茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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世間知らず

私は、人嫌いではない。
その証拠にこうしてちまちまブログなんかやっている。
ばばあの駄文が延々並んでいるだけなんでえらく寂れた場所になるのは当然の流れだが、
本人は一応人前に出たつもりでささやかな満足を感じているのである。
そういう意味では人のみならず人と交流することも決して嫌いではないのだろう。

しかし、人付き合いは嫌いだ。
てか、身も蓋もないことを言っちゃうと、嫌いな人間と付き合うのが嫌い、なのだ。
勿論、上下の秩序や利害を意識せねばならん関係ならばそんなのご法度もんの我儘だが、
別段しがらみのない関係だったら嫌いな人間を避けたって何ら問題はない。

そのために相性という便利な言葉も存在するのだし、大体、私が嫌いな人間、というのは、
しがらみのない関係にまでつまんねえヒエラルキーを持ち込みしがらみを作っちゃう人間、と、
同義なのである。

親しくしてやっている、なんぞという、それこそ交流どころではない小学生みたいな義侠心で、
あれこれ迷惑な口出しをされ続けちゃたまんない。

とにかく、そういううざい人間から離れるとしぜん人付き合いも段々少なくなってゆくのだが、
特に支障はない。
よくしたもので、世の中に大多数のうざくない人とは、偶然会った際一寸立ち話するだけでも、
気持ちが通い合ったり、大切なことに気付かされたり、ありがたい交流を実感できるからだ。

ところが、嫌悪を覚えるほどうざい人間ってのは、やはりどこまでもうざい。
自分自身が避けられていることも感じ取れず、
「人付き合いを嫌がってちゃ世間ではうまくやっていけないわよ」
事ある毎に恩着せがましくやっすい親切を押し付けに来るので困っちゃう。
確かにおたくのいる世間じゃうまくやっていけない。
でも、そんなの一体どれだけの大きさなんだ。
半ヒッキーでさえひょいとひと跨ぎすりゃ通過できちゃう水たまりみたいな世間ではないか。

こういう奴と付き合うくらいなら世間知らずと陰口を叩かれるほうが百倍まし、である。
まあ、実際に世間知らずなんだろうしな。

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新しい暦

ぼうずは今月、十八歳の誕生日を迎えた。
鴨居で鼻柱を打つほど縦に伸びやがって、段々ごつごつと逞しくもなっている。
幼い頃は身体が弱かったため、日々、丈夫になってくれさえしたら何も文句は言わん、と、
そればかり思っていたものだ。
受験絡みでやきもきしがちだが、何より大きな贅沢を叶えてくれてんだよな…ありがとな。

ってことで、当日はすき焼きにしたり、ぶっさいくなケーキをこさえたりして祝った。
鍋を囲みつつがやがやしゃべくる中、ふとぼうずが、
「おとん、おかんの誕生日っていつか知っとる?」
そういうタイプのおっさんでないとわかっていながら訊く。
「二月ほにゃ日やろ?」
答えはそれ見たことか的に数日ずれているわけで、
「妻の誕生日くらいちゃんと憶えといたりぃな」
珍しく母親寄りの発言、肉が食えれば上機嫌という単純な奴なのであった。

「いや、実はこの間も総務のおっかさんに指摘されてしもてなあ…」
おとんが続ける。
配偶者の生年月日欄がある社内書類の記入に際し、会議の時間が迫っていたせいで、
きちんと確認しないまま提出したそう。
翌日、電話で
「立場ばっかり重くなっても中身は相変わらずやねえ。
 【二月三十日】て、適当に書くにもほどがあるわ」
苦笑交じりのお小言を食らったとのこと。
おとんが入社する前よりずっと勤めておられる方で、わからんことは何でもこの人に聞け、
といった生き字引、実に頼もしく練れた女性なのだが、さすがにそりゃ呆れるわな。
ぼうずも私もしらたきの切れっ端が鼻から飛び出しそうなくらい大笑いした。

