ボンクラ主婦きすけの気ままな日記
今年のセンバツ入場行進曲は、コブクロの『蕾』。
よくまあこのように“らしく”アレンジできるもんだなあ、と毎年感心させられる。
五年前の『大きな古時計』なんか、行進どころか初めから
「ぜんたーい、止まれ、イチ、ニ」
みたいな選曲ではないかと思ったが、違和感なくきっちりと仕上がっていた。

毎年変わる入場行進曲とは別に、ブラバンの応援曲は高揚をもたらすものが定番化、
チャンステーマなどプロ・アマを問わず用いられている曲も多い。
何にせよ、敗れた選手たちの涙に貰い泣きしたり、
「うわー、比嘉くんやん、また一段と男っぷりを上げて!」
と、指導者になって甲子園に帰ってきた沖縄尚学・比嘉公也監督の姿にじーんときたり、大会中の常として、昨日も様々な応援曲が頭の中で鳴り響いている状態だった。

が、夜になると一転。
W杯3次予選バーレーン戦は、ガーガーわめき続けてもおかしくない苛々展開なのに、
何故だかテンションが上がらない。
点を失ったときもカッカとくるよりポカーン。

原因はどうやらバーレーンの応援の音楽にあるよう。
何度も繰り返されるうち尻の下のホットカーペットが浮き上がるようなひょろろん感を覚え、どうも腹に力が入りきらないのだ。
あれで存分に盛り上がれるバーレーンの人々って…世界不思議発見である。
なお、イランの作り過ぎた豆腐を売り捌くぞ的なラッパ応援も妙な波動で調子を狂わす。
地方は交通網が粗い。
駅前等へ行く際は結構頻繁にバスが走っているので困らないが、家⇔病院の場合だと、
ちょうどバス路線の挟間に位置しているため些か不便だ。

調子が良ければ勿論歩いて行くが、そうでないときはタクシーを利用することも。
これまで嫌な顔をされたことはないものの、千円を超えぬ距離、つい、
「近いのにすいません」
という言葉が出る。
大昔の記憶ながら、実家のある街だとごくたまに不機嫌になる人がいたからだ。

今日も病院から行き先を告げる際に言い添えたら、
「奥さん、長距離の移動やったらちゃーんとそれなりの乗り物があります。
 
だーれがど高いタクシーなんか使いますかいな。
 
私らは近距離で気軽に乗ってもらうためにいてますねんで」
年嵩の運転手さんは何でもなさげにそう答えた。

運転手さんにしてみれば、当たり前のことを言っただけなのかもしれない。
だが、当り前のことを当たり前に言えるってかっこいいなあ、と思った。

 ♪ 好きだったのよあなた 胸の奥でずっと
    もうすぐわたしきっと あなたを振り向かせる

前項の『けんかをやめて』と同じく学生時代に流行った曲、ユーミンの作詞である。
当時歌っていたのは石川ひとみ。
元々は三木聖子の歌唱によりそこそこ売れた曲を石川ひとみがカバーしたところ大ヒット、昨年、徳永英明もカバーして再び話題になった。

「別の人がくれたラブレターを見せるとか、偶然を装い帰り道で待つとか、やな女!」
「だよなあ、そこまで回りくどい奴っておるか?」
と、この曲にやたら怒る友人がいた。
一人は生真面目な女子、もう一人はあっけらかんな性格の男子。
二人がぶつぶつ言うその手管は確かに笑える。
が、心理自体にさほどの抵抗はないなあ、と秘かに思った。

・・・・・私の好きな人とデートなんかしちゃってムッシュメラメラファイヤーにさせたあの子、
結局は振られたそうね、けど、私はその辺の女の子みたいに安っぽく媚びないわよ、
好きな人の方から自主的に好きだと言わせなくちゃ何も意味がないじゃない・・・・・
一、二番を繋げて意をまとめると、こんなところか。

いやはやお高いお高い。
だが、『けんかをやめて』が身勝手なお嬢心を飾らず語る曲ならば、この『まちぶせ』は、
青臭く完全を求める高慢なお嬢心を飾らず語る曲で、今なぞってみても不潔感はない。
何かってーと悲哀の涙に暮れちゃう自己憐憫女よりよっぽど清々しいってもんだ。


ついでながら。
この曲に怒っていた二人は卒業後何年かして結婚。
それはそれでまた微笑ましい出来事であった。

  けんかをやめて 二人を止めて
    
わたしのために争わないで もうこれ以上

学生時代に流行った曲である。
何年か後には作詞・作曲者の竹内まりやによるセルフカバーも耳にするようになったが、
当時は河合奈保子が歌っていた。

聴いた当初は、何でまたこんな、大抵の女にとって虫酸が走るばかりの曲を…と、
河合奈保子が気の毒になったものだ。
尤も、全体を通して聴くうち身勝手なお嬢心を飾らず語っている歌詞にむしろ好感を持ち、
ただ立っているだけでも可愛い彼女が歌ってこそ光る曲だとさえ思うようになったが。

