茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

ワンピース

四月の或る日。
所用で駅前まで出た際、商店街へも足を延ばしてみた。
どこの地方都市においても同様なんだろうが、シャッターの下りた店がますます増えている。

良いハギレでもないかな、と、何度か買い求めたことのある服地屋さんに立ち寄ったところ、
銀髪の奥さんが
「うちも今月限りで閉店しますんやわ」
静かにそうおっしゃり、1m/三千円近くしそうなウールジャガード地を出して
「随分前に仕入れた売れ残りで少しケバ立ってますけど、スチームかければ戻りますから、
 お持ち下さいな」
まだ6mはありそうなのをそのまま譲ろうとなさる。
初めは躊躇したが、構わぬと重ねておっしゃるのにぐずぐず遠慮するのも何だか嫌らしい。
「では、ありがたくワンピースを作ります」
と、色の合う裏地を買い、その分の代金のみお渡ししてお店を後にした。
今はもう閉めてしまわれたんだな…さみしいな。



真面目な洋服を作るのは久しぶりのこと、裁断するときなんか手が震えてしまう有様だったし、
また、途中体調を崩して長いこと放りっぱなしになっていたが、ようやく完成!

否、完成!と思い仕上げのアイロンをかけていたら、袖口付近からツンッと光る物が現れた。
困った袖口 
何と、表地と裏地の間に一本待ち針を残したまま綴じちゃっているではないか。
脱力しながら少しほどいて取り出し、再度縫い直す。

こいつだっ、要らん手間をかけさせやがって!
待ち針 
思わず八つ当たりにマッキーの極細のほうでこんな顔→(‘A`)でも悪戯書きしてやりたくなった。
米粒細工か。

で、ともかくも出来上がったワンピース。
ワンピ1 

少し袖を持ち上げてみたところ。

ワンピ2 
もうちょっと効果的な見せ方ってもんがあるだろうに、ただ襖に挟むだけというズボラな演出。
まあ、どう見せたところで着るのは私だしな。
それにしても、このクソ暑いのになに周回遅れみたいな冬物を撮って喜んでいるんだか。


さて、半年寝かすのはいいとして…
このフェミニンなワンピがはたして似合うのか。
さらに、伜のお下がりトレウエで過ごしている奴がこのワンピを着て一体どこへ行くというのか。
それが問題である。

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目線の表明

今や忘却の彼方に押しやられた福田前総理も
「国民の目線に立った政治」
などと掲げていたが、政治家が会する討論番組等を見ていると、
「弱者の目線を大事にします」
「消費者の目線で考えます」
「女性の目線で取り組むべきです」
相も変わらず頻りにこんなフレーズが発せられる。
その度つい漫画風の点線が画面中に交錯しているかのような幻視を起こしてしまうのだった。
アナクロ発想上等、ついでにTVはまだアナログ。

当該者・当該層の声に耳を傾け、問題点を踏査するのはあらまほしきことに決まっていよう。
だが、
「~の目線を(で)~します」   チャンチャン
てな、目線の表明のみを結論とした言ばかりが丁々発止っぽく飛び交う変な討論を見ると、
CMを待たずトイレに行きゃよかった、と、我が膀胱に対し申し訳なく思う。
政治家にとっては使い勝手の良さでロングセラーフレーズになっているのかもしれないが、
茶の間の私はなんじゃらほい、夏でも寒いヨイヨイヨイ(いかん…本当に年寄じみてきた)。
とにかく、為政者の目線ってもんを示したほうがはるかに有意義なのではあるまいか。


で、いきなり事を身近な世界へとワープさせちゃうのだが。
私の周囲にも、自己の目線と他の目線を一緒くたにしてものを言う人間ってのがいた。
中学生くらいの頃から現在に至るまでの間、断続的に出くわしてきたのである。
まあ、そんなことは気付かぬうちに誰もがやっているんだろうし、特に若い人の場合なんかだと、
正義感や感受性の強さによりつい…といった趣に、むしろ好ましささえ感じるときも多い。
厄介なのは、他の目線を拡大解釈して取り込み、自己の善を語るのに利用する奴。
ペッと唾を吐きたくなることもしばしばだ。

