茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

性悪・2

このクソ暑さのなか、晩ごはんにえらく季節を外したロールキャベツなんぞこしらえた私は、
いったい何と闘っているのか、 という自己ツッコミも暑苦しいけふこのごろ。
折角47kgまで戻ったんだから今夏は意地でも痩せんぞ、本能に従い食いたいもんを食う。
ただ、こう気温が高いと食物の扱いには神経質にならざるを得ず、手も洗い過ぎでガサガサ。
足同様元々おっさんくさくでかい手ぇしてんのに、荒れるとよけいごつく見えて笑える。

手足がでかいってのは、可愛げがない。
婆になっちまえば屁とも思わんことだが、私とて生まれた時から婆だったわけじゃないんで、
遠い昔は結構気にしていた。


高一の頃。
朝礼が終わって昇降口へ戻ると、学校指定のスリッパが何足か下駄箱から勝手に下ろされ、
スノコ板の前に並べられている。
同級生がふざけてやったことで、22センチのその彼女(以下N)は、自分のそれと比べ、
「こうやって見ると、きすけの足ってほんと大きいんだね」
いたずらっぽくクスクス。
ぞろぞろ戻ってきた男子も、
「一足抜きん出てでけえな、誰のだ?」
と、マジックで書いたネームを読んでやがる。

N
子は小柄で愛くるしい顔立ちのうえお茶目でもあり、かなりモテた。
けれど、私はどうも波長が合わず、彼女と特に親しくしたいとは思わなかった。
その時もむかっときたのだが、私は本気で腹を立てると逆に黙り込むタイプだったため、
無言のまま自分のスリッパを引き寄せ、履き替えた。

「きすけ、怒ったの?」
  (見りゃわかるだろ)
「ごめんごめん、冗談だって」
  (冗談? 小馬鹿にしたと言え)
「そんなに怒るようなことでもないじゃない」
  (あんたが決めることかね?)
「きすけは背が高くていいな」
  (今度は急に機嫌取りか、白々しい)

彼女を完全に無視し、むすっとしたまま教室へ向かったら、背後で男子の声。
「あーあ、泣かしちゃった」
なんと、N子は俯いてべそをかいている。
それでさらに腹が立ち、怯まず冷やかに言った。
N子こそ泣くようなことでもないじゃない」
すると、先ほどの男子がひとこと、
「きっつい女だなあ」
他の女子も一様に驚いた顔をして私を眺めていた。

日々の時間の流れが速い高校生のこと。
別に関係がこじれたりはせず、すぐ元通りに口をきくようになったが、今思い返せば、
確かに私の態度は憎ったらしかった。
そう。
手足のサイズなんかより、まずはそんなかどかどしい性格を気にするべきだったのだ。


二、三年前、伜にこの思い出をかいつまんで話したところ、
「ふーん、今とあんまり変わらん人間やったんやな」
うむ。
スリッパ投げつけたろかあんた、と思った。

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虹とスニーカーの頃

高校時代。
選択の授業で視聴覚室へ移動、いつものように窓際の席に着いたら、その机に
         
       【   わがままは 男の罪
         
           それを許さないのは 女の罪  】
当時流行っていたチューリップの『虹とスニーカーの頃』の一節が落書きしてあった。

何となく、
         
       【   助平は 男の罪
         
           それを許さないのは 女の罪  】
その下に書き加えておいた。
(勿論鉛筆書きでっせ、どっちにしても褒められたこっちゃないが)

しばらく経ったある日、
「おい」
大変に人気のあった違うクラスの男前が声をかけてきた。
私もこっそり彼を素敵だと思っていたが、それまで話したことがなかったのでちょっとドキッ。

「あれ書いたの、あんたか?」
「?」
「助平は男の罪、ってやつ」
「あーあー、はいはい、何でわかったの?」
「筆跡も似とるし、こんな馬鹿くさいことを書くのはあんたぐらいのもんかもしれんとAが言っとった」
そのAとは、去年同じクラスだった男子で、謂わば喧嘩友達みたいな相手。
(
くっそー、Aのやつ、余計なこと言いやがって!)
心中歯噛みしたが、男前の彼は、
「上手いな」
爽やかに笑って立ち去った。


