茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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夏はこれ。

002_20100730133439.jpg

茗荷。

火曜日は千切り胡瓜と共に甘めの出汁醤油でごま和えに、水曜日はころうどんの薬味に、
昨日は久米島もずく・錦糸玉子と酢の物に、そして今夜は豆腐と味噌汁にする予定。
つまり、毎日食べているわけだ。

昔から、
『茗荷を食べると物忘れがひどくなる』
と言われるが、独特の清涼感のある辛みは心身をすっきりさせてくれるように思う。
ま、人間、拘ったり囚われたり執着したりせず忘れたほうがいい、てなことにもよくぶつかるしな。
茗荷も好きだがこじつけも好きな私である。

ハウス栽培のお蔭で年中食べられるのに、秋風が立つと熱りの冷めたように食卓から遠のく、
そんなところも茗荷らしくてよい。

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涼を求めて

土曜日。
「ドライブしよ、ドライブ。
 うちにばっかいてては気分もクサクサするやろ」
と、おっさん。

多くの方が熱中症で倒れているこの頃、
「なるべく一人での外出は控えなさい」
ってことで殆ど箱入りババアみたいになっているんだが、私は私らのこのうちが好きなので、
ちっともクサクサしていなかったりする。
図々しい人間てのはどこまでも図々しいもんだ。


が、ともかく、遊びの話にはすぐに乗るわけで。
既に朝からクソ暑かったものの、水と緑のあるところならちょっとは涼しいに違いない、と、
久しぶりに岐阜は養老の滝へ向かう。
大昔のデートや、まだ小さな伜を連れて行ったときの思い出などがはがは語らいつつ進むと、
どんどん過ぎてゆく景色さえいちいち愛おしくなってくるのが面白い。
今このとき、ぽんぽん飛ばしているくだらん冗談も、のちにはまた愛おしくなるんだろうな。

駐車場からたらたらと坂道を上がってゆく。
運動不足の身には結構きついが、木蔭に入ると爽やかな風が吹き抜ける。
せせらぎ2 

茶店の井戸には飲み物が冷えていた。
名水の地ならでは

途中おっさんに支えてもらったりし、よろよろしながらも何とか滝に到着。
体力のねえ奴、休み休みでないと歩けなかったため普段の倍以上かかった。
だが、そこは別天地、嘘のような涼しさである。
いちお、説明
滝っす 
滝遠景

滝壺の脇の石に腰かけ霧のような細かいしぶきを浴びていると、血液まできれいになりそう。
あまりの心地良さに小一時間ぼーっと座り続けていた。
滝壺っす 
滝壺っす2

ケツに根が生えるといかんので、名残惜しいがまた下へ。
養老神社。
養老神社 
どこでも必ず願い事をしてくる厚かましさ、神様もたぶん苦笑。

神社の奥には菊水泉が湧いている。
いちお、説明2 
菊水泉
石段を降りたところにこの菊水泉を引いた水飲み場があったのでいただく。
水の味ってほんとはよくわかんないんだけど、あ、まろやか、と思った。

どっかのわんこ。
わんこ
上手に撮ってやれなくてごめんよ、である、本物は頬ずりしたいほどかいらしかった。

こういう懐かしげなお店って好きだなあ…。
いい感じの茶店 
地サイダーとおっさんの腕
地サイダーを買い、お店の前の椅子でひと休み。
何となくやさしい味わいは菊水泉に通じるような。


あまり疲れぬうちに、と他への寄り道はせず帰途につく。
おっさん、元気の出る一日をおおきにさんでした。

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大暑

この時季見たくない顔ナンバーワンは、藤岡弘、である、個人的に。
決して嫌いなわけではないが、室温34度などという現在の状況だと、藤岡弘、が映った途端、
うちの古いTVはボンと煙を上げそうで怖い。
藤岡弘、の『、』さえ、彼が歩く度地面との摩擦で火花が発生、てな図を思い浮かばせる。


話はころっと変わる。
昨夕、最寄りのドラッグストアへ行った際、ふとこんなものが目に入り、買ってしまった。

お灸

お灸である。
何やら『凸』の詰め合わせ、みたいな風情。
(
なお、右下の香炉は無関係、単なる雰囲気で置いてみた。
ま、
「こう見えてあたくし、お香を愉しんだり致しますのよ、雅びでございましょ、おほほほほ」
という、他人にとっちゃどうでもいいケチな見栄もそこはかとなく漂っていたりするんだが)

とにかく。
今朝、手始めに、両内くるぶしの少し上あたりの『三陰交』なるツボへと据えてみた。
貼って数分で、
「あ、ちょっと熱い」
と慌てたものの、すぐに治まる。
そして、何故だか爪先にぴりぴり響くような感覚が走った、特に小指。
冷めて剥がした後も五分ほど続いたが、もしかしたら一時的に血流が良くなったんだろうか。