このトシになると誕生日なんかどうでもいい、祝うどころか忘れたい日に変わる。
ただ、子どもの誕生日には、やっぱりこうちょっと、胸が熱くなってしまう。
自分が生まれた時のことなどひとつも憶えちゃいないが、子どもの産声を聞いた瞬間の、
遠くなっていた自分の気までまた生まれてきた、てな思いは、今でも鮮明によみがえるのだ。

そして、勝手に新しい暦を作っちゃういいかげんなおとんにもむしろほっとする。
そういういいかげんさがあるからこそ、我慢を我慢とも気付かず一緒にいてくれるのだろう。
もはや人徳の域に達しておると言えなくもない。

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説教ソング

自分の受け取り方がまずいだけで楽曲にも歌い手にも全く罪はないが、
「勘弁してくれよ」
と、ためいきの出る曲ってのがある。

例えば、『愛は勝つ』。
一つ角を曲がればストーカー、ってな危うい道を教唆しかねんぞ。
ただ、もしかしたら私などには悟得できぬ崇高な境地に立っているのかもしれない。
何しろあの頭蓋骨標本みたく見事に後ろへ張り出したKANの頭の中で描かれた愛なのだ、
軽々に考えてはばちが当たりそうな気もする。
第一、愛なんて嘘っぱちだ、とじぶじぶ嘆く曲もそれはそれで怨念めいて薄気味悪いしな。
『愛は勝つ』は、若く明るい人々が聴くならば雪崩は消える花も咲く優れた曲なのだろう。

どうしても勘弁してほしいのは、『それが大事』だ。
       【    負けないこと 投げ出さないこと
            逃げ出さないこと 信じぬくこと
            駄目になりそうなとき それが一番大事    】
薄い…毎度おおきに系列食堂の茶より薄い…薄いだけならいいが、こっちは赤錆び臭い。

先日もラジオより流れてきたので
「こんな難題をずらずら並べられてすんなり“わかりました”とか思えちゃう人やったら、
 初めから駄目になりそうだなんて落ち込まへんわ」
いつものようにぶつぶつ呟いていたところ、
「せやで“それが一番大事”ってことになるとも言えるやないか。
 つまらん曲やけど、表面的にせよ主張自体は間違っとらんとこがミソなんやろ」
しれっとぼうずに突っ込まれ、余計中っ腹になった。
そこら辺に嫌らしさを感じるから苦手なのだよ、この曲が。
そう、うざい説教を垂れ半眼になって悦に入るおっさん・おばはんの顔が浮かんで来、
まるで狸の宝箱を開けたような気分になるではないか。

ドラえもんの神成さん的な話は別として、説教ってのは自分のことを棚に上げるという、
かなり勇気のいる前過程を経て表出される行為である。
にも関わらず、駄目になりそうなときの人の気持について特に深く思いやる様子もなく、
また、当の相手にもたらす効果すらどうでもいいかのように現実と乖離した徳目ばかり
「それが一番大事」
と次から次へ得意気に浴びせる奴って、神経が腐食しているんじゃないかと疑う。

善美を追い求める人のさまは、やっぱり善で美しい、そして眩しい。
但し、そういう人は、おのれの善美を知らしめることに執心しない。
善美を感じる事柄・姿勢に拘っているようで実はど真ん中にでんと“自画像”を据え、
「自分はこんなことを語れる人間なのだ」
などと小鼻を蠢かせちゃう奴は、その赤錆び臭い善美を認めさせることこそ
「それが一番大事」
と考えているのだろう。
誇るだけなら、変なの、目ぇ合わさんとこ、で済むが、天から見下ろすかの如き説教で、
啓蒙者を気取りだした日にゃ、折角だからそのまま昇天してみてはどうか、と言いたくなる。

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松田聖子というひと

私は松田聖子と同い歳、星座も一緒である。
彼女のデビューは、私が大学に入ったばかりの頃。
今思えばアイドルとしてはずいぶん遅めのスタートだったようだ。

細かな思い出と重ねてみると、学内の図書館で課題のための調べ物をしていた際、
隣の棚に並んでいた古典文学全集に目をとめたのが縁で源氏に嵌ってしまった、
ちょうどそんな時期でもある。
と言っても、この横着者が注釈と突き合わせ乍ら原文にあたるなど精々『若紫』まで。
さっさと円地源氏に乗り換え、小難しいこと抜きで何度も読み返す日々だった。

