茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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ベランダからこんにちは

台風が近付いている。
せっかちにも午後には早々とベランダの物干し竿や小さな縁台等を部屋の中へ入れておいた。
ザーザー降り出してからしまうのはかなわんしよ。

当マンションにもベランダでガーデニングをされるお宅が結構あり、よく葉っぱが飛んでくるが、
うちは、物を干すスペースが減る、と、実用一点張りな場、全く色気がない。
それでも、懐かしく思い出す。


もう十年以上も前の夏。
和室で一人正座してアイロンをかけていたら、何やら白っぽいものがすっと視界を横切った。
「な、なんだ今のは」
立ち上がってそれが行ったらしき伜の部屋を怖々覗くと、
「にゃー」
隣々室のお宅のチンチラシルバー君が。
ベランダの仕切りの下を通り、一戸置いてうちへやってきたようで、器用に自分で網戸を開け、
勝手知ったる家であるかのようにちゃっかり伜のクッションの上で寝そべっている。

そのお宅は、シルバー君に長いリードをつけた上玄関のドアを少し開けてらっしゃることも多く、
好奇心旺盛なのかしょっちゅう通路へ出ていたので、通りがかる度に撫でさせて貰っていたし、
伜などはすっかり仲良しになっていたのだが、まさか彼のほうから訪ねてくるとは。
大笑いして抱き上げ、送り届けた。

以来、彼は、度々ベランダからやってくるようになり、伜は大喜び。
奥さんはひどく恐縮してらしたが、アレルギーの関係でペットを飼うことのできないうちとしては、
短時間にせよこうしてふれあえることがうれしかった。
むしろ、世話もせずいいとこ取りだな、と思ったくらいだ。
彼が通過するお隣の御主人は、当時独身だったので夜遅くまでお留守。
後日お話ししたところ、ねこがベランダを通ることなど全く気付いておられなかったそうだ。


秋。
お互い網戸にしていては冷える頃になると、訪問もやんだ。
さすがにねこの前足じゃ重いガラスサッシは開けられない。
ただ、相変わらず通路に出るのが好きな子で、玄関側からは毎日のように会えていた。

ある日曜の朝、奥さんがチャイムを鳴らした。
泣き腫らした目で、
「クルマにはねられてしまって」
お別れをしてほしい、と、私たち母子を家の中に招いた。
お仏壇の前に置かれた小さな箱の中のシルバー君に頬ずりして、まだ小学生だった伜は、
声を上げて泣きじゃくった。

伜はそれから数年後にも仲良しだったねこと別れている。
だが、愛しいもののなきがらにじかに触れたのは、そのときが初めてだ。
現在でも言う。
「本当に冷たくなってしまうんやな、と知った」


ベランダからこんにちは。
愉快な珍客に盛り上がった、楽しく短い夏だった。

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夏の終わりのあれこれ

いやもう、ネットというのは、なんてありがたいんだ、と思う。
私のようにちょっとしたことですぐ体調を崩しては引きこもる軟弱クソババアにとってみれば、
自分を世間様の中に引き上げてくれる唯一の“蜘蛛の糸”だと言ってもよいよカンダタ。
それに、一生行くことはないであろう遠い国の現在の様子にだって嬉しく想いを馳せられるし。

反面、ネットの罪、というのもある。
人をただの野次馬から無意味にエラソーなリポーターへと変えた。
先日の紳助氏の件でもそう。
叩きや穿ちを繰り返すことで、さも自分が上に立ったかのような気分に浸っているのかね。
そのナニサマぶりの安さには笑ってしまう。


ところで。
昨日の代表選は、ラジオで聴いていたのだが、民主嫌いの私にも意外に面白く感じられた。
最初の演説では、国会答弁じゃいつも眉間に皺を寄せ、頷きとメモに終始する鹿野氏の、
常とは違う熱さに、ほお、と驚いたし、決選投票に縺れ込んだ野田・海江田両氏の後演説も、
なかなか勉強になった。
いかに人の心を打つ演説をするか、において。

野田氏のそれは、上手かったな。
まあでも、いくら人の心を打っても、国益に奔走する総理じゃなきゃどうしようもない。
総理は、このちっちゃな日本国を、しゃらっとした誇りで以て動かす人であって欲しい。
どうかな。


さっき、ツクツクボウシの声を聞いた。
すんげー蒸し暑いけど、夏ももう終わりなのかな、と、耳を澄ませた。

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何故か違う

今朝、数少ない友の一人が来訪。
先日、偶々銀行でばったり会い、地域のバザー用に手作りの品を出さなきゃならないのに、
自営の仕事が忙しくてやってられない、と、焦り気味に話すので、
「んなら、ひま人の私が何とかしましょ」
キッチンミトンや化粧ポーチ等、何点か作った小物を取りに来たのだ。

