茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

人の呼び方

あれは何年生の頃であったか。
まだ高校ぼうずだった伜が同級生の母をさし、
「さっきコンビニで○○んとこの奥さんに会ったぞ」
などと言うので、
「あんたはセールスマンかい!」
思わずツッコミを入れた。
いつもならば“○○のかーさん”もしくは“○○んとこのおばさん”と呼んでいる相手なのに、
いきなり“奥さん”って、なんなんだよ。
まあ特に理由はなく、たまたま何故かそう言っちゃっただけのことらしいんで安心した。
まかり間違って日常化したら、若いツバメへの一歩を踏み出しかねん。


その伜、昨年普通免許に続いて二輪免許を取り、バイク乗りになりやがった。
猛反対したかった私だが、バイト先さえ求人誌等に依らずバイク関係の各所に自ら飛び込み、
募集もしていなかったお店で採用して頂けた、ってほど心底からバイクが好きだったようだし、
第一、私自身その昔、親の承諾も得ず勝手に二輪免許を取得したという前科があるため、
「絶対に学業を疎かにはしません、費用もバイトで稼ぎます、おかあさん。
 勿論、マナーを守り、安全運転に徹します、おかあさん。
 だから許可して下さい、おかあさん」
上記の“奥さん”ではないが、ものを頼むとき限定の“おかあさん”という呼び方を連発され、
頭を下げられた日にゃ、何も言い返せなかった。
またひとつ心配の種が増えた、と思い患いつつも、今となっては、
「2ケツは厳禁やでっ、わかっとるねっ?!」
電話の度にくどくど繰り返すしかない。

で。
時折同じバイク乗りの友や先輩らとツーに出るそうなんだが、始終腹を減らしておる年頃、
月初で金銭に余裕があれば、計画の中に安くて大盛りと評判の飲食店を組み込んだりする、
などと話し、
「けどなあ、おかん…」
ふと、困ったような声色に。
何でも
「店の女の人をどう呼べばええかわからんときがある」
んだとか。

自分の母親くらいから上の人、と見れば、
「おばちゃん、うどん下さい」
さらり言えるのだが、それより下あたりの人だと“おばちゃん”では少し悪いような気がするし、
かと言って大学生がうんと年上の人に“おねえさん”と呼び掛けるのも小生意気なように思え、
判断に迷うとのこと。

「そんなんいちいち拘らんでも“すみませーん”で統一しときゃええやん」
「だよなあ」
で落着したが、無駄に繊細な一面を知り、受話器を置いた後ひとり笑い転げた。
ちょっと可愛かった。

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トシ食って感じ入る

先日。
ラジオをつけて皿洗いしていたら、吉永小百合&トニーズの『勇気あるもの』がかかった。
私が幼稚園くらいの頃のヒット曲である。
吃驚した。
マジで素直に感動してしまったからだ。

   【   ごらん ひまわりは空へ空へ太陽へ 友の背中をたたくとき 
       友と手と手を握るとき このてのひらに 勇気が湧いてくる 湧いてくる   】

   【   ごらん 夕焼けの空は空は茜色 友とかなしみ語るとき 
       明日のたのしさ語るとき このくちびるに 勇気が湧いてくる 湧いてくる  】

   【   ごらん 進みゆく道の道の砂ほこり 友の顔にもついている 
       僕の胸にもついている この靴音に 勇気が湧いてくる 湧いてくる     】

いかにも大昔の青春映画を思わせるこれらのサビの部分は、何となく憶えていた。
古臭いと言えば古臭いフレーズである。
にも関わらず、
「ああ、こういう真直ぐな世界ってのもいいなあ…」
やたらじーんときた。
それも、郷愁を誘われるより何だか新鮮なものとして心に響いた。

全然関係ない話だが、石坂浩二が浅丘ルリ子と結婚したとき、
「この人には小百合ちゃんのほうがお似合いなのに」
母親が変な思い込みで残念がっていたこともついでに思い出した。