ある日のこと。
『ザ・ベストテン』で見た松田聖子の姿に私は思わず息を呑んだ。
彼女は『青い珊瑚礁』で初めて一位に輝き、それを祝う母上と中継が繋がったのだが、
「おかあさん…おかあさーん…」
か細い声でおさな子のように呼び掛けたり、しゃくり上げつつ歌ったりするさまに
「あっ、この子、夕顔の君」
何故だかピーンとそう感じたのである。

実際、ぱっちりしたというよりはふんわりしたという表現が似合う一重瞼の目もとにも、
華奢な身体にも、可憐な仕草にも、男性の庇護本能に訴えかけるような風情が漂う。
また、単に稚いのではなく自己の魅力を効果的に演出し注目を集める術も心得ており、
しかも、それとて計算ずくでなく天性備わった資質そのものが表面に滲み出るといった、
不思議な自然さでもって為される。

彼女がぶりっ子だの嘘泣き女だのと、特に女性から叩かれるのにそう時間はかからず、
人気が上昇すればする程周囲でも、聖子は苦手、と言う人が増えていったのだが、
私はいつも、そんなふうに嫌ったところでしょうがないのにな、と思った。
あの子は別格だよ、何たって夕顔の君なんだもん、誰も勝てやしない無敵の女じゃん。

事実、松田聖子は、デビューして間もないその頃から田原俊彦との仲が噂されている。
田原を貶す気はなかったが(少しはあったかも)、絶対彼の方が熱を上げたのであって、
聖子は興醒めにならない程度のあしらいで終始しているに違いない、私はそう睨んだ。
表情を作り込んでも物欲しげな臭いは一切まかぬ彼女に比して田原は小粒だったのだ。

彼女の魅力を言い表すのにぴったりの曲がある。
『青い珊瑚礁』とほぼ同時期に流行った、郷ひろみの『How many いい顔』だ。
        【  どうやら今では 上手の上手
           「歳ははたち でも誰より 長く生きてるわ」
           
           処女と少女と娼婦に淑女 How many いい顔
           今日はどの顔で 誘うのかい
           U~N 君にはまったく  U~N 君ってまったく    】

そして、現実に松田聖子は、二年後はたちとなるや郷ひろみとの交際を発表した。
幾多の変転を経た現在でこそちょっとナンだが、当時はかっこいい男の代表であり、
表街道の大スターだった郷をころり参らせたのだ。
こじつけるつもりは全くなくともまるで誂えたかのように上の歌詞と合致しちゃうわけで、
彼女の劇的とさえ言える凄味はそんなところにまで及ぶのかもしれない。
下世話な私は、夕顔の君に夢中になっていた光源氏も実は、
『 処女と少女と娼婦に淑女 How many いい顔』
に近い台詞をそめそめ囁いたのではないか、などと考えてしまった。

下世話なだけでなく多分に耳年増的な傾向があるしょうもない学生だった私ながら、
同世代のアイドルの生身の姿についてあれこれ憶測するまでにはすれておらず、
また、即物性を帯びたあからさまな話を避ける程度にはロマンチストだった。

が、夕顔の君と結びついてしまった松田聖子のみに関しては少々怪しい。
この子、段々アイラインやマスカラ等の目化粧が濃くなってきたな、と感じ始めた頃、
でも、これってむしろ引き算したときの煽情の方が大きいんじゃないか、と思い、
ふと、男性の腕の中で仄暗い灯火をゆらめかすあどけない素顔を想像したのだ。
美人女優の自嘲の如く、化粧を落とした途端、ただの人に降格するのではなく、
彼女の場合は隙だらけの眼差しさえ“この僕だけが知るコケットリー”に変えてしまい、
相手の執着を増大させるような気がする。
で、勝手に想像しておきながら、うへー、やっぱり最強の女だな、と呟くのだった。

