茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

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ちょっと更新を休みます

腹腔鏡による軽い婦人科手術のため、ごく短期間更新を休みますです。
普段から気ままにやってんのにいちいちお知らせかい、てな苦笑もわきますが、
いちお、よろしく、ということで。
んじゃ、行ってきます。

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本音第一主義者

本箱の隅っこから『雑』とだけ書かれたシールの貼ってあるCD-Rが出てきた。
何が『雑』や、こんなんで整理した気でおるんか、と過去の自分に怒りつつ見てみたら、
二年ほど前に別の場でアップした文の下書きが20件余、成程やっぱり『雑』だった。
どうせなら下書きでなくアップした方の文をコピーして保存しときゃいいのに、とまた怒り、
そう言えば、このブログを始めて一ヶ月位の間は、全く同じ台詞をブツクサ呟きながら、
これを基に古い文をなぞり、焼き直していたなあ、と思い出したのだった。
未掲の下書きも僅かにあったので手抜き乍ら当時と考えの変わっていないものを一つ。
大体は原文のままである。


     ※ 本音第一主義者

世間には『本音第一主義者とでも呼びたくなるような人々がいる
具体的には、
「相互理解のために本音でぶつかっていきたい」
「本音で向き合えない関係なんて無意味」
このように何かと腹を割り割らせたがる人、また、そういったポーズに酔う人をさすが、
世が世なら新撰組への入隊をお勧めしたいところだ、三島の楯の会でもいいぞ。

どこに向かって入れているのか不明な茶々はさておき。
かの人々の言を拝聴すると、困惑させられることも多い。
別に何だっていいんだが、例えば国語のノートを
「国語のノートとは如何に使うべきものか」
てな考察のみで埋めてゆくにも似た空漠たる語らいに本音という表題が必要だろうか。
正直、私にしてみればその本音なるもの自体が“?”の連続。
大仰に本音と名付けた由無し事の羅列としか思われないのである。
同じ由無し事ならヒョータンツギの落書きでもして頁を費やすほうがまだマシだ。

小人の法典にも、出来得る限り他の主義主張を尊重する、という項は一応ある。
だが、そこはやっぱり小人、ついつい舌がチッと鳴ってしまう。
上記の由無し事が『説伏』としか感じられぬ場合は特に。
随順の意を示さねばどこまでも食い下がる構えをとって本音なんぞ訊かんでくれ。

別段意識しなくとも自然に出ちゃっているのが人の本音。
むやみに騒いで掘り起こそうとするのは鈍感だからであろう。
おのれが満足できる答えばかり欲する意地汚さを純粋さや潔癖さと勘違いできるほどに。
何より、本音なんか日替わりランチ、が本音なのだよ、私ゃ。

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おもひでぐるぐる

夕方、ぼうずの部屋へ糊を借りに入ったら、奴は仏頂面で英語の問題集をやっていた。
が、こっちは頁の間に挟まれた付属の赤いシートを見た途端、
「そういや、これに似たぺらんぺらんな材質の簡易レコードがあったな。
 えっと、ソノシートだったっけか」
極私的な回想の波間に一人揺蕩、どこまでも不真面目な親なのであった。
なに、真面目に問題集を覗き込んだところで珍紛漢紛、勉強の妨げにしかならん、
エーゴトッテモさんデスBAD えーびばでSAMURAI SUSHI GEISHA。

ともかく。
件のソノシートは大昔、絵本や雑誌の付録として大活躍、見た目こそ貧相なれど、
当時のよいこたちをお手軽に満足させてくれる良き友だった。
これまたおもちゃみたいにお手軽なプラスチック製のポータブルレコードプレーヤーで、
童話や日本民話、或いはオバQ、怪物くん他人気アニメの歌などを楽しんだものだ。
風が吹くとフガフガ浮き上がり針が飛ぶため、中心近くに重石の十円玉を置いたが、
聴き終わればそれは忽ち駄菓子屋でコリスの笛ガムやクッピーラムネに化けたりした。

小学二年の冬、重石の主たるスポンサーである祖父に連れられレコード店へ行った。
ソノシ-トではないちゃんとしたレコードを買ってやるから好きな一曲を選べとのこと。
そこでまず最初にねだったのが弘田三枝子の『人形の家』だった。
しかし、明治男の祖父は、
「幼い者がこのような色恋の歌を聴くのは感心しない」
と即却下。
まあ、ものは試しと言ってみただけで子ども乍ら何となく不健全な匂いは嗅いでいたし、
結局、『行け!タイガーマスク』(タイガーマスクの主題歌)を買ってもらった。
祖父はやはり渋面を作りつつも『人形の家』よりはましと不承々々認めてくれたようだ。

私はさほど活発な子どもではなく、プロレスにも特に興味を持っていたわけではないが、
『行け!タイガーマスク』は何故かものすごく好きだった。
長じてからも、ファイト一発、てなときにはいつも脳内でこの曲を鳴り響かせていたほどだ。
私にとって『行け!タイガーマスク』は気力を鼓舞する魂の歌と言っても過言ではない。
思いっきり過言か。
何にせよ、今でもイントロを聴くだけで血が沸いてくるし、よく風呂でがなっている。

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赤い電車

名鉄パノラマカーが来年度中には全廃となるそうだ。
二十年以上乗っていないが、もう見られなくなってしまうと思うとやはりさみしい。
楽しい思い出を呼び覚ますこのミュージックホーンも赤い電車じゃなきゃピンと来ない。


 

昭和は遠くなりにけり。

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似る

少し前のことになるが、ある日曜日。
ぼうずはガサゴソと早起きし、友と六人連れで名古屋へ出かけた。

「名駅・栄周辺やら大須やらをうろうろしてな、東急ハンズでちょこちょこっと買物してな、
 あんかけスパをガガーッと食ってな、…略…」
名古屋という街は地上より地下のほうにわさわさ人がいる、などと楽しげに話しつつ、
「でもなあ、地下鉄って何やしらん心細い気分にならへん?」
図体に合わぬことも言う。