そして、別の日。
おとんと久々に喫茶店へ行ったところ、五十嵐浩晃の『ディープ・パープル』が流れてきた。
またまた吃驚した。

   【           それは誰のせいでもなくて あなたが男で   
               きっと誰のせいでもなくて わたしが女で              】

流行った当時は大学生だったが、特に何の感懐も抱くことなくすっかり忘れていたこの曲に、
いきなり出だしからズキーンとやられてしまったからだ。

私ゃどうも薄っぺらく安っぽく生きてきちゃったようで、男だの女だのという重たい分別なんか、
意識的に考えたことは殆どなかったような気がする。
だが、もしかしたら一度や二度くらいは知らず思いを巡らせていたことがあったのかもしれん。
今度ははっきりした憶えもないままに不可思議な郷愁を誘われた。


小説でも時を経ると嘗て中心に据えていた主人公とは別の人物の視点で読み返しており、
当初とはかなり印象が変わっているのに気付かされることもしばしば。
それもまたなかなかに面白いものである。

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ブログ

ブログというのはもはやとうに時代遅れとなったらしい。
そういうことを言われるといつもよりまめに更新したくなる私に相応しく古い話なんだが、
一年ほど前だったろうか、Yahooニュースで、
『自分の死後、自分のブログやSNS等の日記はどうなるのか』
てな話題が取り上げられていた。

業界の人によれば、誰かが削除依頼を出さぬ限り、大抵そのまま残り続けるとのこと。
一般人にしてみりゃ複雑な気持ちになるが、人気ブログだと死後なお訪れる人が絶えず、
墓碑的な存在になっているところも多い、といった言で結ばれていたように思う(←曖昧)
過疎ブログ管理人の私ながら、それを読んだ際には一般人っぽく複雑な気持ちになった。

おっさんは、仕事じゃ毎日当たり前にPCを扱っているものの、家のノートには全く触らない。
私専用である。
彼はネットの世界に少しも興味がない上、会社以外ではメールのやりとりさえしないからだ。
ブログを開設していることは一応話してあるのだが、
「また何やらPCに向かってごそごそやっとるな」
くらいにしか思っていない様子。
伜も同じ。
ブログを始めた頃はまだ家にいたが、高校男子は母親のしていることになど関心を持たない。
そ、やはり私の日記に削除依頼を出す人間はおらず、結局、残っちまうのである。

いや、伜に言っておけば、たぶんちゃんと出してくれると思う。
が、それは即ち中身を読まれてしまうということだったりする。
となれば、立つ婆跡を濁しまくりのくっちゃくちゃ、
「うげげっ、何ちゅうあほ晒しとってんこいつ、現実の姿そのままやんか!」
ひどく呆れるだろう。
ブログは残らずとも恥を残すんで、頼む勇気はない。

要は、自らの手でブログ削除、という踏ん切りがつかぬ以上、流れに任せるしかないわけで。
例えば、もし昨日不慮の事態が発生していたならば、うんこの話を最後に更新がストップ、
自分らし過ぎるにも程がある自分らしさを表紙にしてしまう破目になる。
誰も見に来なくなるまで四十九日もかからんとは思えど、流石にきまり悪かったりするのだが、
そういうことも覚悟しておかねばならないのである。

とか何とか大袈裟に言っているけれど…
「ほんっと、しょうもねえよなあ」
苦笑いを浮かべつつ、私は愛しているのだ、自分のこのブログを。

実際がとこ、何かにつけて劣等感を覚えてしまう私である。
また、実際がとこ、人の目を気にして気に病む、といった、うじうじ気質の私でもある。
それでも、自己嫌悪に苛まれるかと言えば、実際がとこ、否である。
「あー、もう、馬鹿馬鹿、私の馬鹿っ!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ることはしょっちゅうだが、絶対におのれを見捨てられない。
従って、このブログに刻まれている25㎝のよたよたした足跡や尻餅の跡も捨てられない。