その水気を含んだような目もとがくっきりしたのはいつの頃だったか。
彼女の整形疑惑は古くから何度も取沙汰され、確かに派手やかな感じに変わったが、
元々化粧の映える顔、だからこそ引き算したときの煽情などにも思いを巡らすわけで、
整形云々と騒ぐ意味はないし、そんなことは本人にしかわからない。
ただ、郷と破局する直前、紅白のリハで言い争う姿を写真週刊誌に撮られたときは、
まだ変わっていなかった。
本当にノーメイクだった彼女は、何だか童女が拗ねているように見えたからである。

郷との別れに際し言ったとされる、
「今度生まれ変わったら、いっしょになろうね」
という言葉の儚さが最後の“らしさ”だったのか。
彼女は見る度今で言う目ヂカラをつけ、それと共に夕顔の君ではなくなっていった。
郷と破局してすぐ神田正輝と結婚、その後も絶えず浮き名を流し、離婚再婚また離婚、
朧月夜尚侍に通じなくもないが、翻弄した男性の数では松田聖子の方が断然上回る。

彼女について、内面はさばさばと男っぽい、と語る人が多い。
私もたぶんそのとおりなのではないかと推察している。
さまざまな異性だけでなく、自分の中にいるさまざまな女をも愛した恋の狩人。
松田聖子というひとは、実は、光源氏だったのかもしれない。

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勝手に語る歌謡曲 3

さて。
アイドルの曲は、売れに売れた所謂代表曲よりそこそこ売れたものの中に名曲が多い。
尤も、私の好きな曲がたまたまそうだったってだけの話なんで乱暴に断じちゃいかんが、
それでも、大ヒットした代表曲=名曲とは言えないように感じる。
西城秀樹など何を思ってカバーしたのか『YOUNG MAN』が代表曲となってしまい、
トホホな意の英文がでかでかと踊るど派手なTシャツを着続けているようで痛ましい。
その上いくつになろうとピーカンな明るさで歌わねばならず労しい。
田中星児を見てもひとこと、御苦労さん、だけで済むが、西城の場合は複雑だ。

それはともかく。
子ども時分より馴染んだアイドルに焦点を当て、デビューした年の古い人から順に、
私の好きな曲を書き留めてみると…

幼稚園時代既に活躍していた記憶のあるフォーリーブスは、何と言っても『踊り子』。
人気のピークを過ぎてからの曲で発売されたときは中三だったが、小四の頃流行った、
「 だって 地球は丸いんだもん  地球は~ ひ~とつ~ 」
などという、田原俊彦の先駆けとなるようなタハハ…な世界とは打って変わって、
何だか映画のワンシーンを思わせる哀愁が漂い、ぐっときたものである。
作曲者の故井上大輔(忠夫)は、
グラス・ルーツの『Let’s Live for Today』を意識し、
さりげないカバーとしてあの印象的なメロディーを用いたのだろうか。
シャーラーラララララランラーのスキャット部がほぼ同じで、強く耳に残る。
だが、そんな情緒も『ブルドッグ』で再び急転、今度はガーッハッハ!となってしまった。

野口五郎もやはりアイドルと呼ぶのは無理になった頃の『19:00の街』がいい。
『私鉄沿線』のウエット感も嫌いではないが、胸絞り度では前者に軍配が上がる。
がさつ者の陶酔好きってやつなのか、要するに私は切ないなら切ないで切ないなりに、
一人がーっと盛り上がれる曲を求めるのだろう。
そして、これもまた、バーブラ・ストライサンドの『Woman in Love』とどこかしら似ており、
その点に惹かれたと言えなくもない。
因みに『Woman in Love』は、聴く度ちょっと馬鹿になってしまうくらい好きな曲だ。

南沙織は『傷つく世代』。
思春期に入った小六女子はこの曲に青春の香りをかぎ、うっとりとしていたのだが、
           【   ああ どうして この世に あいつがいるのよ 
               どうして お互い 傷つけあうのよ        】
という思いを実感したのはもっとずっと後のことだった。