近年の話では、
「同じ主婦として悩んでいる人の支えになりたい」
などと公言し、誰彼構わずまとわりつく奴にうんざりさせられた。
ナヤミムヨオのリーブ21なら相談も自分の意思だが、強引に悩める者と決めつけられ、
的外れな分析や干渉を繰り返されちゃ、それこそが大きな悩みになってしまう。
旦那様の御栄転により引っ越してくれたときにはほっとしたものだ。

他への思いやりをアピールするのも結構だが、思いやりって、
「自分がどんなにあなたを思っているか」
「自分がどんなに他の立場・他の身になってものを考えているか」
などと、“他を思いやれるワタクシ像”について絮説することでは決してない。
大体、そんなの、
「自分は
人の心の内などお見通し」
という、私にしてみりゃ人を軽んじているとしか思えぬ驕慢な姿勢がベースになっている訳で、
わかってちゃんとわかってあげる様を同時に顕現させるような、実にこっ恥ずかしい行為である。 
他の目線に立つどころか他の視界を遮る障害物、歩道のはみ出し看板みたいじゃないか。
まずは何より、人があなたの支えとやらを望んでいるか否かに神経を配ったらどうだ。


思い出し怒りをしていたら、福田前総理が最後に言い捨てた
「あなたとは違うんです」
が、嫌味たっぷりな点も含め逆に名言であるように思われてきた。

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電話

マスクパニックこそいっときで沈静化したが、新型インフルの感染はじわじわ拡がっており、
対応に苦慮している地も多いことと拝察する。

私も先月半ば過ぎからは、離れて暮らす伜が気懸りでやたらやきもきしたりどんよりしたり、
落ち着かぬ日々を送った。
花粉の時季に備え安いときにどさっと買溜めしてあった気休めのマスクを一応荷造りしつつ、
「毎日顔が見られぬというのは、こういうことなのか」
と、つくづく思い知ったのである。

無論、このように面倒な心持ちも、一種の通過儀礼みたいなもんだとは十分承知している。
だが、ついでにまたメニエル氏が憑依(?)、余計鬱々と引きこもる破目になった。
今は楽天やスーパーの宅配サービスにより日々の食材さえあちら様から来てくれる時代だし、
実際にここ数年ちょくちょく助けられているものの、今回は眩暈と共に難聴のほうも些か強く、
滅入り方が本格的。
マンションの玄関ホールへ郵便物を取りに行ったり、表へゴミ出しに行くことも億劫ってか、
人との会話を避けたくて仕方ない、声が聴き取りにくいため電話に出るのも苦痛だった。

しかしまあ私ゃ、仏様の如く寛容なおとんにてれーんとぶら下がって温々生きておるわけで、
苦労なんかこれっぽっちもしちゃいない。
単に家の中でくすぶっているというだけの話である、考えようによっては全くいい御身分だ。


ずいぶん回復した六日の土曜日。
おとんが出張中なんでいつもどおり暇、中断した裁縫に再びのんびりと取り掛かっていたら、
「その後は大丈夫なんか?」
伜から電話が。
上で述べたように聴き取りに難があるため、用事の際はおとんの携帯へ電話するように、と、
先に伝えて貰っていたし、第一、しょっちゅう寝込むだらしない母親には慣れっこの筈なんで、
大体の頃合いを計ってかけてきたんだろうが、
「うん、いつものやつや、もうだいぶようなったよ」
と答えても、
「けど、無理せんといてな、おかん。
 離れとるとえらい心配になるしの、ほんま、大事にしてくれなあかんぞ。
 おとんにも、身体に気ぃつけて、て言うといてや」
やけに優しくしみじみした口調でものを言われ、何だか急に年寄になった気がした。

翌夕、出張から帰ったおとんに、伜より電話アリ、これこれこうで斯斯然然とか言うとってなぁ、
心配かけて情けないやら、んでも一寸面白いやら(はい、クソババアです)、てなことを話した。
おとんは、
「よかよか、今のうちにぎょうさん心配させといたれ」
にまっと笑う。
「好きな娘でも出来てみ、今度はそっちにかかりっきりやわ、うむ、ほんま今のうち今のうち」
だと。
考えてみればこの人も、次男坊とは言え十八歳からずっとよそへ出ているんだったなあ。

つい、
「田植え以来会うてへんことやし、伊勢のばあやんに電話でもしてみたらどう?」
などと、殊勝な気分になった。

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