私は、たとえくだらぬ呟きであっても、時の間に間に流れ去ってしまう感情を文字にしたくて、
今現在のナマの思いを誰に遠慮することなく日記として綴っておきたくて、ブログを始めた。
「そんなことジャポニカ国語学習帳にでも書いとけ」
てな話ばかりながら、中途半端な自己顕示欲によりネットの大海原に漂い、現在に至る。
当然、隠していること、伏せていること、ぼかしていることもいっぱいあったりする。
大体、自分の本名だってよう出さんわけだし。

でも、嘘は嫌だ。
嘘をついたら日記ではなくなる。
誰に遠慮することなく自分の思いをそのまま日記に綴っておきたい、という、本来の目的、
愉しみを失う。
何より、私が書いている文なのに私がいなくなる。

人さまからどう思われてもいい、などと断言できる度胸なんて、本当はない。
良く思われたいに決まっている。
ただ、良く思われなかった場合、
「それはそれで仕方ない」
と、自身の態度に抑制を利かす程度の理性はある。
ゆえに、嘘をついたときには、ばっさりとブログをやめるつもりだ。


まあ、何をつべこべ言ったところで、今日もこうして埒もないことを綴っているわけで。
はい、死後残るも残らぬもカンケーない、ただの物好きなんですわ。

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※注意※ 尾籠

楽天市場ってのも毎日飽きずにナントカセールだのナントカ祭だのを繰り広げておるところで、
利用したことのある個々のショップからばかりでなく全体的な広告メールもうざいほど届く。
原色の文字やごちゃついた画像が洪水の如くなだれ込んできて疲れるためあまり開けぬが、
ヒマな時間だと珈琲片手に覗いてみたりすることもある。

今日、そこに目を疑うような画像を発見した。














おいおい…
おいおい、これって…。

「まさかなあ」
と、ついそのショップへ飛んだら、まさかどころの騒ぎではない。
本当にうんこの携帯ストラップの商品説明が。

『みんな大好き金のうんこ』
だそうな。
『1500万個売れちゃいました』
そうな。
『全国にウンばらまいちゃいました』
そうな。


じとじととした雨の昼下がり、一服の清涼剤となった。

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謎の影

ゴールデンウイークも目前の或る日。

別に異常は感じていなかったのだが、
「そういや、長いこと検診に行ってへんなあ」
ふと気になり、かかりつけの歯科医院へ予約の電話をした。
伜にもやかましく言ってきたように、歯は全身の健康を司る、大切にせねばならん。

連休明けあたりに、というつもりが、ずいぶんな荒天だったせいでキャンセルが出たのか、
完全予約制であるにも関わらず、正午近くの時間なら当日即もぐり込めるとのこと。
思い立ったが吉日、レインパーカーを引っ被り、向かった。

まずはパノラマを撮った後、松崎しげるのシャウトの如く大口を開け、診て頂く。
で、
「いいですよー、歯にも歯肉にも特に目立った所見は無し。
 きちんとお手入れできてます」
菅直人似だがとても優しい先生のお言葉に、あざーっす、な気分。

になったのも束の間、
「ですがねえ」
お話にはまだ続きがあるらしい。
ビクッ。

「ですがねえ」
って、なんすか、先生?
声のトーンがヘンっすよ、先生?
私ゃ昨今そういうの、結構懲りてますねんけど…。

嫌な予感を裏切らず、先生は写真を指し、おっしゃった。
「下顎の骨に何かあるんです、ほら、ここ」
我が目にももやもやとした影が確認でき、
「あのー、何かとは何でしょうか?」
恐る恐る質問。

「うーん、現時点では、骨内に何かできている、としか言いようがないんですわ。
 口腔外科で検査しないと、心配ないともよくないともはっきりわかりませんし。
 連休明けにスケーリングしますんで、そのときに総合病院への紹介状をお渡しします」