実際に虫酸が走ったのは、この曲のシチュエーションのみに酔う身近なヒロインちゃんだ。喫茶店などで流れてくる度、
「そうなんだよねえ…」
いろんな男の人を傷付けてきた自分とやらを悩ましげに責めてみせる。
ある日、いいかげんめんどくさくなったんで、
「たぶん、あの子とは合わなかった程度でさっぱり忘れてくれてるんじゃない?」
と、とっても温かく慰めたら、人の気持ちがわからない人間だと泣かれてしまった。
けっ、自分は誰にとっても重要人物なのだと思い込める自信家が何を泣く。
確かに人の気持ちはわからん。
が、大して魅力的とも思えぬあんたがくよくよする必要などないってことだけはわかるよ。

この手の人っていくつになっても定期的に現れるから面白い。
一体どういう鏡を持っているのだろう。



ところで。
この曲、松田聖子が歌っていたらあまりに似合い過ぎてバッシングの嵐だったろうな。
朝。
「この時季唯一の良さは鼻クソをほじる必要がないことやな」
などと言いつつ家を出たぼうず。
そんなあんた、無理矢理に花粉症の利を探さんでも…。

食って鼻水が止まるわけでもないが、今晩は奴の好きなポテトサラダをどっさり作ったろ。 そう思ったところで、これ。
002.jpg
(今回は台紙を洒落てみた、見栄の張り方が間違っているような気もするが)

昨夏ぼうずがスガキヤのくじに当たったとかで貰ってきた特製ラーメンフォークである。
家ラーメンの際に一、二度使ったが、やはり食べにくいようですぐ放っぽり出した。
現在はポテトサラダの取り分け専用スプーンになっている。
猫ギター先生のブログであまりにも素晴らしい若者に出会い、決して大袈裟でなく、
敬虔な思いでもって深く頭を垂れた。

で。
ぼうずをとっつかまえ、
「なあ、一年でこんなに勉強した人がおいでるんやで」
と、直接PC画面を見せた。

勉強関連の話題だと、普段ならいかにもうんざりといった顔をする。
が、今回は、
「凄いな」
と言ったきり、しばし黙って見つめていた。
それくらいインパクトの強い画像だったのだろう。

「今日な、ガッコの先生にも
 
『おまえの得手勝手な都合でやれることを限定すな』
 
て言われたわ」
珍しくそんなことをぽつり。
K君の問題集タワー、是非心に焼き付けてほしいものだ…。


先月に入ってすぐ腸の方がまたちょっとやばくなりかけ、それからあまり外に出ていない。週末、おとんの運転で食材の買い出しに連れて行って貰い、下拵えしてフリージング、
どうしても必要な生鮮物を徒歩五分の小さなスーパーへ買いに行く程度、てな毎日だ。
将来的にはバイパス手術という手もあるし、生来パーなんで全然暗くなれないんだが、
昨年取った資格に関し、学習したことを忘れぬよう疑似ソフトで練習している際など、
「これを活かせる日があるのだろうか」
ふとした空しさを覚えることもある。
でもさ、活かすも何も、やり続けなきゃ話にならんわな。

K君の問題集タワーにもう一度敬礼。
柔道の泉浩選手がアテネ五輪に出場した際、大間のマグロ漁師であるお父上が、
【マグロ一筋】とプリントされた渋いTシャツを着て応援してござった。
「がーっ、欲しい欲しい、あれ欲しいっ!」
と叫んで家族に呆れられたが、同じことを思った人も多かったようでのちに発売され、
今なお人気だそう。
「どこへ着てくんや」
というぼうずの一言で我に返り、結局買わなかったけど。


『ちりとてちん』を観ていても、
「がーっ、欲しい欲しい、あれ欲しいっ!」
しょっちゅう一人で叫んでいる。
焼鯖をウリにしている魚屋食堂の鯖Tシャツにどえらい惹かれるのだ。

今日友春ぼんが着ていたのには【Yellow Sabmarine】の文字…盛大に噴いた。
他に【焼鯖道は一日にして成らず】、【雑魚とは違うのだよ雑魚とは】なんてのもあるし、
また、幸助さん着用の【仲良きことは美しき哉】や【鯖街道は男道】もいい。

鯖Tシャツを手に入れたら、当然、福井へ着て行く。
で、小浜の朽木屋商店にて焼鯖、かねまつにて特丼を食べる!
長いこと行っていないんで、余計思いが募るなあ。

朝、鼻の穴にティッシュを挿したままゴミ出しに行こうとしてしまった、あぶないあぶない。
二十年ほど前、まだ花粉症になりたての頃は、春なのに〜鼻水で〜すか〜♪、と、
頭の悪い歌を自棄気味に口ずさんでいたものだが、どんどんお仲間が増えた現在じゃ、
春はこのうんざり状態が当たり前、てな気分。
むしろ、花粉なんか関係ないわん、みたいに爽やかな顔で歩いている人を見ると、
「きさまはそれでもニッポン人か!」
憲兵のように怒鳴りつけたくなるから不思議、これはもっとあぶない。

