーっとしていても十日程度の献立なら特に困らぬであろう。

他にこまごましたものも求めておこうと、たまたまそのそばにあったスーパーへ。
調味料コーナーにて味噌を選んでいた際、
「おおっ!」
思わず歓声を上げてしまった。
何よ何よ、すぐ横に、愛しの↓が置かれているじゃないの。
とり野菜みそ 
鶏とは関係なく野菜を摂ろうという主旨のネーミングだそうです 

石川県の人々にとっては、“鍋はこれ”な調味料であると、TVでも時折取り上げられる本品。
もう何年前になるかな、親子三人で福井方面へドライブしたときふらりと訪ねたスーパーにも、
隣県だからかたくさん並んでおり、いくつか買って帰った。
(
えっと、よそへ出かけた際には、どういう訳だか土地のスーパーを訪ねてみたくなるんですわ)

で。
豚ロースとどっさりな白菜と葱のみのシンプルなお鍋にしてみたんだが、美味しい。
出汁も取らぬ手抜きなお鍋なのに、〆のうどんの量を急遽増やした。
一度に二袋の味噌を使ってしまったんで、もっと買ってくれば良かったと後悔。
そんなあなたに我がまちで再会できるとは…。


普段はお馴染みでない、ちょっとだけ遠いスーパー乍ら、思いがけずラッキーなことがあるから、
めっさうれしくなっちゃうんだよなー!
おっさんには、
「あんたのラッキーてのは安上がりでええの」
と笑われたが、うれしいもんはうれしいじゃないか。

それにさ。
うれしいと言えば、こういうのって、ほんとは一番うれしいデートだと思うし(po)

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うざい

♪ アリエール~ メニエール~ ヘタレール~ ♪
(
我ながら赤面な年寄ギャグだぜ()←しかもなに笑ってんだよ() )
とにかく、近頃はおとなしくしてくれていたんで、台風シーズンなのにちと油断してもうた。

一旦発作が起これば、必要最低限の家事他のみでゴメン。
こま切れの時間にもついへなへなと横になり、だらしないったらありゃしねえ。
メニエールさんってのは、生命に関わるわけでなし、別段重くない病だ。
ただ、自身を取り巻く世界が回っちまうせいか、気持の面も少しばかり不安定になる。
10~20分程うとうとなんて際に、背中に冷たい汗をかくような暗い夢を見たりすることも。

そういった陰気臭い日々をわりと久々に過ごし、改めて気付かされた。
人間、どんなにちゃらんぽらんだろうが、
「これだけは絶対嫌」
ってな拘泥を無駄に抱えているのだなあ、と。
そして、ちゃらんぽらんな私が、知らず、
「これだけは絶対嫌」
と抗ってきたのは、他から“うざいと思われること”だったのだなあ、と。

むろん、私は、おっさんや伜にとって、ずっと世間様で言うところのうざいババアであった。
口うるさく健やかなるときも、口数少なく病めるときも、それぞれにうざい。
だが、うざいと思われるまたは思うことと、愛するまたは愛されることとは、紙一重。
いや、互いの胸中に存在する、その薄い薄い一重の紙の光沢こそが、“愛”なのかもしれぬ。
うむ、おっさんや伜のそれを肌身に感じてきた私は、誰より贅沢者なのかもしれぬ。

当ブログにてはさんざん愚痴っておるが、自己の弱みや欠点を態々吹聴するのは面白くない、
普段の生活では、持病だの手術だの、身体のあれこれに関し、殆ど黙り込んでいた。
ゆえに、人さまから不活発な暮らしぶりを説教・揶揄されることも度々。
「仕事もしないでお気楽でいいわねー」
とかさ。
ま、自らお金を稼ぎ、家事もこなす人にしてみりゃ当然の感慨だし、時折変な噂を囁かれても、
テキトーに受け流す。
ましてや、ざらついたサンドペーパーを振りかざす相手に対して自己弁護の労力を使うなど、
いくら暇人でも時間・手間共惜しい。

そうだな。
結局、私が、
「これだけは絶対嫌」
と身震いするのは、やはり他から“うざいと思われること”なんである。
特に、うざいと思われたくないひとから“うざいと思われること”なんである。

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