意外なような慣れているような事の成り行きに、心の中にももやもやとした影がひろがる。
つい半月前、脳外の通院が間遠になったと喜んだ同じ病院へ、また別件で逆戻りなのか?
さあ、いくぜ! と、気持ちも新たに動き始めた矢先だってのに、堪忍してなあ。


何を今さら…もいいとこの言ながら、PCってのは実に重宝だ。
得たい情報を直ちに入手できる。
しかし、それは同時に、余計な情報まで知らされてしまう、ということでもある。
歯科医院から帰宅後、下顎骨の病についてざっと検索したら、暗然たる心地になった。

悪いことに連休明けの予約はびっしりらしく、スケーリング&紹介状を頂ける次回の診察は、
十四日の金曜午後、実際に口腔外科へ出向くのはさらにその翌週となるわけで、
「じれったいなあ…」
と、ため息。

ゆえに、田植えプラス同窓会でおとんが殆ど留守だったゴールデンウイークは、
「えーい、も、病関係の検索なんかやめやめっ!
 まだなーんもわかってへんのに、一人先を案じて鬱になってちゃどうしようもないわ」
ひたすら楽しいこと、笑えることを思い浮かべて過ごそうと努めた。
それなりには過ごせた。
私ゃ何しろアタマの軽さだけには自信がある。
ものは言いよう。


で、今朝、紹介状を携え口腔外科へ行って来たのだが。
改めてパノラマとCTを撮り、診て頂いたところ…なんにもない。
影がきれいさっぱり消失している。
???????
「全く何ともありません、安心して下さい」
先生はにっこりとそうおっしゃった。

一体あの影は何だったのであろう、人騒がせな。
ただ、菅先生が大変に慎重な方だということはよくわかったので、むしろ信頼が深まった。

ああ、やっとおとんにも話せる、しかも笑い話として。
約三週間、結構長かった。

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続・近頃気付いたこと

過去の栄光を語ること即ち現在の鬱憤を撒き散らすことである。

経験を誇る人の経験はフツーに一般的な経験だったりする。

年の功より鼈甲のほうが貴重。

バファリンの半分がやさしさでできているのであれば、とうに値下げしている。

他人に向けるやさしさの半分は、自分へのやさしさでできている。

大根を食べた後のオシッコは病的に臭くなる。

何かと揚げ足を取らせてくれる麻生太郎を実は密かに愛していた。

むっつり助平とがっつり助平は相性がいい。

“愛”と“恋”の違いについて熟考したところで、いたしている最中には思慮の外。

天は人の上にどんどん人を造って人を試す。

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近頃気付いたこと

空を見上げるときに口を開けない人は器用貧乏。

エコにうるさい人は何事によらずうるさい。

質問の多い人ほどその答えを軽んじる。

ものの例えは言ったもん勝ち。

ラッキーカラーというのはたいてい似合わない。

南沙織をそっくりそのまま青年にすると些か残念なことになる不思議。

自分のおならは臭ければ臭いほどより可愛い。

物を持ち上げるときに“どっこいしょ”と言うと余計に重くなる。

お酒はぬるめの燗がいい。

記憶なき言動に本性は宿る。

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母の日のドライブ

 昨朝。
「海だ、海海、海が儂を呼んどる、出かけるでー」
おとんが言う。
いろんなものに呼ばれるおっさんであることよ。

故郷に近い鳥羽か志摩かの海へ行くつもりなんだろうとは思ったのだが、
「ごめんやけど、頭之宮さんにお参りしたいんで、そっちのほうの海にしてくれやん?」
「お、んならそうしよ」

頭之宮さん(頭之宮四方神社)へは、
kisuke234.blog102.fc2.com/blog-entry-184.html
のように、一年ほど前、たまたま寄せて頂いた。
その際受けた勾玉形のお守りが何だかとても好きで、どこへ行くにも身に着けてきた。
頭をはじめ首より上の病から守って下さると言われ、受験の神様としても名高いこの神社、
当時はなーんも考えず参拝したものの、その後あれやこれやあったわけで、
「一度お礼参りに行きたいなあ」
ずっと気になっていたのだ。

