茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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運動

先日久々に会った伜にも言われたのだが、何だか筋肉の落ちた不健康な脚になってしまい、
少しは鍛えねば、と考えていた。
が、この時季、いきなり外へ出てよろよろウォーキングをしても行き倒れの婆になりそうだし、
急な雷雨も嫌だ、まずは室内で暗く地味に踏み台昇降運動でもしようかな、と。
当初は古い電話帳を重ね、ガムテープでぐるぐる巻いて台にするつもりが、地方の悲しさ、
一冊一冊が薄いため高さが足りんぞコラ。

で、日曜日、近所のホームセンターで買ってきたコンクリートの塊800円也。
裏手のU字溝・側溝コーナーみたいなところにひっそり積んであった。
踏み台 

わざわざおとんに重たい目をさせて運んでもらいながら、
「こんなもんリビングに置いとくのって、なんか、邪魔くさ…」
二日間、横目で眺めるのみだったが、今朝、ちょっとだけ試しにやってみた。
そして、素足じゃ硬過ぎて踵を痛めかねんことに気付いた。

室内で履けるよう今度はスニーカーをゴシゴシ。
乾かん。
いつになったら梅雨が明けるんだ、とかブツブツ。
何かと泥縄風味の人間である。


ところでこの頃記事の文字が勝手に濃くなったり薄くなったりするんだが、何でかしらん。

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自己愛

近所のヤンキー中坊なのか、こんな真夜中にパンパン爆竹鳴らしやがったため起こされてもた。
ワーワーつるんでないで、どうせなら一人素っ裸になって喚くくらいのことをしてみろ。
背中向けてそばにいてやる、人が来たらさっと幕張ってやる。
昨日、草君が地デジのイメキャラに復帰したと報じられていたが、一瞬楳図先生かと思った。

中途半端な時間に目が醒めると、ロクなことを考えない。
なんでこんなにつまらない人間なんだろう、とか。
なんでこんなに無能なんだろう、とか。
なんでこんなにチキンなんだろう、とか。
なんでこんなに卑屈なんだろう、とか。

結局、おのれが可愛くてしかたねーのな、ゆえに『なんで』が付く。
なんで、なんで、と問うことで、言い訳のみを探している。

ちゃらんちゃらんに安っぽくて、ぺらんぺらんに薄っぺら。
嗚呼、それでもやっぱり、おのれが可愛い。
せめてそんな醜さだけは、絶対にごまかそうとしちゃいけない。

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おののき

この間の日曜、伜んとこへ行ってきた。
少しでも長居をしてやろうとはよから押しかける。
もともと年寄は目覚めが早いしな。

前夜電話で、
「寝とるかもしれんで勝手に入ってくれ」
と言っていたため、合鍵をがちゃがちゃ。

伜は、起きていた。
それどころか私を見るや、
「あっ、今入ったらあかん、出とって!」
何故か大慌てでドアを閉める。

えっ、この状況って、まさか。
さーっと血の気が引いた。

が、すぐにまた細くドアが開き、
「おとん、手伝って、至急っ、緊急っ!
 おかんはそこで待っとれよ」
父親のみ手招きする。

「はあー、何言うとんの!」
痺れを切らしてぐいと踏み込んだら、
「あほ、さっき窓からゴキブリが飛び込んで来たんや」

再びさーっと血の気が引いた。
「ぎゃああああああああああ!!」
この世で一番苦手なものの名に、外へ転がり出て、ヘナヘナ。

男二人が捜索・格闘し、無事退治。
「変なもん誘惑すんな!」
「んでも、これに色付けたらまるで玉虫やぞ」
「わっ、そんなポリ袋、はよほかしてっ!!」

結局、貴重な一日の多くを掃除に費やすこととなった。
でも、内心はほっとした。

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『好き』の証明

何年生だったか忘れたが、高校時代のある晩。
たまたまぼんやり眺めていたテレビで近藤正臣と中田喜子のキスシーンが始まり、
「ひゃっ!」
声をあげてのけぞった。
音が聞こえるほど濃厚、しまいには唾液の糸まで引いていたのだ。
その場に親がいなくて本当に良かったと胸をなでおろした。