十数年の時が流れ…
親子三人、名古屋の東山動物園に行ったところ、やはり家族連れで来ていた彼とばったり。
お互い幼児の親ながら、相変わらずの男前だ。
向こうから声をかけてくれ、ものすごくうれしかったのだが、
「♪助平はー 男の罪ー」
すかさず歌いだす。
赤面した。

若かった、何もかもが。

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ハナクソの教え

大昔、会社勤めをしていた若い頃のこと。

ちょっとした問題が発生し遅くなった帰りの地下鉄車内は空いていた。

同じ駅から乗り、向かいのロングシートの端に座った中年男性。
髪は七三、営業スーツにネクタイをきちんと締めた真面目そうな形姿で、酔っている風もない。

にも関わらず、いきなりハナクソをほじりだした。
よほど頑固に貼り付いているのか、親指と人差し指で穴の内外をぐいぐいと挟むようにし、
夢中で作業に勤しんでいる。

げげげ…と引きながらもつい上目遣いに様子を窺っていたら、めでたく取れたよう。
今度はじっと人差し指を見つめる。

「わっ、どこかへ飛ばすつもりだろうか」
思わず身構えた途端、視線がぶつかった。
男性は少し困ったような表情を浮かべ、その人差し指を再び穴に。
そう、ハナクソを鼻の中に戻し入れたのである。

ぴんと弾く瞬間を目撃するよりも強い緊張感が走った。
が、男性は次の駅で降りていった。

「世間ってものは広い、世の中には本当にいろいろな人がいる」
私は魂が抜けたような心地でその背中を見送った。

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『好き』の証明

何年生だったか忘れたが、高校時代のある晩。
たまたまぼんやり眺めていたテレビで近藤正臣と中田喜子のキスシーンが始まり、
「ひゃっ!」
声をあげてのけぞった。
音が聞こえるほど濃厚、しまいには唾液の糸まで引いていたのだ。
その場に親がいなくて本当に良かったと胸をなでおろした。

当時近藤は三十代半ば、中田は三十前くらいだったろうか。
白髪のベテラン俳優と渡鬼で回りくどい長台詞をこなすホームドラマ女優、てな現在とは違い、
ちゃんと絵になる二人だったし、
「うわ、きったねー」
というそのまんまの不潔感も覚えず、嫌らしさなどなおのこと感じなかった。
その頃のテレビ界なんてサスペンスドラマ等でも結構際どいベッドシーンを平気で流しており、
『ウィークエンダー』に至ってはとんでもなく卑猥、えげつない映像には慣れていたのである。

にも拘わらずたかがキスシーンでのけぞってしまったのは、ひとえに生々しかったからであろう。
高校生ともなれば、いくら色気に遠い者だって
「恋とは決してロマンチックなだけの話ではないのだろうな」
程度のことは想像がつく。
ストーリーさえ知らぬその一切れの場面は、生身の男女の間に湧き上がる情動というものを、
真実性を伴ってまざまざと見せつけた。
大袈裟にあんあんぬめぬめ絡み合っているベッドシーンよりずっと肉感的だった。
それが続くかどうかはわからないが、この瞬間の二人には確かに愛情があるのだと思った。
近藤正臣と中田喜子…今思えば大した役者である。

暫く経って、大学生の頃。
故沖田浩之の
やたら軽躁な曲が流行った。
            【 A・B・C A・B・C ハアーン E気持 】
まあ殆どコミックソングのノリだったが、A・B・Cという隠語は若者の間で普通に使われており、
誰と誰がどこまで進んだ、などという噂を耳にすると、
「げっ、あのもっさりしたカップルがそんなことしてんのか、気色悪…」
現在と変わらず腹の中でひでー言葉を呟いていたものだ。

ただ、この曲には変なところでコツンと引っかかった。
A・B・Cとか順序を騒いだって、気持ちの面とは必ずしもつながらないような気がしたのである。
耳年増でしかなくとも、男子の場合は身体構造上性衝動と愛情が一致しないと聞いているし、
清楚で可愛い顔をしていながら快楽のみを求めて大胆な行動を繰り返す女子も現実におり、
愛情がなくても身体は動くのかもしれない、と、周りを見て醒めた心地になっていたのだが、

何故だろう、キスというのは相手が本当に好きでなければできないことのように思った。
ここでいきなり考えが飛躍するんで笑えるんだが、もし自分が終戦後のどさくさの中に在り、
生きてゆくため泣く泣く春を売らねばならなかったとしても、キスだけは絶対にできないだろう、
そんなふうにまで妄想を煮詰めていたのだ。
キスとは『好き』の証明である、快楽のためではない生々しい情動の発露である。
何だか馬鹿みたいだが、成人後も不思議にその思いは変わらなかった。


