ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

その夜。
春に校長室で撮影した数枚の写真をあらためて文机に並べた。
かつて金色に輝いていたであろう表装はまだらに剥げているものの、
ぴんと背筋を伸ばしたかの如く端正な筆である。

と、かなりぶれてしまい殆ど顧みなかった一枚がはらり畳に落ちた。
ぞんざいに拾い上げて隅へ戻すと、
「あれ?」
向かって左側の枠にしみとも影ともつかぬ点のようなものが。
作り話臭い流れだが、本当のことだから不思議だ。
良く撮れた写真では何も見えない。

翌日、小学校へすっ飛んで行った。
お盆過ぎのしーんとした校庭で見回りをしていた校長先生をつかまえ、
またもずかずかと校長室へ普段は授業参観でさえどうも苦手なのに、
一体この度胸はどこから出てくるんだろう、身勝手なだけか。

驚いたことに、以前は雑然としていた棚の上がきれいに整頓され、
扁額がすっきりと姿を現している。
「ようわからんまんまで過ぎてしもて申し訳ないんですけど、
 あれからえらい気になったもんで片付けときました」
校長先生は首に巻いたタオルの端で汗を拭き拭きおっしゃった。

その言葉に深く頭を下げ、折り畳み椅子の上に乗って扁額に向かう。
ハンカチでそーっと枠をなでると、
『 寄贈 ××××× 』
当時の○△製薬御当主の名前がうっすらと記されていた。
ああ、やっぱり

それがわかって何になるかと言えば、何にもならない。
土地の仁者の縁により、松本良順が揮毫を残したというだけの話だ。
だが、片田舎の小さな尋常小学校のために筆を執る醇厚な人柄は、
小説・伝記とぴたり重なり合うようで、胸が熱くなった。

その額を眺める年寄りじみた子どもなどいやしなくても、
その額は校長室の壁から見晴らしの良くなった窓の外を眺めるだろう。
新学期になれば、校庭はまた子どもたちの賑やかな声でいっぱいになる。

昨夕の帰り道、西日にたちのぼる草いきれの中で幻のように浮かんだ、
良順先生の足あとが、ただただ慕わしかった。

声をかけて下さったのは、創業者一族の奥さんだった。
例の如く子どもが夏休みの宿題で…”ともごもご事情を話したところ、
いともあっさりと工場の反対側にあるお邸の方へ案内して下さり、恐縮。

樹木の茂るそこには、地方財閥だった当事の空気がひっそりと沈んでいた。
昭和の戦火で甚大な被害を蒙ったものの、二条関白直筆の免許状を始め、
庭園の松を愛でに度々来遊したと言う貫名海屋が残した書幅、
十八代当主と親しかった東郷平八郎が手ずから刻し贈った円形の篆額、
近いものでは風雅な離れで三木武夫がしたためていった書額等々、
貴重な品々が邸内のあちこちに当たり前のような顔で溶け込んでいる。
場違いな母子はトボーンと呆気にとられるばかりだ。

奥さんは、明治・大正の頃の広告が一部残っていた筈、と書庫の鍵を開け、
コピー機にかけて惜しげもなく提供して下さったのだが、
特に目を惹く刷物=軽い会釈の形で向い合う正装の紳士淑女を中央に、
モダンな意匠を凝らしてある=を渡す際、さらりおっしゃった。
「これはね、今でも胃腸薬として少し処方を変えて作ってるんやけど、
 元々は性病の症状を抑える薬やったそうなんよ。
 明治の中頃、松本良順が滞在したとき、処方を伝えていかれたんやて」

「ひゃっ!!」
私は興奮のあまり素っ頓狂な声を上げてしまった。
「こちらは良順先生と親交があったんですかっ!」
「ええ、老境に入ってから何度か滞在されたようなことは聞いてます」
実は斯々然々と、小学校の校名額について話したところ、
「うちのつてで、というならご本人なんやろけど
残念ながらその事柄についての記録は残っていないそうだ。

あれやこれやお世話になり、お邸を後にした。
家へ帰る道すがら、
「良順先生があたしらの町に来たってだけで、おかあさんは嬉しいなあ」
「うん、もしかしたらこの道を歩いとったかもしれへんよ」
「前に市史・地方史やら産業史やら躍起になって調べたのに、
 良順先生とは掠りもせんかったわ。
 確証はないけどあの額は○△製薬さんのご縁で書かれたんやろね」
「そや、きっとここの子らがかしこなるようにて書いてくれたんやで」
まだ母親を喜ばせてやろうという可愛げがあった(ははは)子どもと、
そんなことを言い合い、西日に手をかざしつつ逃げ水を追うような心地で歩く。

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