茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

八月もそろそろ終わりだ

USAGI台風が来た際に予兆っぽいのんがあったんで注意していたのだが、
久々に持病のメニエルが悪化、お盆あたりからずっとぐでぐでの日々を送っていた。
うまく付き合っていくしかないとわかってはいても、我ながらほんと使えねえな、と、
鬱々たる精神状態に陥ってしまうのがどうも…。

そのくせちょっと回復してくると、いや、使えるだの使えねえだのという発想自体、
他者との比較を下敷きにしているだけのまことに安易な考え方だ、
まずは『“おのれ” を見る』という最も基本的なことを疎かにするこんな姿勢こそ、
巡り連なり重なり積もり、個々から社会の問題へと拡がっていくのかもしれぬ、などと、
無理矢理大袈裟に世間様との接点を求めたりするのであった。

何にしても、早く涼しくなんねーかなー。

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たたかい済んで…

昨夕から今朝にかけ、各局のニュースは自民代議士会の模様を何度となく報じた。
身内に面と向かって退陣を迫られる安倍さんの苦渋に満ちた顔を繰り返し見たわけで、
だるま落としみたいな体つきの中川さんが出した助け舟にも、慣性の法則かい、と、
強引な感想をひとりごちてしまったのだが、これほどの屈辱をどう乗り越えるのか、
どう社会保険庁の改革や天下りの問題に取り組むのか、注目したいところである。

安倍さんに対しては、良くも悪くもそのまんまの人だなあと思っていた。
変な例えながら、手に提げた紙袋を指し、
「それは何か?」
と問われたら、大抵は服だとか本だとか中身について答える。
しかし、安倍さんの場合は答弁にしろ会見にしろ演説にしろ、
「紙袋だ」
で終わってしまう、そんな印象が強いのだ。

安倍さんが天下りについて規制の撤廃→代わりに罰則強化という策を打ち出した際、
法や政治にとんと昏い私であっても“へ?”とびっくりした。
規制の撤廃において官民交流促進の必要性云々を強調してはいるが、
罰則強化と一繋がりで考えれば、規制が天下りの弊害を防ぐ役割を果たしていない、
そう公に認めたという別の見方も成り立つわけだよなあ、と思ったのである。
だったら堂々と能力主義を表に出して天下りのイメージを一新しましょ、てことかいな、
けど、問題はあくまでも天下りによる諸々の弊害にあるわけなんだから、
そこんとこを具体的に説明せぬ限り、突然前向きな姿を見せられたって納得しにくいし、
紙袋だ、では済まないんじゃないか、とまあ、何やら疑問ばかりが残ったのだった。

だが一方、新人材バンクが機能すれば官僚のやりたい放題にストップをかけられる、
そんな期待があるのも事実なのだから、全く煮え切らぬばばあである。
浅きに過ぎるものの、結局“透明であるかどうか”にかかっているのかもしれない。

ところで、所謂無党派層ってやつながら、今回の参院選くらい悩んだ例は記憶にない。
民主も個々を見れば有能な議員は大勢いるが、奈何せん党としての団結力が薄弱だ。
現に、今夕行われるシーファー×小沢のテロ対策特措法延長についての会談も、
それを前に内部の意見がまとまらず、てんでんばらばらといった感が否めなかった。
そゆとこ、自民と変わんないような気もするんだが…。
大勝の責任はこれからずしり、だいじょうぶなのか民主。

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盲点

顔を洗うとき、人はどういった順序を踏むか。
水またはぬるま湯で顔全体をざっと予洗い→石鹸等の洗顔料を泡立てる
→本洗いした後、よくすすぎ、タオルで水分を拭き取って完了。
洗い方等細部については、年齢・性別・肌質・性格他により異なるが、
一般に上記の3ステップは基本的な流れとしてそう大差ないであろう。