時は流れに流れ…
「夏バテ防止に塩タン食いてー、レモンきゅっと絞って、はふはふぱくつきたいぞー!」
今はこんなことしか思わないばばあである。

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おもひでぐるぐる

夕方、ぼうずの部屋へ糊を借りに入ったら、奴は仏頂面で英語の問題集をやっていた。
が、こっちは頁の間に挟まれた付属の赤いシートを見た途端、
「そういや、これに似たぺらんぺらんな材質の簡易レコードがあったな。
 えっと、ソノシートだったっけか」
極私的な回想の波間に一人揺蕩、どこまでも不真面目な親なのであった。
なに、真面目に問題集を覗き込んだところで珍紛漢紛、勉強の妨げにしかならん、
エーゴトッテモさんデスBAD えーびばでSAMURAI SUSHI GEISHA。

ともかく。
件のソノシートは大昔、絵本や雑誌の付録として大活躍、見た目こそ貧相なれど、
当時のよいこたちをお手軽に満足させてくれる良き友だった。
これまたおもちゃみたいにお手軽なプラスチック製のポータブルレコードプレーヤーで、
童話や日本民話、或いはオバQ、怪物くん他人気アニメの歌などを楽しんだものだ。
風が吹くとフガフガ浮き上がり針が飛ぶため、中心近くに重石の十円玉を置いたが、
聴き終わればそれは忽ち駄菓子屋でコリスの笛ガムやクッピーラムネに化けたりした。

小学二年の冬、重石の主たるスポンサーである祖父に連れられレコード店へ行った。
ソノシ-トではないちゃんとしたレコードを買ってやるから好きな一曲を選べとのこと。
そこでまず最初にねだったのが弘田三枝子の『人形の家』だった。
しかし、明治男の祖父は、
「幼い者がこのような色恋の歌を聴くのは感心しない」
と即却下。
まあ、ものは試しと言ってみただけで子ども乍ら何となく不健全な匂いは嗅いでいたし、
結局、『行け!タイガーマスク』(タイガーマスクの主題歌)を買ってもらった。
祖父はやはり渋面を作りつつも『人形の家』よりはましと不承々々認めてくれたようだ。

私はさほど活発な子どもではなく、プロレスにも特に興味を持っていたわけではないが、
『行け!タイガーマスク』は何故かものすごく好きだった。
長じてからも、ファイト一発、てなときにはいつも脳内でこの曲を鳴り響かせていたほどだ。
私にとって『行け!タイガーマスク』は気力を鼓舞する魂の歌と言っても過言ではない。
思いっきり過言か。
何にせよ、今でもイントロを聴くだけで血が沸いてくるし、よく風呂でがなっている。

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怪奇漫画

調べ物の際など、古い書物や綴りの眠る箱を押入れから引っ張り出して開けると、
特有の湿った匂いが鼻腔にまとわりつく。
それは次第に脳の奥へ侵入し、いつしか薄暗い映像を結ぶ。

三方の壁へ造りつけられた棚に天井までぎっしりとコミック本が並ぶ店。
他には本を手に取るための脚立と小さな古机を置く程度のスペースしかない。
その片隅で、壊れた黒電話みたいにむっつりと座っている店主の爺さん。
客は、いても私の他に一人くらい。

小学生当時、実家の近所にあった貸本屋である。
六年生のいっとき、怪奇漫画に凝った。
そこで古賀新一や楳図かずおの本を借りてきては、母親に眉を顰められたものだ。

古賀作品は『のろいの顔がチチチとまた呼ぶ』等、人面瘡を扱ったいくつかに、
怖いというより生理的な気持ちの悪さを覚えたものの、いったいに単調・平板だった。
後にヒット作『エコエコアザラク』を生み出したが、その頃には怪奇漫画への興味も失せ、
読む機会はなかった。

