茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

続・正視

これははっきり悪口なのだが。
ネットの某所で私とそう歳の違わぬおばさんが、やはり彼女と同い歳位のおっさんを父に擬え、
「私は悪い子でした」
などと言っており、食当たりを起こしたような心地になった。
いくら顔がわかんない世界だからって、さすがにそりゃないぜ。


で、ヒマ人の私は、もしも自分が同い歳のおっさんに、
「おかあさん、僕は悪い子でした」
こう言われたらどんな気分になるだろうか、と、しばし考えた。

この人だったら…
慎吾ちゃん 
たいがいにしとけ、である、あばよ。


この人だったら…

良純 
外すのは天気だけにしろ、と思う。


この人だったら…


温水さん 
この人は、実は私より二歳年下なんだが、それでもなおヤメレと言いたい。


この人だったら…
宅 
黙って逃げる。


この人だったら…

宇梶 
三連パラリラ鳴らして逃げる。


この人だったら…

トヨエツ 
ううむ…もしかしたらゾクッと来るかもしれない。


この人だったら…

芝田山親方 
…意外に可愛いとか思ってしまったらどうしよう。


だんだんやばくなってきた、朝っぱらから遊んでないで真面目に掃除しよ。

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正視

ブログってのは、楽ちんだなあ、と思う。
無能頑愚な人間がその時々に感じたことをただ漫然と綴っている実にしけた場所なんで、
黴臭い空気が充満してはいるものの、ちゃんと自分と向き合いものを言えているわけだし、
私はそれで快適だもんね、人のことなんかシーラネ。

ただ、かつて某掲示板等、人の集まるところに投稿をしていたときも、まずはおのれを見る、
ってか、虚栄虚飾に走ることだけはすまい、とは、わりと真面目に考えていた。
まあ、人さまの目にさらすのも申し訳ないような独り言めいた書き込みばかりしていた人間、
偉そうなことなど言えぬが、それだけに、自身が重々承知のおのれのしょうもなさに蓋をし、
懸命に立派に見せようとするのは、労力の無駄遣いになりこそすれ得るものは何もない、
そう感じていたのである。

勿論、たとえ顔を隠し名を伏せられるネットの世界であろうと、
「理想の自分を描くなんてめんどくさいワ」
といった、普段から言っている通りのものぐさな性格が大きく関わっていたことも否めない。
だって、背伸びって、そうしたことにより常に辻褄を合わせる空虚な努力が要るじゃん。
だーれがそんなめんどくさいことするかい、ってなもん。
結局のところ自分が大好きな奴、人に好かれることよりも自分のキモチが大事なのだよ、私ゃ。

ゆえに、私が、
「人へのこころくばりを欠いていました」
とかいう殊勝な発言をしたならば、それは即ち、
「あ、家にエアギター置いてきちゃった」
ってのと同義になる、はい、すみませんねえ。


再び。
ブログってのは、楽ちんだなあ、と思う。
だが、 同時に、
「私は、自己を正視するためにブログをやっているのかもしれないな」
と思う日もある。
極々たまーに。

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続・求む、画像

昨日の電話ではかなり呆れた様子の伜だったが、今朝早く、

『 よく探したらあったぞ。 』

というメールが。

コボちゃん 

見てみたところ、実際とはずいぶん記憶を違えていたため、

『 ごめんごめん、コボちゃんの母じゃなくておばあさんだったんだね。
  ありがとう。 』

折り返し謝意を表したら、

『 あやまるポイントが微妙におかしい気がするんだが。。。 』

との返信。

何にしても手に入って良かった、大事にしよう()

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求む、画像

『 ○○くん。
 コボちゃんの母が隣の部屋にいるコボちゃんを呼びつけ、
 そばにきたところへ無言で屁をかます、という四コマ漫画の画像、
 今でもPCに保存してあったら送って下さい。
 よろしくね♪ 』