ってことで、お灸デビューの感想は、
「急に効くものでもないだろうが、あちこち試してみても面白そうだ」
であった。
詳しい説明書が付いている上、この会社のホームページがまた非常に充実しており、有難い。


それにしても、大暑だってのにやたらアチチな話題である。
藤岡弘、のことなど言えた義理か。

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意味のない日記

どうせ眠れなくなってしまったんでここはひとつ夜なべをしよう、とせこせこやっていたら、
既にこんな時間だった(午前四時過ぎ)
現在のリビングの室温30度、暑い。
が、エアコンをつけると腹ピーになりがちなわけで…全くババアってやつぁーよ。

そう言いながら鉛筆片手の夜更かしに学生時代を思い出す不思議。
ふと顔を上げた瞬間などに当時の日々の匂いみたいなものが淡くよみがえる。

さて、一寸うたた寝してから朝ごはんつくろ、現実現実。

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背中

しかし、息子ってのは、なんでああも言うことがストレートなんだろう。
先日も、
「おい、なんなんやあんた、その惨状は!
 脚はワリバシ、胸はマナ板、鎖骨じゃ金魚が飼えそうや!!
 そんなことではこの夏を越せんぞっ!!!」
ガンガン容赦ない言葉を浴びせる。

そして、息子ってのは、なんでああも食うんだろう。
食事の際も上記の流れで
「そのぽっちりしたメシはなんやねん、仏さんのお供えレベルやないか、もっと食えっ!!!」
うるさく言い募るわけなんだが、いやさあ、目の前でもりもりバカ食いするあんたを見ていると、
それだけで気持ち悪くなるって、こっちは…。
よくまあとんかつなんかを三枚も平らげられるもんだ、かなり厚切りのロースを使ったんだぜ。
あ、私が食べ切れずに手伝わせた分を含めると三枚半か。
ポテトサラダもたまご焼きもコーンスープも四、五人前見当で作ったのに見事になくなったし。
以前は嫌いだった酢の物さえペロリだし。
大体、余るのを承知で三合半炊いたごはんも完食しちまったし。
呆れる。


幼少時は病弱でひどく食の細かった伜ながら、十歳を境にぐんぐん丈夫になってくれた。
いつしか“痩せの大食い”として名を馳せるガツガツっぷり。
が、大学生にもなって幼稚園児みたく背中にぽつぽつ汗疹なんぞこさえていたりするんで、
風呂上がり、げらげら笑いつつ水薬を塗ってやった。
塗ってやったんだけど…
「おい、なんなんやあんた、この背中は!」
奴の口真似をし、手の跡が残るくらい強く引っぱたきたい衝動に駆られた。

驚くほどがっしりと広い背中になっていやがった。


小言ばっかりよこすが、特別私がちっちゃくなっちゃったわけじゃない。
そうだ、あんたがでかくなり過ぎたんだよ。

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たまご焼き

たまご焼きの“たまご”って“卵”と“玉子”のどっちを使うのが正式なのかよくわからん。
ま、そういうときは平仮名さ、と安易な方向へ走るテキトーなブログである。


水曜の昼過ぎ、
「おかあさん、バイト終わってからやで遅なるけど、今日そっちへ帰るわ」
伜より連絡があり、日付が変わる頃、
「よっ、ただいまー!」
久々に朗らかな肉声が響いた。

“おかあさん”などと呼びやがる電話、いつもの法則により頼み事を持ち掛けてくるに違いない、
そう睨んでいた通り、賑やかに近況報告をした後、学校費用の追加について頭を下げた。
ゼミのフィールド調査でまとまった日数・費用を要する遠地合宿が行われるらしい。

いや、勉学に必要なお金なら文句は垂れんぞ、貧しくとも。
よく、
「大学で学んだことなんて実社会じゃ何の役にも立たない」
てな言葉を吐く自称オトナがいるけれど、耳にする度、
「斜めに単純なやっちゃなあ」
と鼻白んでしまう。
たといその学びが後の人生に於いて直接“利益”をもたらす性質のものではなかったとしても、
必ずおのれの内で目に見えぬ“財産”になる、私はそう思うのだ。
何の役にも立たないなどと言えちゃう人って、まずはそんな姿勢が貧しい。


身の程知らずな御託はこのへんにして。
翌木曜、お昼は旧友に会いがてら外食した伜だが、晩御飯は嬉しくも親子三人である。
で、予め食べたいものを訊くと、
「何でもええよ。
 あ、でも、たまご焼きだけは加えて欲しいかも、いっつも弁当に入れてくれたやつ。
 ときどきむしょうに食いたぁなんのやわ」
なかなか可愛いことを言う。