当時近藤は三十代半ば、中田は三十前くらいだったろうか。
白髪のベテラン俳優と渡鬼で回りくどい長台詞をこなすホームドラマ女優、てな現在とは違い、
ちゃんと絵になる二人だったし、
「うわ、きったねー」
というそのまんまの不潔感も覚えず、嫌らしさなどなおのこと感じなかった。
その頃のテレビ界なんてサスペンスドラマ等でも結構際どいベッドシーンを平気で流しており、
『ウィークエンダー』に至ってはとんでもなく卑猥、えげつない映像には慣れていたのである。

にも拘わらずたかがキスシーンでのけぞってしまったのは、ひとえに生々しかったからであろう。
高校生ともなれば、いくら色気に遠い者だって
「恋とは決してロマンチックなだけの話ではないのだろうな」
程度のことは想像がつく。
ストーリーさえ知らぬその一切れの場面は、生身の男女の間に湧き上がる情動というものを、
真実性を伴ってまざまざと見せつけた。
大袈裟にあんあんぬめぬめ絡み合っているベッドシーンよりずっと肉感的だった。
それが続くかどうかはわからないが、この瞬間の二人には確かに愛情があるのだと思った。
近藤正臣と中田喜子…今思えば大した役者である。

暫く経って、大学生の頃。
故沖田浩之の
やたら軽躁な曲が流行った。
            【 A・B・C A・B・C ハアーン E気持 】
まあ殆どコミックソングのノリだったが、A・B・Cという隠語は若者の間で普通に使われており、
誰と誰がどこまで進んだ、などという噂を耳にすると、
「げっ、あのもっさりしたカップルがそんなことしてんのか、気色悪…」
現在と変わらず腹の中でひでー言葉を呟いていたものだ。

ただ、この曲には変なところでコツンと引っかかった。
A・B・Cとか順序を騒いだって、気持ちの面とは必ずしもつながらないような気がしたのである。
耳年増でしかなくとも、男子の場合は身体構造上性衝動と愛情が一致しないと聞いているし、
清楚で可愛い顔をしていながら快楽のみを求めて大胆な行動を繰り返す女子も現実におり、
愛情がなくても身体は動くのかもしれない、と、周りを見て醒めた心地になっていたのだが、

何故だろう、キスというのは相手が本当に好きでなければできないことのように思った。
ここでいきなり考えが飛躍するんで笑えるんだが、もし自分が終戦後のどさくさの中に在り、
生きてゆくため泣く泣く春を売らねばならなかったとしても、キスだけは絶対にできないだろう、
そんなふうにまで妄想を煮詰めていたのだ。
キスとは『好き』の証明である、快楽のためではない生々しい情動の発露である。
何だか馬鹿みたいだが、成人後も不思議にその思いは変わらなかった。


時は流れに流れ…
「夏バテ防止に塩タン食いてー、レモンきゅっと絞って、はふはふぱくつきたいぞー!」
今はこんなことしか思わないばばあである。

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呪縛

その日最初に耳にした歌が頭にこびりつき、意思とは無関係につい一日中口ずさんでしまう、
てなことがよくある。
個性の強い歌に限られるが、個性の分だけ苛々させられる。

これは子ども時分からの癖だったようで、小六のときには苦い思い出も。
ある朝、登校途中に近所のおっさんが『なみだの操』を聴きながら洗車するのに出くわした。
人柄は悪くなくとも日頃より無神経なからかいの言葉をよこしてくる一寸苦手なおっさんが、
これまた厭でしょうがない歌をかけているってんで足早に通り過ぎたのだが、ふと気付けば、
      【 あんなったーあんのお たんめえにー まんもおりいー とんおした 
        おんなあんのー みっさあんあんおー                   】
あのねちっこい歌い方もそのままに知らず口から発しているではないか。