一方、楳図作品は人の心の黒い淵を覗きこんでしまったような気持にさせるものが多く、
特に、藤圭子そっくりの美少女が狂言回しとなる『おろち』の濃密な世界には戦慄した。
その中の一編『姉妹』が今秋映画化されるそうで、どれも非常に印象深い作品だったが、
子ども心に最も重苦しく響き、澱にも似た不安感さえもたらしたのは『戦闘』である。
心理的にじわじわ追い詰められるような怖さがいつまでも残ったせいか、私にとって、
問いかけの圧力においては、大学の頃読んだ五味川純平・『ガダルカナル』に勝る。

ところで。
当時、男子は空き地で拾ったエロ漫画などを持ち込んで大騒ぎ、なんてこともあったが、
怪奇漫画について話題にすることは少なく、読んでいるのは何故か殆どが女子だった。
ストレートな描写に関心を持たぬ分、女子はそれに別の刺激を感じたのかもしれない。
怪奇漫画にはどこか淫靡なムードが漂う。

おろち

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大人の味

『♪さわやかになる、ひとーとき』の時代だったか、二十年近く前のコカ・コーラのCMで、
初めてコーラを口にする男の子のさまを描いた一編があった。

「どうだ?」

「うん、のどがシュワーッとしておいしい!」

いつしか青年になってしまった小橋賢児が演じる男の子の純粋な驚きや心はずみも、

周囲で見守っていた若者達の、これでお前もちょっぴり大人だぞ、てな快い先輩風も、
それこそ爽やかに伝わり、コーラの味を印象づける上手いCMだなあと感心したものだ。


私が初めてコーラを口にしたのは小学四年生のとき。
大学生だった叔母のデートに何故だかくっついて行ったボウリング場でのことだ。
その頃はまだ駄菓子屋にもコーラキャンディー等が出回っておらず、全く未知の味。
叔母も叔母の友だちだと挨拶したお兄さんも、飲めるかな、と笑って見ていたが、
鼻にツンと抜ける薬臭いような酸味は少しも嫌じゃなかった。
方々で響くピンの音や賑やかな歓声に混じり、ヒデとロザンナの『愛は傷つきやすく』が、
ゲームコーナーのジュークボックスから流れてきたのを憶えている。
そして、髪をカールさせると話し方まで変わる叔母を不思議に感じたことも、朧げに。

それ以来、家族で外出した際などにもしばしばコーラをねだるようになったが、
「子どものくせにおかしなものを欲しがって」
休み休みではありながら抵抗なく飲む私に、両親や祖父母は顔をしかめた。

今考えると、叔母は親達の目を欺くため私をデートに伴うという奇策を講じたのだろう。
当時は勿論その辺りの細かい機微などわからなかったが、家族がコーラをけなす度、
「あのお兄さんのことは黙っていたほうがいいな」
何となくそう思った。

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Y子のよそ見

小学六年生の頃、えらく同級生に嫌われてしまったことがある。
事の発端は帰りのホームルームだった。

『今日の反省』で、女子のまとめ役的存在であるY子が、
「Z美さんは授業中にきょろきょろよそ見ばかりしています。
 直したほうがいいと思います」
と発言。
クスクス同調の笑いも起こり、Z美は顔を真っ赤にしてただ俯いていた。

私は人前ではきはきものを言えるタイプの子どもではなかった。
だが、このときはさっと手を挙げ、言っていた。
「Z美さんがきょろきょろよそ見していることがわかったのは、
 Y子さんもZ美さんの方をよそ見していたからじゃないですか?」
Z美への義侠心からではなく、単にソボクな疑問をひょいと口にしたのだった。
だって、Z美の席はY子の斜め後方にあるじゃん、てなもんで。

教室内がしーんとなって初めて、あ、まずかったかも、と思ったが、時既に遅し。
誰一人として次の発言を切り出す者はなく、暫く空気が凍りついてしまった。
結局、先生の“各自が気をつけましょう”といった平面的な言葉で話が終わった。

元々特に親しかったわけではないが、Y子はその後二度と話しかけてこなくなった。


Y子のよそ見に似た矛盾は、主婦の世界じゃマルフクの看板みたいに頻出する。
○○さんったら人の陰口ばかり言ってて最低、という陰口を言う、とか。
あなたを遠くからそっと見守っているわ、としょっちゅう表立って告げに行く、とか。
自分は控え目な人間だと誇らしげにアピールする、とか。
お、そろそろ出るぞ、などとむしろ心待ちにしちゃうようなクソババアになった今、
私ももうちょっと言い方ってもんがあったよな、とY子に対して申し訳なく思う。

