茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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図々しいったらありゃしない

私はあまり傷つくってことがない人間である。
ババアになって傷つくだの何だのと口にのぼせる自体失笑もんだが、若い頃からそうだった。
鈍感な上、自分が傷つくよりそんな気分にさせようとする相手への腹立ちのほうが先に来る。
つまりは図々しいのだ。

それでも、何となくうじうじしてしまうときは結構ある。
うじうじしている自分の心の中をうじうじと覗き込んでは、
「私って、コンプレックスのカタマリなんだなあ…」
重ねてうじうじ。
その際、【U】・【J】・【I】の三つのキーまでうじうじくっついている事実に気付いていたならば、
もっとうじうじしたかもしれないが、これについてはたった今、
「あら、うじうじ、ってえらく打ちやすいワ」
と感じたところである。

ヒマ人は前置きが無意味に長くなっていかん。
無意味に長い前置きから今度は急に、それを言っちゃあおしまい、てな話へ飛ぶのもいかん。
だが、何となくうじうじしてしまうときってのは、結局、うじうじしたいからうじうじしているんだろう、
と思う。
巷でも、しょっちゅう物哀しさを訴える人や、やたらと悩みを表立って語る人を見かけるが、
じっと言を聞いていると、本当は好きでやってんじゃないか、と疑ってしまったりもする。
「そんなのあなたに関係ないことじゃん」
ハテナと首を傾げたくなるような事柄まで“ジブンの”物哀しさや悩みに結び付けているからだ。
そして、私のうじうじの正体は、薄っぺらな後悔である。
後悔という、現在には関係ないこと、今さらしたってしょうがないことにわざわざ嵌り込み、
過去の自分への憂鬱を味わいつつ現在の自分を庇う。
コンプレックスのカタマリなどという或る意味謙抑な者ではなく、自己愛のカタマリってわけか。

さらに、一晩寝れば、過去の自分なんて知ったことかよ、とケロリ。
やっぱりどこまでも図々しいのだ。

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腹の中真っ黒、という根性悪さの問題とは別に。

数日すっきりしなかったためピンクの小粒を服用したら今度はピーになった。
出ないときは、
「あー、もう、気持ち悪い、食欲湧かへんやん!」
とぼやき、出過ぎれば出過ぎたで、
「せっかく摂取した栄養分をどうしてくれるんだ!」
やっぱりぼやく。
悪口を言い始めたら止まらん点で、前世じゃ浅香光代と親子だったに違いないと思っていたが、
ここにきて人生幸朗の線も浮上、どっちにしたって古い。

とにかく。
これ以上体重が落ちてはどもならん。
若い人ならば、痩せる=スタイルアップ、てなことになっても、トシ食ってくるとそうはいかず、
『貧窮』・『落莫』・『悄然』・『逼塞』といったうら寂しい単語ばかりがよぎる身体つきとなる。
時代劇でよく老武士が、
「いざとなればこの皺腹を掻き切って…」
などと言っているが、
「なるほど、皺腹というのはこれのことか」
お風呂でしげしげと実物を眺めたりするのもうら寂しい。


で、数ヶ月後には、
「誰かこの肉をもらってくれ!」
とかぼやいていたりすんのな、実際、ババアの腹くらい変わりやすいもんもないし。

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人恋しくても

ごくごくごくたまーに、だが、やたら人恋しくなるときがある。
人に会いたくなるときがある。
連休前、大した話ではないものの一寸へこむ出来事があり、一時的にそんな気分に陥った。

ただ、身近な誰々さん、は、該当しない。
当ブログで頻繁にこき下ろしている苦手なシュフ様たちばかりでなく、優しいいい人であっても、
身近な誰々さん、たちとは、きっちり一線を引いたお付き合いにとどめたいと思っている。

女性はいくつになっても“知りたがり”だ。
でも、私は、他人からあれこれ突っ込んだことを訊かれるのが好きではない。
優しいいい人の場合は、相手を理解したい、という真面目さゆえに知りたがるんだろうが、
「言いたくないことまで訊かんでくれ」
「言いたいことならとっくに自分から言っとるわ」
密かにこんな言葉をひとりごちてしまったりする。
勿論、表面上はにこにこ、それだけに、だんだん重荷になる。