というメールを伜のケータイに送った。
私は変な画像の収集を趣味としているのである。

暫くして、
「あんたのおかげで当分“コボちゃん”て呼ばれそうやわ。
 なーにが、よろしくね・おんぷ、や。
 コボちゃんの母並みの用件やんか」
電話で苦情を言われた。

メール到着時、しょうもなさすぎる内容に、
「何を考えとんのや、この人は!」
つい声を上げたら、サークルの先輩たちが何だ何だと覗きに来て大笑いされたとのこと。

肝心の画像は既にないそうだ、残念。

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便所の電球

昨日、最終説明があり、開頭ではなくコイル栓塞でいくことにした。
再発率を考えると一般的には開頭クリッピングが確実なのだが、私の場合は一寸まずい。
ひとことで言えば、できどころが悪い、のである。
眼動脈と脳動脈が枝分かれするところ、しかも頭蓋骨のすぐ陰に位置しているらしく、
切開後、骨にドリルで穴を開ける際の熱によっても破裂しやすいわけで、そうなったときには、
頚部を開けて止血せねばならずなかなか危険だし、それとは別に右目失明の恐れもあり、
意外と難しい手術なんだそう。

ただ、コイル栓塞にしても万一失敗となれば開頭に切り替わるし、また、何年か後に再発し、
結局は開頭しなきゃならなくなるかもしれないが、
「初めからリスクの高いほうを選ばんでも」
という、おとんや伜の強い反対もあり、こう決めた。
うまくいけばそれに越したことはないからな。
いずれにしてもやってみなきゃわからん話なんで、んじゃ、やってみましょか、ってとこである。
コイル栓塞のほうが身体への負担も少ないんで、経過さえ良ければ家で年越しできそうだ。


伜には入院の直前に話すつもりだったのだが、
「離れて暮らしとるからこそきちんと説明したらなあかんし、意見も求めなあかん」
というおとんの言により、日曜日、会いに行ってきた。

話をするうちに、
「なんなんや、それ…」
と、半ベソかいたような声を出すので吃驚。
いくらお騒がせな迷惑ばばあでも、母親は母親なんだろうか…すまんの。
けど、久々に会えてうれしかった。
親馬鹿ちゃんりんだが、少し見ない間にえらく男前になったような気がした。


それにしても、全く気弱になりもせず、へらへらしているのが我ながら笑える。
私ゃ無能で、イキイキと輝く素敵な奥様じゃない代わりに、真っ暗に落ち込みもしないのである。
常に40Wくらいの人間、昔の便所の電球みたいなもんだな。

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穏やかな立冬だった

詳細の決定は十日ほど後だが、とりあえず来月の中頃に手術の運び。
特に不安も感じていないし、今回検査を受けてすっきりした。
この歳になれば、いろいろあるさ。

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傲慢

明後日は病院にて一泊するわけで、まあ私は若い頃から入院だの手術だのには慣れており、
ここ二年余の間にもちょこちょこあったため、たかが検査入院なんぞ今さら屁とも思わんのだが、
どこへしまい込んじゃったものやら、前回の入院時に持参したプラスチックコップが見つからず、
久々に一人でスーパーへと買いに出かけた。

澄んだ風がやけに冷たかった。
銀杏の葉が色づいていた。
西の山脈がくっきりと鮮やかだった。

少しばかり、
「私って、孤独なばばあなんかもしれんな」
などという自嘲を覚えたが、そのぶん、空気も風景も近しく感じられた。

外へ出るのが億劫という理由だけで二週間くらい家に引き籠り、ちくちくと刺繍をしたり、
おとんがいるときまとめ買いに連れて行ってもらった食材を下ごしらえして冷凍保存したり、
幽霊みたいな生活を送っていたものの、体調が悪ければよくあること、特に珍しい話ではない。

元々こういう不景気な奴なのだ、しゃっきりした奥様方から見れば色々意見をしたくもなろうし、
憫笑や茶化しをくれたくもなろう。
それで人付き合いとかやめちゃったんだけど、いっこうに構わない。
腹立ちを抑えるのは割に簡単だが、有難くもないのに感謝の言を返さねばならんのは苦痛だ。