郷ひろみは高一のときに出た『悲しきメモリー』が光る。
特に二番の、
           【   青いシャツに着替えて 
               ちょっと気取って朝の汽車で 
               南の国へ 旅立てよ                】
という、臭さ半歩手前の軽さ、いいかげんさが不思議に優しく感じられて好きだ。
筒美京平のノリノリにテンポのいいメロディーも歌謡曲の王道を示している。

冒頭でも触れたが、西城秀樹については、たとえミリオンセラーになったからって、
懐メロ番組で『YOUNG MAN』ばかりを取り上げるのはどうかと思う。
『ちぎれた愛』、『激しい恋』、『傷だらけのローラ』、いずれも貴重な作品ではないか。
あれほど何のためらいもなくやみくもに激情を表現できた青年はまずいまい。
決して皮肉ではなく感心しているのだ、世の中、ときには無駄な熱さも必要である。
ただ、私の一押しは『炎』。
高二の私にとって派手な振りはさむつぼもんだったが、いい詞だな、と思った。
作詞は阿久悠、さほどヒットしなかった曲、また、あまりぱっとしなかった歌手の曲でも、
ふと心に残る言葉があると、彼の作品だった、なんてことが多い。

アグネス・チャンは『白いくつ下は似合わない』で決まりだ。
ユーミンの作詞・作曲なので好きになるのも当然だが、
           【   失くしたものなど 何もないけれど
               白いくつ下 もう似合わないでしょう       】
全く、こんな鋭敏且つ美しいフレーズ、彼女以外の誰が思いつくだろう。
当時私は中二、『男おいどん』だの『野球狂の詩』だの『うしろの百太郎』だの、
選択に一貫性のない少年漫画ばかりでなく、一応『りぼん』なんかも読んでいたりした。
この曲を聴くと、陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子の漫画を思い出してしまうのは、
哀しみの中にあふれる清潔感ゆえか。

桜田淳子も私が高一のときに中島みゆきが二作続けて提供した『しあわせ芝居』と、
『追いかけてヨコハマ』に惹かれるし、後者など気だるさの匂うみゆき自身の歌唱より、
大人の女へ脱皮すべく試行錯誤しているような淳子の歌い方のほうが好きなのだが、
次に出た『リップスティック』は、その試行錯誤が最もいじらしく懸命に感じられる点と、
また、松本隆&筒美京平というゴールデンコンビが織りなす歌謡曲らしさによって、
一番に好きな曲となっている。

だらだらと長くなり過ぎ、収拾がつかなくなってきた。
山口百恵で一旦〆にしよう。
彼女の場合は初期の“幼い性”的なものと、『横須賀ストーリー』以降多数出された、
こちらもゴールデンな名コンビ・阿木&宇崎による垢抜けた曲とで趣に違いがあり過ぎ、
21歳という若さで引退してしまったにも関わらずどえらい変遷を経た人なのだなあ、と、
今さらながらその凄さを思う。
だが、私は中一のときに出た『ひと夏の経験』も好きだった。
イントロのメロディーがとてもきれいで知らず引き込まれたし、あの歌詞も彼女が歌うと、
きわどい淫靡さを感じさすよりどこか遠い国の物語のように聴こえた。
何より、中日ファンの番頭さん(実家は自営業)が買う中スポの芸能欄に載っていた、
《記者たちに、君にとって女の子の一番大切なものとは何、と訊かれた山口百恵は、
 まごころです、と落ち着いて答えた》
という記事に感嘆したことで、自分の中じゃ全く別の意味に様変わりしたようである。
そして、彼女のベストワンは阿木&宇崎コンビの『謝肉祭』。
           【   人よりたくさん いい目に遭って
               人よりたくさん 悲しんだ
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
               ジプシー ジプシー 恋に疲れたらどうなるの
               ジプシー ジプシー ひとりぼっちで果てるだけ 】
最初から最後までゾクゾクする曲だが、そこはかとなく揺曳する無常観にも打たれる。