やたらシンプルな料理であるにも関わらず、たまご焼きくらい家庭によって味の違うものもない。
うちのたまご焼きは出汁をきかせた甘みの少ない関西風、そして、葱がどっさり入っている。
また、お弁当用には当然中までしっかり火を通すが、それでもあまり焼き目をつけない。

中学のとき、お弁当のたまご焼き交換ってのが流行った()ことがあり、
「Aんちの、甘くて美味しかったでー、うちも甘くしてなー」
「Bんちの、茶色い焦げ目がついとってこうばしかったわー」
「なーんでうちのは葱入っとんの? 別に要らんやん」
慣れた自分ちのたまご焼きには飽き飽きしているのか、あれこれほざいたものだ。
勿論私のこと、
「よそはよそ、うちはうちっ」
と、リクエストには応えてやらんかった、作る人間の好みだそんなもん。
だが、こうして懐かしがっているところをみると、それで良かったんだろう。


今朝早くの電車で現在の巣へと戻って行った伜。
舌から味の名残が消えんうちにまた帰って来い…。
なんて大袈裟に言うほど美味くもねえけどな。

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やる。

このところわりとまめにブログの更新をしているわけで、勿論暇だからに決まってんだが、
別件でワープロを立ち上げたついでに日記をしたためておこう、てな流れでもある。

ちょっと体力がついたかと喜べば、また調子崩して痩せこけたりと、相変わらずだらしねえ奴、
未だかかりつけの先生にもお世話になりがちだが、以前のようにへこまなくなった。
それならそれでやれることをやればいいのである。
入院だの手術だので身動きがとれぬときの悩ましさを思や、屁でもない。
(
最近屁やケツ等の下関係ワードを連発してんな、まあこれが地だけど)

私は私がやれることにしんと深く沈潜し続ける。
やる。

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姿も見せずに

蒸し暑さにも冷房にも弱いため、小雨程度であれば窓を開けている。

先日、うっかりそのことを忘れ、
「ぶわぁーーーっくしょいっ!」
でかいくしゃみをしたところ、偶々通路で遊んでいたらしい子どもらが、
「おー、かっけー、ウルトラマンみたいなくしゃみやー!」
目隠し半透明パネルの向こうで大笑い。

数日経ち、またまたうっかり窓際で思いっきり豪快に洟をかんだ直後、
「ぷぷぷーッ!」
ちょうど通りかかったのだろう、お隣の娘さんの噴き出す声が。

人と顔を合わすことさえ少ないジミーな生活を送っていながらしっかり恥をかくこの間の悪さ、
いったい何なんだよ…。

ひどく赤面しつつも、
「やれやれ、屁じゃなかっただけまだ助かったワ」
ほっと胸を撫で下ろす自分がいた。
よくよく気をつけていないとこれもうっかりやりかねん。

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信じてみたって救われぬ

占いというものはおしなべていいかげんである。

例えば私は魚座なのだが、この星座に属する人間の性格について多くの占い師が、
『繊細なロマンチスト、感受性豊かで心優しい』
などと述べており、非常にムズケツ。
「じゃああんた、万一私って奴を目の当たりにしても、本当にそう言えるんだろうなあ!?」
反射的にひとりごちるその言葉もつい詰問口調になってしまう。
(
ついで乍ら、魚座にA型ってのを併せた性格診断だと上記の麗しき性格がさらに増幅され、
ムズケツを通り越してケツが割れそうになる)

また、九星とやらじゃ私は、二黒土星なんだそう。
少し前、歯科の待合室にてめくった雑誌に、
『この星回りの人は真面目で頑健、額に汗する働き者です』
とあるのを見た日にゃ、よそさまの備品だってのに危うく放り投げちまうところだった。


それでも、たまに覗く星占いのサイトが二つ三つあったりする。
ババアにとっちゃ恋愛運なんぞは全くもってどうでもいい話ゆえポーンと軽快にすっ飛ばし、
金運や健康運に目をやるわけなんだが、同じ日の事柄なのにサイトによって運勢がバラバラ、
こちらでは良好な金運があちらでは最悪てなことも珍しくなく、何の参考にもなりゃしない。

ならば何故覗くのか。
実は、私ゃ、
「さーて、今回もどんだけスコーンと外れているかな?」
なんてニタニタしつつ、専ら前日の運勢を楽しみに読むような根性悪なのだ。
で、まあ、いつも外れが多かったりしちゃうんで、
「そら見ろ」
と、人知れず変な満足感に浸る。
そんなんだから、
『繊細なロマンチスト、感受性豊かで心優しい』
ってな言も、つるり滑ったこっ恥ずかしいギャグだとしか思えんのだろう。

とにかく、真に当たる占いがあるんだったら他の占いなどみんな廃ってもおかしくないわけで、
これほど色んな占いが巷に溢れ返っているってことは即ちどれも当たらんってことなのである。