で、お礼に、とヱビスの大ビンを五本渡されたため、
「家にある布で作ったんやし、余計な気ィ遣われるんやったら、これからはもうせやへん」
相変わらずの憎まれ口を叩けば、
「そういうド偏屈なこと言わんと取っとき、元々は呑兵衛のくせに」
さばさばと返す言葉に、却って彼女の深い気配りを思う。
そりゃ、私なんかと長いこと仲良くしてくれるんだもんな、こころやさしきひとに決まっとる。


それにしても、外食時以外、酒屋さんの店頭でもあまり見ないビンのヱビス、貴重だ。
おっさんとグラスに注ぎ合って有難く頂いたところ、何故だろう、缶より明らかに美味しい。
たまにビンの牛乳を飲むと、
「あ、違う」
パックより数段美味しく思えるが、ビールも同様である。

牛乳と言えば、夏場以外は温めて飲むことが多い。
面倒なんでマグカップに注ぎチン、ってのが常なのだが、何年か前、電子レンジが壊れた際、
久々に小鍋で直火にかけ温めたら、
「あれ、いつもよりうんとまろやかやん」
やはり味の差に吃驚した。
加えた砂糖の甘さとはまた別の、牛乳本来の甘みも感じられたのだ。
以来、小鍋を洗うくらいの手間を横着に惜しむのはやめ、直火で温めるようにしている。
大体、この小鍋の正式名称は“ミルクパン”なんだよな。
電子レンジのある便利な生活に慣れ、それすらすっかり忘れていた。

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計量

起床して自分の記事を読んだらむしょうにケツが痒くなり、
「ううう、削除しよかしらん」
赤面しつつ朝食を拵えた。
だからあれほど真夜中にはものを書くなと…。

ところで。
うちの朝食は、実に簡素である、朝食に限らんか。
夫婦二人とも朝にはあまり食べられないってこともあり、ごはんと味噌汁と漬物が基本で、
それにめだまやきかたまごやきか温泉たまごか煎りたまごかのいずれかを足して終わり。

ただ、本当の夏バテは涼風が立った後に来るそうで、なるほど些か身体がダルビッシュ憂。
ま、私の場合、こんなおやじ臭い駄洒落をぬけぬけ平気で言えるズレた元気さはあるんだが、
八月に入ってから、
「当分たまご料理は作らんでもええぞ、朝はちょっと重い」
例年の如く言い出したおっさんが体調を崩してはまずい。

そこで一計を案じ、朝食に酢の物を出すようにしたら、これがなかなかいいようである。
若布と蛸、若布と煎りたまご、胡瓜と茹で海老、胡瓜ともずく等々、あるもので手軽にできるし、
青紫蘇や針生姜、煎り胡麻を気分で散らせば、何だか真面目な婆風の自己満足をも味わえる。

いつだったか、伜に電話した際、話のついでに
「酢の物ってどうやって作んの?」
と訊かれたので、
「胡瓜を薄く切って、塩で揉んで、あーだこーだ」
ざっと説明したのだが、どうも要領を得なかったらしく、
「すまん、今度でええわ」
あっさり打ち切られてしまった。
思えば、合わせ酢にしたって毎回テキトー、いちいち考えて混ぜたことなんかないもんな。

なので今朝は、いつも自分がどのようにやっているのかを量りながら拵えてみた。
本日の材料は、
  胡瓜二本…薄く塩をして揉み、絞る。
  茗荷三本…半分に切って根元の芯を三角に取り除いてから千切りにし、しばし水にさらす。
  カニカマ五本…ほぐす。
そして、合わせ酢は、
  りんご酢…大さじ4
  砂糖…大さじ1
  出汁…大さじ1強(味噌汁用の出汁からちょっと掬う)
  みりん…大さじ1強(電子レンジに数秒かけて煮切る)
  薄口醤油…大さじ1
であった。
器に材料を盛り、合わせ酢をかけ、煎り胡麻を振って出来上がり。
変化が欲しいときは、胡麻油をほんのちょっとだけ垂らすもまた良し。

たまにはこうして計量しながら拵えてみるのも、理科の実験っぽくって面白いな、と思った。

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『愛されるより愛したい』

もう十五年近く前のことになるだろうか。
KinKi  Kidsの『愛されるより愛したい』を初めて聴いたとき、不覚にも涙してしまった。
私ゃものすごく安い人間なので、こういう青臭い世界が大好きなのである。

当時は子育て真っ最中。
やんちゃ盛りの伜に手を焼き怒ったり、かと思えばちょっとした言葉やしぐさに喜んだり、
親子三人わいわいがやがや、とにかく賑やかな毎日だった。
             
             

          【   愛されるよりも 愛したい まじで  】
まったくだ。
愛するひとがいる、ってのは、本当にありがたいことだもの。
ひとを愛せる、ってのは、本当に幸せなことだもの。
おとーさん。
小僧。
この、かけがえのない存在を愛すること即ち自分の『生』を実感することなんだもの。