ぷっと小さく噴き出したものの、何となく頷きたくなる言葉ではあった。
私自身、大昔は日々の足だった地下鉄という乗物にあまり懐かしさを感じないからだ。
職場の鬱屈を抱えて帰る日など特に、吊革に掴まる自分の顔しか見えぬ窓が疎ましく、
どこに行き着くのかわからなくなるような不安すら覚えた。
「まもなく、○○~、○○~、お出口は左(右)側です」
というアナウンスが入り、駅の灯りが射し込めば、妙な閉塞感も一旦ほどけるのだが、
走り出すとまたそれが心の中で凝ってゆく。
自分の町の駅に降りると、疲れているときでも急ぎ足で階段を上がった。

そう言えば、三歳くらいの頃のぼうずは、ドライブなどで少し長めのトンネルに入る度、
「おかあさん、ぼくらあんなちっちゃい穴から外へ出れるん?」
心配そうな顔で尋ねたものだが、母親にそれを話したら、
「あれま、あんたも小さい頃おんなじことを言っとったよ」
と笑っていた。

性格もものの考え方もおとんそっくりで私とはまるで違う少年ながら、ものの感じ方は、
どこやら似ているところがあるのかもしれない。
日が沈んだ後の、まだいくらか明るさが残る時間に山並を仰ぎ見、チャリをこいでいると、
鳩尾がきゅーっと締まるような変な気分になってしまうが、決して不快な感覚ではない、
いつかそう漏らしたこともあり、おや、あんたもかい、と思ったしな。

そして。
やたら擬態語を多用するアタマの悪い話し方は確実に似ちまったようだ。

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再会の春

このところ嬉しい再会が二つもあった。

お一方は、以前某掲示板にて活躍されていたりょうさん。
(
勝手にお名前を挙げてすみません)
少し前にブログを始められ、

「わー、またあの鋭利且つ心底大笑いできる素晴らしい文が読める!」
と、喜びでいっぱいになった。

もうお一方もやはりネットの某所で活躍されていたある女性。
夕方、
「ありゃ、何やらリンクの影が…」
と気付き見てみたら、その方のお部屋へたどり着いて吃驚。

こういうお母さまと飲んだらとても満ち足りた時間を過ごせそうだ、なんて想像しつつも、
特にやりとりがあったわけではなく、こちらが秘かに親しみを感じていただけの淡い御縁。
いつしかお姿を消してしまわれ、それっきりだった。
(
いや、お姿を消してしまわれたってのは私の早とちりで、一寸した変更があった模様。
 
がっかりしてそこを見なくなったため、それっきりだったのである。
 
ちったあじっくり探しゃいいものを、ものぐさのツケはこういうところに回ってくる)

弓の遣い手さま、またお会いできて感激です。
が。
品も恥もあったもんじゃないくそばばあのブータレ日記ゆえ、まずいとお感じになったら、

かまわずちゃちゃっとマークを外して下さいね。


やっほーな出来事が続いたんで、宝くじも当たるかもしれん。
必ず三枚しか買わんドケチだが。

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ね組のひと

田代まさしはまだ塀の中なのだろうか。
ミニにタコならぬ顔に靴墨でデビューしたシャネルズだが、曲はみなミニに心地良かった。
ラッツ&スターになってからもやっぱり好きで、手をカニにして、
「イキな事件 起こりそうだぜ めッ」
と『め組のひと』をやっていたツンツンツンそれはだあれラミパスラミパスぶるるるる…。

ともかく。
『め組のひと』は今でも発作的に歌いたくなることがある。
が、勘弁してくれ、と思うのは、『ね組のひと』。

「主婦たる者、いつも前向きでいなくちゃ“ね”」
「女だもの、ずっとお洒落に輝いていなくちゃ“ね”」
「母だって、積極的に学んでいかなくちゃ“ね”」
このようにいちいち“ね”付きでものを語る人って、どうも苦手だ。
(
女性誌の見出し風にしてみたが、最も身近な主婦界の例をテキトーに挙げただけで、
 
上記の如くムズケツな内容ばかりとは限らない。
 ただ、何故か“ね”付きでものを語るムズケツさんが多いため、結局は重なるようだ)

偏屈なばばあながら、私は人と話すのが好きである、くだけたおしゃべりは特に。
だが、上記の人につかまるとひどく気分をそがれる。
初めから同意すべき事柄のような“ね”付きの言であたくしカラーに纏められちゃったら、
それ以上会話が繋がっていかないではないか。
同じ『ね組のひと』どうしなら称賛や反発で盛り上がることができるのかもしれないが、
大抵の人は、

「はあ、そうですね」
とか、
「はい、すみません」
とか、
「なるほど、すばらしいですね」
とか答えるのみ、そこでぷつんと話が終わるように見える。
それじゃ人と話す意味がないし、一体何が面白いのだろう、と首を捻ってしまうのだが、
御本人はそういう言葉を得ることで満足している様子、でら不思議だ。

それでも、ま、必要以上の関わりを強いられぬ限り、特に困るわけではない。
ね組だろうが花組だろうが星組だろうが人の勝手だし、趣味嗜好の問題。
『ね組のひと』がいる場での話はつまんない流れになると承知しときゃいいだけのことだ。

が、『ね組のひと』は元々おのれの言の常識化をはかりたがるという面を持っているので、
お節介を焼いたり他に働きかけを行うようになったら要注意だとは思う。

胡散臭い健康食品や化粧品、また新興宗教の勧誘員を見よ。

みな『ね組のひと』である。

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