もしかしたら、私は、苦手なシュフ様たちにだって救われているのかもしれない。
何ら罪悪感を持つこともなく存分にこき下ろし日記が書けるわけで、よくよく考えてみれば、
悪口が大好きな私にはとても釣り合った人々なのである。
一方、優しいいい人ってのは困る。
正直、誰の悪口を言ったところで本当は罪悪感なんか少しも持たないクソババアなんだが、
悪く言う自分が悪く思われるから悪く言えん。
いやはや、腹の中真っ黒、だな。


いきなり冒頭に戻る、双六か。
ごくごくごくたまーに、だが、やたら人恋しくなるときがある。
人に会いたくなるときがある。

けれども、いくらそんな気持ちになろうがどうしようもない。
若くして鬼籍に入ってしまわれた恩師だったり、遠くNYで暮らしている幼馴染だったり…
私の会いたい人は会えない人ばかりなのだ。

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既踏

先日の『未踏』に対しこんなタイトルをつけてみたのだが、言葉の響きが少々残念だ。
・・・・・・・・・・どうでもいい下品な前フリはこれくらいにして、どうでもいい本文に入ろう。

カフェに行ったことがないばかりでなく、結婚後、フレンチやイタリアンのお店とも疎遠になった。
チーズ等乳製品全般が苦手なおっさんだってこともあるが、やはり夫婦揃って田舎もんだから、
というのが一番の理由。

ちょっと気取ったお店へ行こうとすればドレスコードとか鬱陶しい話が待ち構えており、
「いっそおっさんは紋付羽織袴、私は留袖に金襴緞子の帯締めて行ったらどないや」
極端なことを考えたりするし、カジュアルなお店でも何故か肩が凝り、
「箸をくれ、箸を」
と言いたくなる。
独身の頃は背伸びがお洒落だと思い込んでいただけのこと、私って本当はでらだせェ奴なんだ、
そう気付いた。

しかし、人間、それならそれで新しい世界が拓けるものである(また大袈裟な)
背伸びがお洒落だと思い込んでいた独身の頃には一人じゃとても入れなかった渋いお店が、
おっさんと一緒であれば、諸手を広げ、ウェルカム。

こことか。   【伊勢・まんぷく食堂】
伊勢・まんぷく食堂 

こことか。   【鳥羽・西村食堂】
鳥羽・西村食堂 

こことか。  【米原・忠太郎食堂】
米原・忠太郎食堂 

こことか。  【伊良湖・大松屋食堂】
伊良湖・大松屋食堂 

こことか。  【金沢・船員厚生食堂】
金沢・厚生食堂 

こことか。  【宮津・富田屋】
宮津・富田屋 

こことか。  【難波・千とせ】
難波・千とせ 

どこも、しっくりと来て大好きだ。

初めのうちは新鮮な気持ちというのが勝っていたようにも思うけれど、
めし 
現在ではこういう文字の書かれた看板を見かけると血が騒ぐってな体質になってしまった。

ついでながら、今日の晩御飯は『千とせ』の肉吸いもどきをこしらえる予定である。

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なんじゃこりゃあ!

今日は全国各地でこんな叫び声が上がったのではないか。

ティッシュをまとめ買いすべくジャスコに連れて行ってもらおうと表へ出たら車が悲惨なことに。
(全然関係ないけど何でうちのおとんはジャスコのことを『ジャンジャンジャスコ』と呼ぶのだろう)
げげげっ 
たいがいにせんかい黄砂。
何やら工藤静香まで小面憎く思われてくる。

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未踏

大きな声では言えなくとも、小さな声なら言いたくなっちゃうつまらん私事ながら。
実は私ゃ、“カフェ”というところへ行ったことがないんである。

まあ、相変わらず未だにケータイを持っていない、という凄まじいシーラカンスっぷりなんで、
何事によらずな推して知るべし感も漂うけれど、ケータイ自体については、
「半ヒッキーがそんなもん持って一体何をするんだ」
という申し開きが立つ。
が、カフェへ行ったことがないってのは、いかにも小心な田舎者臭まで芬々、一寸面白くない。