固形、錬り、液体いずれにしろ、洗顔料はきちんと泡立ててから使うものだ。
だが、泡立てるその手が汚れていては無意味。
何が言いたいかと言えば、顔を洗うならまず一番初めに手を洗うのが肝要、
とまあ、そゆことなんである。
当たり前のことのようでいて、案外やっていない人も多いのではないか。

例えばメークをしている女性の場合、ダブル洗顔が主流である。
一旦クレンジング剤でメークを落とした後、さらに洗顔料で洗うのだが、
油性のクレンジング剤にべたついた手のひらで洗顔料を泡立てている、
そんな人を何度か見た。
手も顔も同時にきれいになる筈といった思い込みがあるのかもしれない。

学生時代、卒論研究の調査合宿のため一週間×五回、仲間と寝食を共にした。
師にこってり絞られつつ陸の孤島と言われる地を巡ったいい思い出なのだが、
その際、額に賑わうにきびに悩む友が上記のことをやっていたので、
「洗顔料を使う前に石鹸で手を洗わないと、洗浄力落ちるんじゃない?」
と言ってみた。
二週間ほど経って、
「あれ、正解だったわ、にきびが急に減ってきた」
前髪を上げて見せてくれたが、確かにずいぶんきれいになっていた。

うるさく自慢げに説かれるので(ははは)洗顔は真面目にやってきたらしいが、
少し前、ぼうずもやはりでこにきびが増えていた。
「そういう段階を経てアブラギッシュなおっさんになっていくのだ、諦めろ」
とは言ったものの、洗顔の後に洗髪していないか訊いたところ、そうだと頷く。
「それ、顔に流れたリンスのせいかもしれへんよ、順序逆にしてみ」
はたして、たまにぽつっと大きいのはできるが、小さい群生は消えた。
で、また自慢げにそらみろと言っている。

他から見れば“トーゼンだろ”な事柄でも、自分には盲点になっちゃっている、
こういうことってわんさか潜んでいるんだろうなあ、と思う。
実際、後からそれと気付かされたことだけでもぞっとするほどたくさんある。
友やガキの話を書いたのも、自身の件だと長くなり過ぎて収拾がつかぬからだ。


人は、弱点でなく盲点を突く批判ならば受け容れやすいのかもしれない。
が、作られた盲点というのもあるので、これまた難しい。
変な宗教にはまるのなんか、それにやられるようなもんだし。

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おいしいひもの

グルメとは程遠いど庶民なので、食べ物に文句を言うことはあまりない。
しょっちゅう食卓に上る鰺の開きもスーパーに並んでいるもので十分、
ああ、ひものだなあ、と思いながらつついている。

それでも、秋刀魚の開きは新婚当時買ったきり手を出していなかった。
秋刀魚自体は旬になると頻繁に食べる大好物だが、あのじゅわーっとくる旨い脂が、
ひものになるとひねた臭いになって鼻に付き、どうも苦手なのだ。
二、三年前、久々に買ってみたがやはり駄目、おとんもぼうずも揃って残してしまう。
開いて広くし日に当てたというのにうちじゃ秋刀魚の開きは肩身の狭い日蔭者だった。

そんな印象をがらりと変えたのが、紀州は雑賀崎の秋刀魚の開き。
箱を開けた途端、姿からしてぴかぴかときれいなひものが現れ、わ、うまそー。

灰干しという製法だそうで、脂の臭味が全く感じられず、そのまま旨味になっている。
塩加減もほどよく、大根おろしを添え二枚も食べてしまったわい。
鰺の開きもあるが、スーパーの物とは格段の差、ああ、ひものだなあ、ではなく、
ああ、ひものっておいしいなあ、と思いながらどんどんつついた。

手のかかった品とは言え、目玉が飛び出るような値段ではないのがひものの良さ、
刺身以外の魚にはなーんだといった顔をしやがるぼうずでさえ積極的に食べるので、
送料も仕方ないであろう、冷凍しておけば日持ちするのも重宝だ。

興味のある方は『紀州 灰干し さんま』で検索してみて下さい。
味の好みくらい人それぞれなものもないんで保証はしませんが。

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