で、だ。
何について、どんなことで、そう言いたくなるのか、自分でもさっぱりわからないのだが、
気に入った歌謡曲をあれこれ口ずさんでいると、いつもこんな言葉が浮かぶ。
安っぽかろうが薄っぺらであろうが、花火を仰いだように心の照り映える瞬間があれば、
それでいいではないか、じゅうぶんに純粋ではないか。
理由さえさっぱりわからないだけに、まっこと困ったものだとこっそり赤面する。

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勝手に語る歌謡曲 2

小学校中学年くらいになると、多くの子どもはアイドルに関心を持ち始める。
私が四年生の時に野口五郎、天地真理、南沙織、五年生の時に郷ひろみ、西城秀樹、
麻丘めぐみ、アグネス・チャン、六年生の時に桜田淳子、山口百恵、浅田美代子と、
現在でも見かける面々を含むアイドルが続々デビュー、当然私もうつつを抜かしていた。

と言ってもアイドル達に憧れを抱くというのではなく、仰々しい振り、キメや陶酔の表情、
何となく笑える癖などにいちいちツッコミを入れながらTVの前にいたわけで、ぼうずに、
「ちいと黙って観とれんのか」
こう呆れられるにくったらしい性格は当時既にかっちり形成されていたのだなあ、と、
我ながら何だかしみじみする。

話を戻そう。
四年生の頃だったか、私がアイドルをアイドルとして見るようになったのと時を同じくし、
『スター誕生!』というオーディション番組が始まった。
森昌子や先述の桜田淳子、山口百恵もここから大きく羽ばたいた人で、岩崎宏美、
ピンク・レディー、石野真子他次々にスターが誕生、素朴系乍ら新沼謙治もそうだし、
地味なところでは藤正樹、梶たか子、朝田のぼる、渡辺秀吉なんてのもいたな。
ばばあってのはほんっといらんことばかりよく憶えているもんだ。

この番組は、従来のオーディション番組と違い、視聴者をも選ぶ側の気分にさせた。
阿久悠、中村泰二、三木たかし、都倉俊一ら審査員の評は実に鋭く専門的で、
「なるほど、スターになるためには“華”ってもんが必要なんだなあ」
と、茶の間のガキまでもプロの見方・考え方に引き込んでしまったのだ。
松田トシはルックスが良くても歌のいまいちな女の子に対し容赦ない言を浴びせるし、
岩崎宏美に対してなど歌唱力は絶賛してもズケズケ“お芋さん”とか言っちゃうしで、
こっちまで冷や汗が出そうだったが、彼女の辛辣な評に反し成功した人も結構いた。

どうでもいい事柄や気楽な場所においても審査員目線になってあれこれ意見したがる、
そんな人間が同世代に多いのはこの番組の影響かもしれない、ってのは冗談だが、
ただ、決戦大会など特に、観ているほうもいつしか何様なスカウトマンになりきっており、
実際、回を重ねるうち上がるプラカードの有無や数など予測がつくようになっていた。

この『スター誕生!』の開始により、歌謡曲の世界は数多出たアイドルものばかりか、
他の路線のものも一斉に競い合うようになり、殷賑を極めた、私はそう思う。
そしてまた、同番組の終了により、うっすら翳り始めた、とも。

勿論、終了時の`83年には田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊らジャニ連が頑張ってい、
ツッコミ所満載の曲・歌唱で笑かしてくれたし、中森明菜や小泉今日子、松本伊代も、
まだ正統派のアイドルらしさをウリにしていたが、おニャン子の短い隆盛を経た後、
ジャニ連以外のアイドルの曲は段々アーティスト志向に傾いて歌謡曲臭を失った。

以降は、ジャニ連は別として、いかにもなアイドル自体も求められなくなったのだろう、
中山美穂や浅香唯のようにアイドル的デビューをしてもすぐ本人の個性を前面に出し、
オンリー・ワンの魅力をアピールする在り方が主となっていった。
だがまあ、自身も社会人になっちゃってたんで、それ以上のことを考える暇はなくなり、
歌謡曲はもう終わりを迎えたんだな、とだけ感じていたというのが本当のところだ。