私が若い頃にも見られたが、占いに頼る余り却って不安定な精神状態に陥ってしまうという、
本末転倒な娘さんたちがマジで結構いる。
事ある毎に“占いの館”的な場へ足を運び、縋り、そのくせ望まぬ言に強く怯え…。
何だかそんな姿こそが不幸に映って仕方ない。
よく知りもせぬ相手に自分の現状・自分の先々についてごちゃごちゃ口出しされるくらいなら、
全くあてにならん自分の第六感ってやつに従ったほうがまだうんとましだ。
おのれで決めたことの結果であれば、後悔だっていつかは糧に変わりそうな気がする。

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意味ねえー

参院選も目前。
以前住んでいたコーポはもう少し街中寄りだったためか頻繁に選挙カーが通ったものだが、
このマンションの近辺は妙に静かだ。
来れば来たで、
「あんたみたいにやかましい人には入れたらへんっ!」
腹の中で毒づくくせして、誰も来ないとなると、
「おや無視ですかそうですか」
何となくむっとするのが不思議である。


こんなとき思い出すのは、大昔勤めていた名古屋の会社の上司。
とても面白い人で、候補者の誰彼に構わず選挙カーが近付く度、
「おっ、来た来た、みんな、いくぞ」
フロアの人間を呼び集める。
皆がずらり並んで窓から手を振り、
「頑張れよー!」
「頑張ってくださーい!」
 ど派手に声援を送るのだ。

当然候補者は、
「ありがとうございます、ありがとうございます、この○○○○、身命を賭して頑張ります!」
マイクを通し喜びの声を上げる。
そりゃま、市議会選等だとたとえ数票だろうが当落に大きく関わってくるわけで、感激もしよう。

で、選挙カーが去った後、上司は手のひらを返したように冷静になり、
「きっとここで十票以上は稼いだとほくほく計算しとるんだろうな、気の毒に」
しゃらーっと呟く。

そう、いくら大きな声援を送ったところで、その選挙区の人間なんて誰もいやしない。
みんなよそから通っているのであった。

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寝顔

横浜への緊急出動から戻ったおっさんは、お風呂に入ってメシ食って、早々に寝てしもた。

心を込めて商品を売ります、アフターもお任せ下さい、あなたの気持ちをがっちり捉えます、
がモットーだった、根っからの営業マンである彼。
たとえ望まんことであっても、組織の中、上意に沿って動くのがサラリーマンの宿命、と言うが、
順当に役に就くより、いつも現場へ出、好きな営業に打ち込みたい、てのが本音だろうにな。
どえらいストレスたまっているだろうにな。
現在の仕事の性質から考えるにつけ、よくもまあきっちりこなしているものだと…。

以前、伜の下宿を訪ねた際にも、
「あんた、ときどき夜中に人の部屋へ侵入して来て、ごそごそ髪の毛撫でとったやろ。
 わざわざ寝たフリせなあかん日もあったよってな、結構鬱陶しかったわ」
などと笑われたけれど、何故だろう、愛しい人の寝顔って、じっと見てると切なくなる。
お疲れさまです、とか、頑張ってね、とか、しょむないことしか言えなくてごめんなさい、と思う。
愛しい人には、大切な人には、常に健やかでいてほしい、それこそが幸せと呟く日々なんだが、
その意を伝えきれない自分がひどくもどかしく、腹立たしい。


愛する皆々様がたも、どうぞお身体大事にお過ごし下さい。
日々、お健やかな寝顔でおやすみ下さい。


このように、急にしおらしいことを言い出してみるのも、クソババアの特徴だったりすんのな。
明日になりゃ、ひとり吐き出す悪口雑言もまた一段と冴えることであろうし。

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続・我がまち

髪がまとまりにくくなってきたんで昨日散髪()に行った。
帰り道、踏切にて電車の通過を待ちながら、
「そう言えばこの前電車に乗ったのっていつだったかしらん」
ふと考え、個人面談で伜の高校へ出かけた二年前の初冬以来乗っていないことに気付いて、
ちょっと愕然。
それも片道たった十分、市内ローカル線での移動である、バスと変わらん。

で、市外へ行くのに利用したってことになると…
…なんと、ある試験を受けに県庁所在地へ行った三年半前にまで遡らねばならない。
さらに、フツーの電車ではなく新幹線ってことになると…
…これまたある講義を受けるためおとんに伜の世話を頼んで東京へ行った十五年前が最後。
ちょっとどころではなく愕然としてしまうではないか。
私のでかい足の上には見えない漬物石でも乗っかっているんだろうか。

いくら我がまちに根付いたと言っても、これでは見聞が狭まるばかり。
目指せ、乗車券売機、オー!



いやはや、低レベルな話ですみません。

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