そして、図工の時間。
突然私の席の横で立ち止まった先生が、
「きすけさん、授業中に不真面目な歌を歌うのはやめなさい!」
猛烈に怒り出した。
どうやらせっせと彫刻刀を動かし版画に熱中しているうち無意識に口ずさんでいたらしい。
以後、例のおっさんに会う度、何となく面白くなくてじろっと睨みつけてしまい、
「おーこわ、きすけちゃん、そんな顔しとったら嫁に行けんぞー」
のんきな軽口を叩かれた。


さて。
芸能関係のビッグニュースでも入ればすぐ民放に飛びつくが、普段はNHKに合わせたまま、
チャンネルを替えぬ日のほうが多い。
そのため掃除の際に何故かノリが良くなるボニーMの『怪僧ラスプーチン』を口ずさむなど、
歌も自分の都合で出て来、特に苛々することもなく過ぎていた。

が、先月あたりから度々その平和が乱されている。
        【 じいちゃん筋肉ムッキムキー じいちゃん筋肉ムッキムキー 】
『みんなのうた』でやっているこの歌のせいだ。
今日も、
「お、もうすぐ十時のニュースだ」
とテレビをつけた途端に流れてきて、しっかり呪縛を受けてしまった。
じいちゃんは筋肉ムッキムキーで結構なことかもしれないが、私はただただ脱力するばかり。
『無敵のじいちゃん』という題名もやけに忌々しい困った歌である。

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私は昔から自分を変わっていると思ったことがない。
ごく普通の人間、常識的な人間のつもりでいる。
偏屈・陰険・ものぐさではあっても、性格が悪いだけの話で変わっているってのとは少し違う。
また、成人後はどこにでもごろごろしている実にありきたりな人間という意味合いが強くなり、
近頃じゃ家でごろごろしているしょむない人間という自嘲も濃いが、これだって能力上の問題、
変わっているてなことには当たらない。

ところが。
近所には何かにつけて
「私って変わったヒトなの」
と語りだす主婦がいる。
不思議でしょうがない。
どうしてそんなことを誇らしげに吹聴するのか。
類似のタイプで、
「私ってさあ、ほら、こういうキャラだから~」
という物言いをする人もいるが、これも妙にむかっと来る。
どうして他人と話すのに、おのれを認めて当然、世間は了承済み、のような前置きをするのか。
他人の眼に映ったあなたこそがあなたのキャラ、自分で設定したからって何の免除も効かんよ。

どちらに対してもつい、
「それはお困りでしょう、大変ですね」
と、偏屈陰険に心配してさしあげたくなるのだが、どうせ傷ついたとか騒ぐに決まってんだし、
ものぐさなんで後々の面倒を避けるため黙ってやり過ごしている。
「いい歳こいてなに特別ちゃんぶってんだ」
という本音はしまっておく常識的な私なのであった。

変わっているってそんなにかっこいいことなんだろうか。
確かにかっこいい人というのはそのかっこよさにおいて変わっていると言える。
だが、自ら変であることをアピールする人って、大抵は注目を浴びることもない平凡な人間だ。

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東紀州でわはわはと 3

信仰心の薄い人間なのに神社仏閣自体は何となく好きなんで、頭の神様として知られる、
『頭之宮四方神社(こうべのみやよもうじんじゃ)』に参拝。
頭之宮四方神社 

すぐ脇を流れる唐子川の岸がそのまま御手洗場となっているため降りてゆく。
正面には小さな滝が。
再び上に戻ったら、鳥居の間から拝めるようになっていた。
頭之宮四方神社2 
頭之宮四方神社3 
頭之宮四方神社4 

参拝を終えて帰られるご家族連れとすれ違い、挨拶。
あっちこっちへ行きたがりむずかるよちよち歩きの坊やを
「ここは神様のお庭なんやから、お利口にせなあかんよー」
と、宥めあやすお父さん。
それに倣って、
「ばちあたるよー、りっぱさんにしようねー」
懸命に世話を焼く四、五歳くらいのおねえちゃん。
口出しをせず幼いあねおとうとの様子をにこにこ見守っているお母さん。
いついつまでも御神徳多かれと祈りたくなるようなご一家だ。