お洒落なカフェも勿論のことだが、ここ数年大変な勢いで増殖している“マクロビオティック”、
“オーガニック”等のカタカナ語を謳うカフェ、これらには殊に尻込みする。
何穀米とか何豆のナニとか自然“道”っぽくて面倒そうな上、救荒作物の生えた痩地を連想。
郊外のカフェでは、
『緑に囲まれ、ゆったり時が流れる贅沢な空間』
などと、自然との融和もはかっているが、おのれの不自然さばかりが際立ってしまいそうだ。

それと、私は、おなごであるにも関わらず甘いものを好まない、ケーキは特に。
新婚の頃、他愛もないことで冷戦になり、会社の先輩の
「ケーキでも買うて帰りぃな、うちの嫁はんはそれですぐ機嫌直すでー」
というアドバイスに従ったおっさんは、
「こんな嫌がらせってある?」
逆にわーわー砲火を浴びる結果となった。
内心じゃ、心ないことをした、とは思うものの、以後タコ焼きや焼鶏・手羽唐に切り替わったし、
謝りもせぬまま過ぎてしまっている。
子どもの前で親の不和を見せつけることほど罪な所業はないんで、伜が生まれてのちは、
そうならんようにしてきたってのもあるが、何だかんだ言って、
「ラッキー! わあ、タコ大きい!!」
…食い気優先だったてなフシも。
厚かましいことこの上ない。

えらく脱線した。
とにかく。
たとえ身体に良さそうなケーキであっても食指が動かぬし、むしろ自然“道”的な点において、
「ケーキのくせにいちいちありがたがれってか?」
理不尽ないちゃもんをつけたくなるかもしれない。
で、先に述べた、半ヒッキーがケータイ持って一体何をするんだ、ってのと同様、
「ケーキ嫌いがカフェに行って一体何を堪能するんだ」
という疑問にぶつかるのである。

何だかカフェに批判的な拗ね者のごとき文になってしまったが。
行ったことがないからこそ斜めに文句を垂れているだけで、行ってみたい気持ちはいっぱいだ。
行ったらころっと礼賛者に変わったりしてな、ありがちな話やて、私の場合。

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フツーのものが欲しい

一着、服が出来上がった。
と言っても、全然面白味のないごくフツーのセミタイトスカートである。
しゃりっとした春・秋用の薄手ウール、一応真面目に裏地を付けた。
セミタイトスカート 

私は年齢の割に結構デカい奴、あくまでもそういう自分のために作ったものであるからして、
既製品と比べりゃ些か丈が長く、バランスがちと変なのだが、 “型”ってことだけを考えると、
何の変哲もないシンプルなスカートほど色々なトップスと合わせ易く、着回しが利くように思う。
なのに、外で探しても案外見つからないんだよな、こういうごくフツーのものって。

流行についていけぬ婆の言い訳かもしれん。

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会話

ついで仕事で構わないから縫ってほしい、と頼まれていた色んなサイズの巾着袋について、
伜より電話が。

「おかん、あれ作ってくれた?」
えらく雑に訊くんで
「あれってなにー? もしかして男とかー?」
てれーんと訊き返したのだが、母親のしょむないボケには慣れっこ、時候の挨拶の如く流す。

甘いぞ、伜。
これは、
『質問とは、先ず、おのれの側が意の正確な伝達を思料することにより始まる。
 その姿勢なくして有益な答えは得られない』
という、まことに尊い教えなのだ、精進せよ。

なんてことは言わんかったけどな、さすがに。
何しろ“あれ”・“あの人”等、曖昧な言を一番多く発するのは当の私なのである。
それも、わかっているはず的に使う伜とは異なり、
「えっと、“あれ”は何ていうんだったっけ」
「はて、“あの人”は何て名前だったかしらん」
なかなか出てこぬため“あれ”やら“あの人”やらのまんまで押し切るといったお寒い状況。

まあ、伜は若いだけあってそれなりにエスパーできるからいい。
「なあなあ、“あれ”っていくらくらいすんのやろ、あの、紙をガーッと麺みたいにする“あれ”」
と訊けば、
「シュレッダーな、今は安いのんもあると思うでー」
どうってことなく答えるし、
「ほらほら、“あの人”、アゴは長いのに名前は二文字の“あの人”ってさー…」
と言いかければ、
「何や、要潤がどうした?」
すぐにぴんとくるんで手間がかからない。