余談だが、私は南野陽子がとても好きである。
周囲が素早く“ジブンらしさ”に進む中、結構長くアイドルらしさに拘っていたからだ。
実際、個人的には彼女が最後の正統派女性アイドルだったと思っている。
現在は専ら三の線や意地悪な中年女の役で活躍しているが、それでもやはり綺麗だ。

そして、同時期に輝いていた岡田有希子が、たとえ少し歪んだ皮肉な笑みであっても、
ふっとあのえくぼを浮かべられる一瞬を持てたなら、今でもやはり綺麗だったろうに、
そんなことを思い、ひどく悲しくなる。
岡田有希子は『スター誕生!』という番組から最後に出たアイドルでもあった。

                                   (話は性懲りもなくまだつづく)

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また愛知

文化の日、今度はおとんの仕事ではるばる三河安城へ。
仕事と言ってもお得意先の依頼で代わりによその現場へ納品に行くだけの話。
だが、その握り拳大の部品一つがないと一日の作業が全て止まってしまうのだとか。
「せやなあ、一円足りんだけで肉まん買えやんかったこと、あったもんなあ」
と、のんきにずれた感慨をもらしていたら、あんたも行け、ってことでクルマに乗り込む。
一人でだらだら運転するのは好かんそうな、さみしがり屋かおっさん。

離れた駐車場で待っていたが、現場の用は正味十分、それを済ますといきなり、
「なんか海が見たあなってきたワ」
とか言い出したりして、ロマンチストかおっさん。
まあリアリストの私も即座に
「おっ、じゃあ新鮮な魚が食べたいぞ」
などと思ったので異議はなし。


で、安城からまた知多半島方面へ回る。


有名になっちゃった豊浜の『まるは食堂』、一時半を過ぎてんのに待ち人がわんさか。
若い頃はよく行ったけど、こうでかくなりまた激混みでは足が遠のく。
まるは 

そ、美味しくてお値打ちな店は他にいくらもあるよって。
あたしらは師崎の『丸誠』でワシワシといただく。
丸誠 


DEEP あおいうみ うみうみ                     (知多半島先端付近) 

001_20081104100635.jpg 
002_20081104100659.jpg 
大嘘。
曇天のせいでちっとも青くは見えなかった。

でも、打ち寄せる波には晩秋の透明感。
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おまけにイソギンチャクもうじゃうじゃ。
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港は静かだ。
012.jpg 

名古屋から日帰りで遊べる海、ってんで子どもの頃はよくこの辺りに連れて来てもらい、
潮干狩りや海水浴、磯遊びを楽しんだものだ。
また、若者の間でも思い立ったらすぐ行けるデートコース・海篇、として定番になっていた。


へいへい。

黒看 

さいでっか。
黒看2 
知多半島のR247沿い、特に海岸に面した地区には例のうざい看板がよく見られる。

祓い給へ清め給へ。
神宮東門 
       (帰りに通りがかった名古屋市・熱田神宮の東門)

仏も負けるな!
円通寺 
                         (同じく熱田区の秋葉山円通寺)

などと言いつつどっちも写真を撮るだけで参拝はなし、たいがいにしとけや、だわな。
円通寺は、大昔、井筒部屋の名古屋場所宿舎になっており、よく稽古を見に行った。
霧島、寺尾は男前な上に筋肉がこちこちっとしてかっこよかった。
逆鉾はカワハギみたいな顔で稽古もあまり熱心でなかったが、どこか憎めなかった。

寺社もそうだが、実家も素通り、なに、音沙汰ないのは無事な証拠、だわさ。
あとはくだらんお喋りをして笑いながら家路を急ぐ。


我がまちに着き、最寄りのGSへ。

めんどくさいんで乗ったまま洗車機にかかる。
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「わはははー、おもしろー」
とノーテンキに騒いでしまったが、万一フロントガラスが割れたら阿鼻叫喚だな。

何だか愛知づいているものの、楽しくてちょっと懐かしい気分になれた一日だった。

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