ただ、心配しなくていいよ、おねえちゃん。
ここの神様は子どもにばちを当てるどころか、子どもと遊ぶのが大好きなんだって。
由緒書きを読み、つい笑ってしまった。
頭之宮四方神社5 
頭之宮四方神社6 

平たくまとめると…
その昔。
唐子川で遊んでいた子どもらが川上から流れて来た髑髏を拾い、わいわいやってたんで、
通りがかったじいさんが、きしょいやないか、と捨てさせた。
そりゃまあ同じどんぶらこでも桃に比べてぱっとせんわな。
で、じいさんはその途端、いきなり何ものかに取り憑かれ、大声で喚きはじめた。
「おいこら、せっかく子どもらと楽しく遊んでおったのに何や!
 きしょいたら言うてコケにした上遊びの邪魔をしくさって、あー、腹立つ!!
 んでも、儂を崇めて祀ったら、万民に幸せを与えて守護したろ」
実は、かつてこの奥の城におられた桓武帝後裔の唐橋中将光盛卿という御方の髑髏だった、
ってなわけで、びっくらこいた村人達が仰せの通りその髑髏を祀ったのが始まりなんだそうな。
じいさんは正気に戻るし、あらたかな霊験も度々だしで、めでたしめでたし。
恐ろしいんだか無邪気なんだかよくわからない神様だが、何とも大らかでゆかいな話だ。

社殿。
まっすぐ撮れよ、まっすぐ。
頭之宮四方神社7 
十年ほど前に平成の大造営で新しくなったとのこと。

社殿の横手から奥へ行くと…
頭之宮四方神社8 
頭之宮四方神社9 
頭之宮四方神社10 
当然、がっつりゴクゴク、しっかりナデナデ。

ボケ防止。

去り際に、もいちど一礼。
雰囲気も清々しく、いろいろ楽しいお宮さんだったな。
頭之宮四方神社11 

何でもないのだが何故か胸にしみる国道沿いの風景。

山あいの田 

この後は高速に上がり、行き同様他のクルマを貶しつつ家路につく。
他人に聞こえぬところではどんな扱きおろしも平っちゃらな奴、ひとつの生甲斐。

おまけ。
『道の駅マンボウ』で買い求めた地場産品と、『頭之宮四方神社』で受けた御守。
みやげもん 

おとん、今回もおおきにお疲れさんでした。

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東紀州でわはわはと 2

さんざん渓谷の雰囲気破壊をしてしまった後は、海方面へ。


島勝漁港付近で発見した丸ポスト。

私は、丸ポストに出会う度、思わず抱きつきたくなっちゃう変態婆である。
(辺りに人がいないのを幸い、実際にやったんだけどさ)

島勝の丸ポスト 
でも、丸ポストって、どこで見かけても人間的な体温を感じる。
人々の言の葉を、長の年月黙々と預かってきたこの姿。
何やら温厚律儀な小父さんの精がひょっこり現れそうだ。
顔や体形こそそれぞれの土地によって違えど、必ず黒い腕抜きをはめてんのな。


和具の浜。
和具の浜 
和具の浜2 
川だけでなく海もまた透明度高し。

海開き前ゆえ人影も疎らだったが、夏休みには子どもらのはしゃぎ声がはじけることだろう。

黒潮寄せる大白海岸へ移動、ここはかすかにサラサラと鳴る小粒な石の浜。
大白海岸 
大白海岸2 
今来た波が返すうちにも沖では新しい波が次々と生まれ、盛り上がり、こちらへ向かい…。

そんなさまを眺めているといつまでも飽きず、時の経つのを忘れてしまう。

「やっぱり海はええのー、心が広なるのー」
などと言うのはいいが、何故か背後の堤防で海と反対の方向を見、憩うおっさん。
堤防 
もう三十秒あとだったら、ハナクソをほじる姿がカメラに収まっていたに違いない。

ぼんやり浜辺に座したままマヌケな化石になっちまいそうなんで、よっこらしょ、ときりをつけ、
再びクルマへ戻る。

紀伊長島、『道の駅マンボウ』。
道の駅マンボウ 
たくさんのバイクや慰安旅行らしきマイクロバスも停まっており、ここはなかなかの賑わい。
暑さ凌ぎに大内山酪農の濃ゆいバニラアイスを食す。
甘いものはどうも苦手なんだが、よそで味わう甘いものに限っては別、美味しい!