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役者が上

中二のいっとき。
授業中にしょうもない冗談メモをやりとりするという悪ふざけが麻疹の如く流行った。
先生が板書している隙に手早く回すあれだ。
少しでもニヤついた表情を見せようものなら大雷を落とす恐怖先生の時間など特に、
相手に大きな我慢を強いるべくより笑える文を書こうと、みな馬鹿知恵を絞った。
全くええかげんにせんかい、なクソガキどもである。

佐藤君(註:仮名)は、意地悪でもひねくれ者でもないが、ひどく無口で沈着な少年。
左門豊作を思わせる風貌で、パッパラ騒ぐ同級生を尻目にいつも落ち着き払っていた。

動機も内容もすっかり忘れたが、挨拶以外滅多に口をきいたことのない佐藤君に、
何故か冗談メモを送ったことがある。
彼はちらり一瞥した後、常と変わらぬむっつり顔で面倒臭そうに机の中へ放り込んだ。
あまりの佐藤君らしさにむしろ感心したものだ。

ところが、数日後の恐怖先生の時間、意外なことに佐藤君からメモが回ってきた。
“きすけへ”と書かれた紙をびっくらこきつつ開くと、たった四文字、
「なんにも」

結果、私は、先生から最大級の見幕で怒鳴られることとなった。


この佐藤君と、社会人になってから京都でひょっこり再会。
ひとり龍安寺の庭園を拝観しており、あまりの佐藤君らしさにやはり感心した。

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さらり

大昔。
同じ会社の十数人が連れ立って、レトロに装った風の一寸小洒落た居酒屋へ。
選挙絡みの応援だかで、各課より一、二名駆り出された折のことである。
こうして顔を合わせるのもいい機会、ついでに皆で一献という流れだったのだろう。
たまたま女性は五年先輩のSさんと、一年生社員の私のみ。
部署が違うため、普段はすれ違えば挨拶をする程度の間柄だった。

店内では隣り合った二つの大卓に案内されたので、じゃ紅一点ずつ別れてね的に、
Sさんと話のできない位置へ座ることになり、知らない男性ばかりの中で少し緊張。
彼女はさすがに先輩らしく皆顔見知りのようで、すんなりその場に溶け込んでいる。
ビールで乾杯し、取りあえずの皿をつまんで、あとは各自好きなものを、てな頃には、
弾んだ笑い声が聞こえてきた。
だがまあ私も、自身は口下手ながら人の話を聞くのは大好きである。
周囲が快活な人々だったこともあり、ぎこちないなりに調子を合わせ、楽しんでいた。

そのうち、何人かがまとめて冷酒をオーダーするのに私も便乗させてもらった。
出されたそれは『もっきり』スタイル。
枡の中にコップを入れ、わざと溢れるようについで供する、今じゃ珍しくも何ともないが、
当時はディープな立呑みのお店でしか見られなかったあれだ。

ううむ、こりゃどうやって飲めばよいのだ、と些か当惑した。
枡に零れた分を飲んでははしたないだろうか、けど、そのままにしとくのもナンだし…。
同じように冷酒が運ばれた隣人を真似ようにも、トイレなのか席を外している。
結局、ええい、どうでもいいや、とコップを脇へ取り出し、枡から直接飲んだ。

すると。
少し離れた席の、美男だがとっつきにくそうなんで特に言葉を交わさなかった男性が、
「へー、意外だなあ。
 女の子ってこういう場合、枡のほうは飲まないままでいるのが普通だと思ってた。
 
そうじゃなくても、コップのほうを少し減らした後、枡から移すとかね」
やたら驚いたように大きな声を上げる。
何だ何だと四方のテーブルからも注視を浴び、思わずかーっと赤面。
「わー、すみませんー、がさつなもので…」
すぐに笑ってごまかしたが、床を無理矢理掘削して入りたい、てな気分になった。

と、間髪を入れずそこへ、
「えー、○×さんこそ意外だわー」
Sさんの陽気な声。
まだ手を付けていなかった冷酒を自分も枡から直接クイッと空け、
「お酒は気を遣わずに飲むから美味しいのにー」

彼女の人柄ゆえか、ごもっとも、といった感じの温かい笑いが起こった。
当の○×さんさえ別に気を悪くした様子もなく笑っている。
Sさんは何事もなかったように再び周囲の人々と話を続け、私もへらへら元に戻り、
そのまま和やかなムードのうちにお開きとなった。