どこを走っても緑が眩しく光るこの時季のドライブは、実に気持ちいい。
だっさいクルマに対する、
「なにたらたらしとんねん!」
という文句さえ引っ込む。
(
ちょっとは言ったけど)
紀勢道が大内山まで開通したおかげで嘘みたいに便がよくなった。


で、海。
海だ。

波打ち際だ。 

澄んだ水の後にナンですが、はい、ちょっとお邪魔しますよ。
ババアだ。
本当にお邪魔でしたか、そりゃどうも。

久しぶりの海、釣り人がいるにも関わらず、
「ヤッホー、ハイホー、ヨロレイホー!」
場違いな喜び方をしてはしゃぐ。

静かな漁港のほうへ回り、
静かな漁港
テキトーなお店にてお昼ごはん。


頭之宮さん。
頭之宮さん 

参拝後、また『頭之水』を頂く。
頭之水 

清き流れの唐子川。
唐子川
神様、お礼と共に盛り沢山なお願い事、ごめんなさい。


さて、昨日は『母の日』。
義母にはいつもお花を贈ってきたのだが、どういうわけか今年は、
「なんにも要らん」
予め電話が。

義母も寄る年波にこのところ少々気難しくなってきており、
「贈ってもまたぶつぶつ言われるよって、やめとき」
と、おとんはあっさりしたもの。
そのため手配もせぬままでいたことがやはり気になっていた。

「ちょっとばあやんの顔見てこ、私、ずっとお墓参りもしてへんし」
今度は実家へとクルマを走らせる。
某老舗で義母の好きな和菓子を求め、こんにちは。
和菓子よりお墓参りに寄ったことを喜んでくれた。
しょうもねえ嫁なのに…ありがとうございます。


おとん、またまた楽しい一日をおおきにさんでした。

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ゆるかわな森ガール

まだ寒い頃、楽天の二つのショップで服を買った。
シャツチュニックとスキニーパンツ。
通販で衣類を購入したことはなかったのだが、大セールの叩き売り価格だったのでつい…。
それでも、手に取った商品は、案外ちゃんとしたものだった。

以来、その二つのショップより頻繁にお買い得メールが来るようになった。
そして、少し春めき、新商品セール開催中、などという報せが届くと、やたら目につく言葉が。
『ゆるかわ』と『森ガール』である。
これらを謳い文句にした服がいっぱい。

モデル着用画像は見ているわけだし、若い娘さんの間じゃそういう雰囲気がウケてんだろう、
程度に思ってたが、女の子を育ててないんでそういう雰囲気ってのがどういう雰囲気なのか、
実際のところ、今ひとつよくわからない。
あまりに多用されているため言葉自体が気になり、検索してみた。

『ゆるかわ』とは、端的に言えば、ゆるくて可愛い、という意味だそう、そのまんまやがな。
頑張り過ぎないのに可愛くてナチュラルなライフスタイル及びファッションを指すらしい。
また、『森ガール』は、森にいそうな女の子、という意味、同じくこれもそのまんまである。
私にしてみりゃ、森にいそうな女の子の代表格ってのは、『もののけ姫』のサン。
だが、『ゆるかわ』と『森ガール』は重なる点が多いようで、いずれも妖精タイプなんだとか。
やっぱりよくわからなかった。

まあ、演出ってのも重要だ、少しでも可愛く見られたいという気持ちはちっとも悪かない。
若い娘さんたちが素直に流行を取り入れ、妖精の雰囲気をまとうべく服装に気を遣うのは、
まことにいじらしく微笑ましく愛すべき姿だと思う。
自分に娘がい、なーんか似合わねえなあ、と感じても、口出しはせず黙って見ているであろう。