お次はその大内山酪農がある隣の大紀町大内山(旧大内山村)へと向かう。
(
つづく)

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東紀州でわはわはと 1

ここんとこ土日にも仕事が入り、殆ど休日のなかったおとん。
先だっての金曜夜も、ビール片手に寛いでいたところへまたまた無情な着メロが鳴りだし、
結局、翌早朝に紀伊半島東南部の尾鷲へと向かわねばならなくなった。
いっつもすまんの。

ところが。
今回は問題の解決に馳せ参じるんじゃなく、ノータイ・普段着で立ち会える形式張らぬ用件、
しかも昼前に終わりそうとのことで、
「あんたも一緒に行かへんか、用が済むまでどっかで待っとりゃええし、ついでに行楽してこ」
意外にも面白そうな話になり(私にとって、だが)、勿論ほいほいついて行った。
ってことで、ちんたらと日帰り旅行記なんぞを。


夜が明け、いそいそ身支度をして発つ。
自分はペーパーのくせに、道中、鈍臭いだの流れを考えろだのもっと前で指示器を出せだの、
他のクルマをけなしつつ助手席でふんぞり返っているという、いつも通りの快適なドライブ。
道路は続くーよ どーこまでもー タタタターン♪

ともかくも現地に到着、町なかで降ろしてもらい、ちょっと付近をぶらつく。
尾鷲は、このクルマがピカピカの新車だった十一年前、親子三人一泊旅行を楽しんだ地。
天文科学館、尾鷲神社等、どこを訪ねても幼い頃の伜の顔が浮かび、何やら潤んだ気分に。
それはそれでまた変に快感だったりするんだが、きもくもあるんでテキトーに散策を切り上げ、
予め決めておいた喫茶店にて待つ。

ちょうど昼近くに迎えに来、取引先の方に教えて頂いたお値打ちな魚料理の店で定食を。
すぐ前の海で獲れる新鮮な地魚だもん、美味しいに決まっとる、ああ幸せ!
ごちそうさまでした。

晴れてはいても、もわーんとした蒸気にくるまれているかのような暑さ。
まずは涼を求め、隣の紀北町海山区(旧海山町)にある魚飛渓へと向かう。

わりと新しい造りなんだが、懐かしげな風情を漂わすトンネル。
何となく『千と千尋の神隠し』を思い出した。
対向車もとんとない、『三重県道760』という名の実質林道に現われたせいか。

小さなトンネル 

吊橋というのは、どんなに頑丈そうでもやっぱり足がすくんでしまうもんだな。
吊橋 
吊橋2 


清冽な水が淵となって湛えられると、何とも形容のし難い神秘的な色を映す。
有難くなるほど美しいところなのに、くすんだ夫婦以外だーれもおらず、景色も空気も独占、
えらい贅沢をさせてもらっちゃった。
魚飛渓 
魚飛渓2 

石から石へとひょいひょい身軽に飛び移り、川の中ほどまで行くサルみたいなおっさん。
ザ・おっさん 
時代に惑わされぬ昭和なシャツインが眩しい。
石の上にも五十年。

このように流れの早いところもあるため私はあまり動けず、手頃な石に腰かけてのーんびり。
清流 
微小な稚魚がいっぱいいたんで、わあ、可愛らし、と騒ぐ。
ただ、無事成長した姿を見ようもんなら忽ち、わあ、うまそ、という騒ぎに変わること必至。
静かな渓谷のたたずまいを満喫する一方、人けがないのをいいことに大声でわはわは。
くだらん年寄ギャグを言い合いつつ過ごす。

この後は海のほうへ。
(
つづく)

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