別れ際、挨拶に近寄ったら、
「おつかれさま、また今度一緒にゆっくり飲もうねー」
朗らかにそう答え、手を振ったSさん。

かっこいいとはこういう人のことを言うのだと思った若かりし頃のひとこまである。

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大学

私は、大学共通一次試験が始まった頃に当事者となっていた世代の人間である。
「賛否両論渦巻く中開始された時代の波に攫われ、辛酸を舐めた」
などと振り返ってみたいところだが…
どげんかせんといかん流行語大賞、と焦っている“だけ”で終わっちゃった。
いつの時代の波だろうが攫ってもくれない受験生だったわけだ。

結局、何とか合格できたところへ入ったのだが、大学なる場所は実に心地良かった。
好きな分野だけ学べるという、身勝手な私にはぴったりの環境だったからである。
「理数やんなくていいんだもん、いくらでも勉強に没頭できるじゃないか」
と、志望校落ちの劣等感もあっさり消えてんの。
この頃から自分に都合の悪いことはいとも簡単に忘れられる性格だったのだろう。

勉強に没頭などと言っても、勿論私的な便宜上使っているだけのこと。
勉強とは、現実と向き合い苦手科目を克服すべく努力を重ねた人のそれに使う言葉だ。
勉強ができない=文字通り“勉強をすること”ができない受験生だった私なんぞ、
たとえ大学で好きなことに打ち込んだからって、四草の九官鳥に
「オマエ ツカエヘン カエレ」
とつっ突かれるのがオチである。
大学で研究したことを今に活かしているわけでもないしなあ…実際がとこ。

ただ。
私が専攻したのは断言の許されないガクモンだった。
常に考え方のクセを見直し改めるという意識を持って当たらねばならなかったのは、
今思うとやっぱり役に立っているのかもしれない。
自分が偏屈だと知って人に対している偏屈者と、そうではない偏屈者だったら、
ちょっとは前者のがマシかなあ、程度に。


現在は、中高生にとって非常に大切な教えをネットで読めてしまうという有難い時代。
なのに、啓蒙されているのは過去を持つ親のほうだけ、てな家庭も多いのではないか。

息子よ、時間は平等に過ぎていくんだぞ。

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趣味

今年の鈴鹿8耐では、平忠彦が´87YZF750でデモランするとのこと。
嗚呼、感涙ものの懐かしさだ。
20年ほど前の平のかっこよさと言ったら!
まあ、ついでによみがえってくる若い頃のおのれはアホみたいなもんだが、
それでもやっぱ、甘いような苦いような、ちょっとキュンな気持ちになるわな。


つい先日、某掲示板にてある方が、
「趣味とは無駄なものという定義に対し同じ価値観を持つようになったため、
 
以降趣味は読書と書かなくなった」
と述べておられた。

私の場合、趣味は何かと訊かれたら、単に“好きなこと”程度の感覚で、
読書であると安直に答えてきたのだが、些か沈思させられた。
確かに私の読書は学びに至るものでなく、ささやかな愉しみでしかない。
この定義に沿って考えたにしろ、趣味として挙げてもおかしくはないだろう。
が、新語・片仮名語の意味を知ったり、語句の誤用に気付くことができたり、
明らかに益体もない行為=無駄=趣味とは言い切ってしまえぬ面もある。

じゃあ、何が純粋な趣味なんだ、となり、思い出したのがバイクだった。
これとても現在ではなく遠い昔の話なんだが、ほんの短い間ながら、
バイクに乗っていたいっときがある。
ツーリングをしたいとか、日常の交通手段として使う等の目的は何もなく、
ただバイクを走らせてみたいというだけの理由で二輪免許を取ったのだ。

ところが、愉快な日々も束の間、腸捻転(原因不明)で死にかかり、
術後も後遺症により入退院を繰り返すはめに。
結局、バイクどころではなくなり、泣く泣く高校時代の同級生に譲った。
無駄な自己満足がさらに際立った無駄な形をとり終わったわけで、
今振り返っても、これほど無駄なことはないと思う。
でも、とにかく嬉しかったな、バイク走らせてると。
何の役にも立たぬのに夢中になれる、これぞ趣味と言えようものだ。


そんなこんなで、平デモラン決定の報にも尚更しみじみしましたとさ。
とっぴんぱらりのぷう。

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