しかし、私にそんなのを買えとじゃんじゃんメールを送ってもらっても困る。
いや、ゆるかわでもゆるふんでも森ガールでも森光子でも森進一でも別にいいんだけどさ、
それこそ鬱蒼とした森の奥深くでしか着られぬではないか。
で、ひょっこりクマに出くわしたりしてな。

めんどくさいので配信停止にした。

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風薫る五月

田植えプラス同窓会でおとんは不在、でも、明日には帰ってくる。
「今年もまたお疲れさまです」
殊勝な言をひとりごちても、自身は一滴の汗水とて流さずヘラヘラしておるわけで。
お気楽過ぎますな、堪忍堪忍。

お気楽ついでに爪でも綺麗にしてみようか、と、マニキュアの瓶を探したのだが、おいおい、
コテコテに固まっとるやんか、使い物にならへん。
『 ♪ つンめーも染めずにいてくれと 女が後から泣けるよなー 』
懐かしの中条きよしなど口ずさみながら、
「こりゃあかんわ。
 マニキュアの一本くらい買ってこやんと、そのうち本当にヒゲとか生えてくるかもしれん」
めっさおっさん臭い自分が可笑しくて、静かな家の中でひとりクスクス。



実家の母親はやたら面白がりな人間。
私のちょっとした冗談にもすぐに反応し、笑い転げたものである、ときに涙までも滲ませ。
そして、丸顔で小柄な母親と瓜二つである姉は、そういう明るい性格もまるごと受け継いだよう、
大変なおゲラさんだ。
それに比して私は、尖り顔で大柄で、暗いとは思わんけど明るいとも言えん性格。
だが、こんな私であっても、やっぱり少しは母親の血が流れているのかな…。
ふとそんなことを感じ、何だか楽しくなった。

身内褒めってのはあんまりみっともいいことじゃないけれど、私は、ノーテンキな母親や姉に、
「ペコちゃんみたいな下膨れの顔して、あの人ら、女の中の女だな」
いつもいつも胸の内で感服していた。
恥ずかしながら、素敵だな、と見惚れるときさえあった。
だって、いつもいつも、あったかいんだもん、あの人らの笑顔って。



思う。
私は、そんなあったかさを、おとんや伜をはじめとする愛しい人々に向けてきただろうか。
否、である。
好きで好きでしょうがなくとも、好きという感情を自身の内に蓄積してきただけのこと。
私は、私が笑いたいときだけ、笑っていた。
好きで好きでしょうがなくとも、その人に向ける気持ちは、ちっともあったかくなかった。
私は、私の愛しい人々に対してだって、自身が覚えるあったかさばかりを大事にしていた。

で。
他の動物と違い、笑顔という表情を顕せるヒトとして生まれたんだから、笑わなきゃいかんな、
珍しく優等生発言なんかしちゃったりして。

五月って、なんか、いいな。

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古い新作

出来た。
昭和三十年代風ワンピース。
生地はウールギャバジン、総裏付き。
細かい畝が走っているため結構縫いにくい素材だった。

レトロワンピ

自分で言うのも厚かましいが、さっき試着してみて、
「お、これはなかなか」
などと喜んでいた。

なに、古臭いデザインがしっくりくる古臭い奴、ってだけのことだ。

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GW

GWである。

おとんは、毎年恒例の田植えで昨日から実家に泊まり込み中。
伜は、
「暇な連休こそ稼ぎ時、バイトのシフト、組み替えてもうたわ」
などと言っていたので、帰省はしないようだ。

で、衣の入れ替えやら窓磨きやら裁縫やら想練りやらに勤しみ、一人地味に過ごしている。
地味な人間にはぴったりのGW、これもまた良し。
地味な人間のくせに度々要らんことで波乱を起こすわけで、地味な時間ってのは実に貴重だ。

爽やかな好天に恵まれた、ありがたいGWである。

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