何より、自分が努力していることをしていない人間というのはむしろ傲慢に見えるもの。
でも、私としては、傲慢上等、これ以上卑屈になりたくない、ただただそう思うのである。

そう、好きでもない人々なんかによって孤独感をもたらされるほど私は卑屈な人間じゃない。

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失恋の特効曲

お盆のことだが。
実家の23歳になる姪っ子とわはわはお喋りしているうち、何故か、
「失恋したときにはどんな曲を聴くのがいいのだろう」
てな話になった。

婆にとっちゃどうでもいいお題ながらくだらん事柄に限って真面目に沈思する性向の持主ゆえ、
黴の上にサルマタケまで繁殖している記憶と照らし合わせ、帰宅後もあれこれ考えていた。

…古いところじゃ中島みゆきの『わかれうた』やら『ひとり上手』、『りばいばる』等を聴けば、
 そのまんまドツボに嵌ってしまうであろう。
 かと言って『I’m proud』なんか聴いちゃった日には小室に投石したくなること必至。
 また、
 「ひゅーるりぃー ひゅーるりぃーららぁー」
 みたいな演歌特有の古臭いヒロイン気分に浸るのも嫌だ。
 けど、『日本全国酒飲み音頭』でヤケクソになっちゃ、それこそ人格そのものの崩壊だし…

で。
新旧さまざまな詞・メロディー・歌声を思い浮かべているうち突然甦ったのがこれ。



この大友裕子という人がデビューしたのは高校生の頃。
ハスキーなんてもんじゃないドスのきいた嗄れ声に度肝を抜かれた。
後にヒットした葛城ユキの『ボヘミアン』も元は彼女が歌っていたのだが、当の『傷心』を始め、
『手切れ金』だの『死顔』だのやたらヘビーな作品が多く、十代のムスメには馴染めなかった。

可愛げもクソもなかった人間なんで、どろどろ粘度の高い恋愛も知らずに過ぎてきたのだが、
自分なりに安っぽく傷ついたことは何度かある。
そんな或る夜、ラジオからこの『傷心』が流れて来、しいんと最後まで聴き入った。

          【   同じベッドで眠って 同じ朝を迎えた
              だけど互いに違うこと 考えていた
              今まで何度も 恋をした
              だけど あなたとなら 死んでもいいと思った
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
              同じ夢を追いかけ 同じ風に吹かれた
              だけど互いに違うこと 考えていた
              なんにもしてやれなかった
              だけど あなたとなら 死んでもいいと思った
              あなたとなら 二人なら 死んでもいいと思った   】

そこでふと口をついて出たのは、
「うーん、死ねんな…」
という言葉である。
歌詞の意味とはとんでもなくかけ離れているんだが、
「もし彼に『一緒に死のう』と言われても、絶対死ねんかったわ」
おのれの涙に酔う心の裏側で正直にそう感じていた。

そして、
「結局、そこまで好きじゃなかったんだよね。
 だったら、ぐずぐず泣くまでもないか」
こう自分に言い聞かせ、何とか区切りをつけようとした。

勿論、誰に『死のう』と言われたところで私のように利己的な人間が承諾できた筈はない。
「そんなもん単独でやれ、岩清水弘だったらきっとそうしてくれるぞ」
と、即座にトンズラである。

考えてもみよ。
「一緒に死にたい」
「死ぬほど好き」
「死んでもいい」
とか叫んだって、それは瞬発的に滾る“思い”だからこそ美しいのだ。
醒めてしまえば甘ったるい恥ずかしさが残るだけの“思い”を実行に移すなんてつまらん。
実際、どうせ恥につながるなら、腹下死でもしたほうがよっぽど気が利いているではないか。
たとえどれほど周囲に迷惑をかけようが、私本人はしゃらーっと極楽往生、ってやつな。

ともかく。
失恋したときには胸やけするくらい過激な曲で我に返るのも手である。

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