そんな、まさにかーちゃんらしくかーちゃんしていた頃なのだが、同時にふと、うら若き日の、
甘酸っぱい気持を思い出してもいた。
性格の悪い者ながら、恋をしたことくらいは何度かある。
で、甦ってくるのは、どういうわけだか、片思いだった、または、お付き合いに至る前の、
「なんでこんなにこのひとを好きになってしまったのだろう…」
という、或る種の痛みを伴う思いだったりする。
ふれあうことよりも、相手の身を案じる祈りのほうが優る、ためいきだったりする。
              
             

          【   愛されるよりも 愛したい まじで  】
まったくだ。
私のような身勝手極まりない人間が、いっちょまえに(古っ)ひとを愛せるなんてさ。
本当にありがたい。
本当に幸せ。
この世に生まれてきてよかった。
ババアとなった今でも、そう思う。

ゆえに、愛するひとびとには、いつも元気でいてもらわなきゃ困る。
とまあ、やっぱり身勝手極まりないシメになるわけなんだがよ。

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耳に、胸に、響く

耳鼻科へ行ったら、右耳の聴力がかなり落ちていた。
私のこと、どうせ悪口だけはちゃんと聞こえるに決まってんだし、全くへこむ気はないが、
連日のクソ暑さもあって、
「ちっ、おもしろくねー」
何となく苛々。

そんなところへ、ドアのチャイムがピンポーン。
インターホンの受話器を知らず慣れない左耳へ当ててしまったことにも、内心、ちっ、だが、
外面を取り繕い、応対すれば、
「こんにちはーっ」
元気な声。
昨年末、ひょんなことから親しくなった、同じマンションの小二の男の子である。

「これ、おかあさんが、たくさんもうたで手伝って下さい、って言って渡してね、って」
いかにも子どもらしい伝言と共に、にこにこ差し出す袋には、新鮮そうな茄子。
「うわあ、ありがとー、おばちゃん、お茄子大好きなんやわー!」
「ほんまー?
 
ぼく、大嫌いやー、いっつもおかあさんに怒られんねん」
正直な子だ。

「ちょっとだけなら、果物くらい食べていけるよね?」
「うん、今日はスイミングないし」
リビングで桃を頬張りつつあれこれ話してくれる近況に相槌を打ったり笑ったりするうち、
気持がすーっと穏やかになっていった。
悪口に限らずとも、このかいらしい友の声だってちゃんと聞こえるのだ。
尚更へこむ必要はない。


くそばばあが今頃なに言ってんだ、かもしれんが、最近つくづく思うようになったことがある。
人の胸に響くのは、やはり人の純粋さなのだなあ、と。
子どもだろうが大人だろうが年寄だろうが持っている人は持っている、純粋さなのだなあ、と。

ところが、こちとら経験を積んでいるんだ、などという得意げな“訳知り面”を下げて他に絡み、
何かと道を説きたがる人たちというのもいて、実に滑稽だ。
他を貶める癖がついているだけの濁った心で吐く言は、誰の胸にも響きゃしない。
横柄なぶん、なお一層間抜けに聞こえる。
同時に、人の濁った心にはすぐさま冷笑を浮かべても、人の純粋さにはなかなか気付けぬ、
そんなおのれをひどく恥じる。

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よいのだ

こないだちらっとだけ家に寄った伜が、ひとこと、
「あんたも家にばっかいてたらあかんぞ。
 
どっか行きたいとこがあんのやったら、ちゃんとおとんに言うやわ。
 
あのひとのことやし、“お、そか”で、すんなり連れてってくれるやん」

うむ。
そのとおりである。
かつて、あんたにそうしてくれたように、私にもそうしてくれようとするだろう。
だが、黙っとこうと思う。
とにかく多忙なのだ、このところのおっさんは。

確かに、行きたい地は、いっぱいある。
で、身体の件も含め、なかなか行けないことに苦笑したりする。
それでよいのだ。
だって、行きたい地へ行けたとしても、私が帰って来たいところは、たまに、 
「はー、どっか行きたいなあ…」
などと夢想しつつくすぶっている、この家なんだから。

何より、
「あー、家はええのぉー」
帰宅する度おっさんにそう言ってもらえる、このしあわせは大きい。

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長者

日曜の夜遅く、伜がひょっこり顔を見せた。
なんと鈴鹿へ8耐を観に行ったのだそう。
で、えらく遠回りして寄った理由は…

シャンパンの匂いつき

シャンパンファイトのときに運良く飛んできて、キャッチ。
当然、かなりごたごたした場だし、選手の皆さんキャップをとっかえひっかえしていたため、
確証はないのだが、おそらく秋吉さんのものではないか、と。
いずれにせよ、表彰台に乗った選手のものであり、まじ、シャンパンの匂いがする。

奴の目にはいつもしんと孤独に暮らしているように映るらしいばばあが喜ぶと思ったのか、
友だちには先に行ってもらい、わざわざ届けに来たようだ。
ちゃちゃっと素麺くらい食べていけばいいのに、
「大事にし」
慌ただしく巣へ。
ありがと。

先日と言いこの日と言いうれしいお宝、気分はすっかり長者である。

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