困るのはおっさん。
お互いのさす“あれ”や“あの人”が一致せずアンジャッシュのような会話になるときがあるのだ。
で、
「おい、おかーさん、あんた、俺の言うとることわかっとんの?」
「はあ? おとーさん、なーんか話がくっちゃくちゃやでー?」
ハテナな顔を見合わせてしまう。

ただ、食い違ったら食い違ったで食い違ったままに話そのものがどんどん横道へ逸れてゆき、
どうでもいい地点でやたら盛り上がることも。
気が付けば本題などどこへやら、てか、何が本題だったかさえも忘れ、げらげら。
その度、
「長年の誼ってのはむしろこういうことなんかもしれんな」
と、ずいぶんないいかげんさにしみじみする。

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くさいのに、好き

表面上は、
「おいちょっとくさくね?」
てな顔をしてみせつつも、その実好きでたまらん曲、というのがある。
例えば、『 I’m proud 』。
いい歳こいて、と笑われようが別に聞こえるわけでもないんで安心だ、是非ほっといてほしい。

特に、
    【  どうしてあんなに夢が 素直に見れなくなってた?
       街中でいる場所なんて どこにもない 身体じゅうから愛がこぼれていた 】
このフレーズは胸に響く。

若けりゃせめて夢くらいは素直に見たい、でも、なかなかそうはいかない。
素直とか純とかいう心のありようほど難しいものはないから。
だが、愛情を手にし、素直に夢を見るその“今”を誇れる喜び、たとえ束の間の凱歌であろうと、
“今”に華やぐ若い女性の瞬間の美しさを映した小室、ドラマチックに歌い上げたトモちゃん、
やっぱり凄いと思う。

尤も、当時の小室&トモちゃんの“ストーリーの作り方及び売り方”に批判的だった人ならば、
少々抵抗を感じるかもしれないし、現在に至るまでの両者の浮沈・変転を思うにつけ、
複雑な感慨に耽ったりもするのだが、それでもなおこの曲に留められた心情はいとおしい。
何だかちょっとくさい分だけ余計に。

だって、過去というのは常にちょっとくさくて恥ずかしいものではないか。

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甘えん婆

師走の手術で脳動脈瘤にコイルを詰めたわけだが、それが外れるとまた厄介な事になるんで、
定期的に検査・診察を受けている。
脳外科とは生涯の腐れ縁になるにせよ、通院の間隔が徐々に延びてきており、うれしい。

ただ、コイルが外れると云々…って、どこか『落石注意』みたいな話ではある。
あの標識を見かける度に、
「そんな注意なんか石サイドにこそ強く呼び掛けてくれっ」
と呟いちゃう私は、はい、何にでもツッコミを入れたいだけの単なるお調子者でございますよ。

それよか。
現在は、貧血がうざい。
先日、運転免許の更新のため、通常片道徒歩二十数分の警察署へ。
足慣らしにちょうどいい距離だし、たらたらとゆっくり歩いたのだが、にも関わらず、へばった。

ま、何らかの事情で体力が低下すると、それより三拍程遅れて貧血の症状が表れるのも常、
はー、相変わらず情けねえワ、などと落ち込みつつ、かかりつけの医院で点滴をして頂き、
「いったいいつになったら独りであっちゃこっちゃ出歩けるんかしらん…」
おっさんと同い年の先生に些か甘ったれたことをぼやいたら、
「変に焦って感染症拾ってもあかんやんか。
 もうしばらくはおとなしぃしとこに。
 これかてほんまにシャキシャキ元気になるための我慢なんやでな」
二十年近くお世話になっているだけあって“よしよし”口調でおっしゃる。

ほんのり恥ずかしさを覚える一方、
「両津勘吉の眉間の如く世間の狭い私だが、出会いってもんには実に恵まれておるなあ」
しみじみそう感じた。

それに、トシをとると、このようなやさしみを向けられること自体、おそろしく貴重になってくる。
ありがたやありがたや…だ…じゃらじゃら(←数珠を揉む音)。

 

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