うんざり状態といえば、毎日スパムコメントの多いこと。
今日FC2からも禁止機能追加の通知が来ており、指定例に挙げられていたドメインが、
うちに来る業者らしき奴と同じだったので笑った。

で、なんとなく載せてみたくなっちゃったこれ。
spam.jpg
きさまはそれでもニッポン人か!
春なのに〜♪、と変わらぬ頭の悪さである。

昨日書いた『たったひとことの事』ってのは、挨拶全般にも言える。
だが、今度は求める側のしょうもなさについて。

同じマンションにやたら口うるさい奥さんがいる。
年は五十代半ば、背中のジッパーを開ければ中から幸楽の婆さんが出てきそうな人で、捕まると大変。
「先日おたくの息子さんがコンビニの前でフレンチドックを食べていた。
 
高校生とはいえ外で立ち食いなどさせるのはいかがなものか」
てな直接の苦言に始まり、○○さんは宅配ピザばかりとる、△△さんはここが駄目、
××さんはそこが不愉快等々、私にしてみりゃあまり知らない人のことまで喋る喋る。
よくもまあこんなによそんちのことが目に入るもんだ、と気味悪くなるほど。

その時々で几帳面に内容が変わるためなお寒気立ってしまうのだが、
「このマンションの子どもたちはしっかり挨拶ができない」
という台詞は毎回必ず言う。

確かに私も、自分から挨拶のできる子がめっきり少なくなったなあ、と感じてはいた。
挨拶は社会生活の基本、その辺りは親が言い聞かせてやらねばまずいぞ、と思う。
だが、こっちは一応大人である、また、殆どの子は声を掛ければちゃんと返してよこす。
くどくど嘆くほど気になるんだったら、まずは自分が手本を示してやりゃいいだけのことだ。 会う度ににっこり笑ってフツーに挨拶し続けりゃ、そのうち何でもない日常の習慣になり、
「おばちゃん、ただいま」
と自分から言う子も出てくるんだよな。
大体さあ、あなたの姿を見ると私だってギクッ、挨拶より先に小便ちびりそうになるがな。

自分は挨拶をとても大切なことだと考えている。
だから自分は相手が誰であれ反応がどうであれ挨拶をする。
そういう、極めてシンプルな話。
「おはよう」
「こんにちは」
「おかえり」

のたったひとことだ、それで腹がひもじくなったり痔核が飛び出たりする訳でもあるまい。

世に教えを垂れているつもりであっても、よく聞くと、
「自分は特別な人間だ」
とごねているだけに過ぎない、なんて人は結構多い。

先だっての通院日。
病院のホールは各科の受診を終えた会計待ちの人でいっぱい、座る場所さえなかった。
別に辛くもなし、壁際でボーと立っていたら、すぐそばの長椅子に正統派ヤンキー発見。

金のダメージヘアにスウェットの上下、ダルに羽織った刺繍入りトラックジャケットが小粋。足元だって、霙降る余寒に動じぬ男気が眩しいハイビスカス柄の常夏サンダルだぜ!
よく似たいでたちの彼女(奥さん?)に付き添ってきたらしく、そちらは眼帯を付けて、
「めーぼに目薬さしてもうただけやのに、えらい待たされなあかんねんなあ」
ため息をついている。                      (:めーぼ=ものもらいの意)

そこへしんどそうにやって来た腰の曲がったおじいさん、なのに彼は知らん顔。
所を選ばず気軽に厠座りできるのもヤンキーの特性やろ、はよ代われや、とは思っても、
くそチキンなばばあ、せいぜいわざとらしく非難の視線を投げることしかできない。

だが、少し経ってはっとしたように立ち上がり、
「あ、すんまへん、座って下さい」
おじいさんに声をかけると、彼はそのまま壁際のスペースへ移動した。
何のことはない、おじいさんの姿に気付くのが遅れただけ。
彼は“ヤンキールックを好む普通の人”だったのである。
うがが、めっさ恥ずかしいやん、私。


ところで。
冒頭にも表れている通り、普段私は人の見た目だけを取り上げてヤンキー呼ばわりする。ゆえに彼のような“ヤンキールックを好む普通の人”も含まれる。
が、真性ヤンキーとなると、またちょっと違う。
個人的に“真性”として勝手に認定しているのは、
「すみません」
のひとことが言えない人間だ。

遅刻を咎められて逆ギレする奴。
「しょうがないでしょ、私にはこれこれこういう事情があったのっ!」
時間は守らねばならんという常識の部分、社会と私・他人と私を理解で結ぶ初めの一歩、まず先に立てなきゃいけないそれをあっさり放棄している。
「すみません」
のたったひとことを出し惜しみする者の事情なんか誰も汲もうとはしない。

校則違反を繰り返しておきながら先生に注意を受けると、