目が覚めたら、しぐれ模様の陰気臭ーい朝。 んでも、どっかへ行きたいねー、となり…。 お腹を冷やしちゃまだまずかろうというので、比較的温暖な伊勢志摩へ。 向かうにつれお天気もどんどん良くなっていくのがうれしい。 まずは鳥羽、石鏡の『西村食堂』を目指す。 新鮮な魚を豪快に食べられるってことで、ライダーにも人気のお店だ。 お腹を冷やしちゃ云々と言っときながら食い気優先、この矛盾は、ま、ほっとく。 師走のせいか遠来の客はおらず、賑やかに語らう地元の人達の間へ潜り込めた。 珍しく待たずに入れてラッキー! お願いしたのはお造り定食@2,500円也。 我々にとっては滅多に出せぬ金額だが、ウソー!な量・種類の魚介お造りの他に、 タレ和えのイカ、海老フライ、一寸とろろをあしらった鰺のなめろう、鰤のあら炊き等、 本来なら単品オーダー相当のおお!な皿が次々にサービスで出てくる。 いやもう、堪能どころの騒ぎではない。 パールロードで石鏡に来る少し手前には『中山養殖場』もあり、 「帰りにはここの焼牡蠣をおやつにしよーっと」 なーんてほくそ笑んでいたのだが、とんでもねえ。 何時間経ってもお腹が減らず、おやつはおろか晩御飯まで一人さみしく見送った。 ああ、早く元の大食おばばに戻りたい! 食い意地の話はさておき。 美味しいお魚をありがとう、と腹をさすりつつすぐ先の鳥羽展望台に寄ったら、 売店に漁師さんがいらしたので、カシワ手を打っといた。 何者や、みたいにまじまじと見上げていた坊やの背中もシブい。 一口飲めばたちどころに『兄弟船』を唸りたくなってしまうという銘酒も置いたりまっせ。 展望台から見渡した太平洋。 運が良ければ富士山も望めるそうだ。 この後、R260で志摩市の大王埼灯台へ。
離れて観たほうが美しいな。 灯台へ続く小道にある『東洋一』という気宇壮大な食堂。 かなり年季の入った“看板娘”が迎えてくれる。 これはな、むかあし昔、春川ますみにシビレた先々代がな… おっと、勝手に物語を作っちゃいかん。 灯台近くの波切漁港で静かに憩う船。 「♪ ふーゆーがー 来るまえーに もういちどー あの人と めーぐりあーいたいー」 それでも冬が来ちゃったら、みりん干しを食って新たなめぐりあいに備えるが吉。 (何だか唐突だが、人影少ない海辺を見ると、私ゃ不思議にこの歌を思い出す) ゆかしい蒲鉾屋さん。 小柄なおばあちゃまが置物のようにちょこんと座って店番してらした。 さて、名残惜しいがそろそろ行くべか。 帰りに通りがかった『赤福』二見店。 大戸を立て、ひっそり静まりかえっているのを実際に目の当たりにすると、複雑。 貸金業者のチン妙な広告看板。 いろんな意味でおいおい…。 神宮さんへはついで寄りでなくきちんと参拝しようということで、今回は見送り。 宮川橋を渡ると、こちらも老舗の『へんばや』が。 夕風に暖簾がはためいていてほっ。 地元では日常的に馴染んだ味としてこの『へんば餅』を挙げる人も案外多い。 (おとんは伊勢生まれ) 冬の日は見る見るうちにとっぷりと暮れ、この後はただ家路を急ぐ。 あー、楽しかった。
気持ちよい青空の広がった昨朝。お向かいの敷地でねこがカラスに因縁をつけられており、ふと布団干しの手を止めた。駅前の小規模な繁華街を少し離れるとすぐに田畑や里山が現れるような町なので、カラスも凶暴性はないが、ごみ収集日にはねことの小競り合いがちょくちょく見られる。数羽のカラスが遠巻きにガーガー威嚇する中、ねこはいつも平然としていて可笑しい。何だかいかにも面倒臭そうな“ちっ”という舌打ちが聞こえてきそうだ。若い頃。予定もないのにやたら早く目覚めた休日など、よく海辺の町へとふらり出かけた。三重県は志摩半島・大王崎灯台のある波切も、何度か訪ねた地だ。いったいに、ひなびた港町にはねこがつきもののようであり、またよく似合う。波切も同様で、石畳の続く細道、寺社の境内、昼下がりのとぼんと静まり返った漁港、行く先々でたくさんのねこたちに出会った。防波堤に腰掛けぼんやりしていても、どこからか一匹また一匹と姿を見せては、怖じもせず媚びもせず、まるで私が木や石であるかの如く気ままに振舞う。ねこがのびのび憩う町は、高齢化が進む町とも言えるのかもしれない。出向いた時刻も関係していようが、見かけるのはお年寄りばかり。が、そんな現実をよそに、私はひと切れの風景に溶け込んだ心地でねこたちを眺め、小さな旅の甘く気だるい愁いに浸っていたのだった。『志摩の猫』という味わい深い一冊がある。写真集の常で些か値は張るが、五百円玉貯金の中から六枚出そうかな、などと思う。
若い頃の趣味は一人旅、ポケット時刻表を片手によく出かけた。と言っても大して度胸のない奴(飛行機怖いし)、実家より見た近場を主に、せいぜい三、四泊がいいとこというナンチャッテぶりだったが、それなりのぬるいオトナ気分に浸ることはできた。ただ、ちょいと困るのが宿泊先で受ける“ワケありかな?”的視線。何しろふた昔ほども前の話、若い女の一人旅はまだまだ珍しかったのだ。二十四の秋、有給を取って向かった先は中山道奈良井宿。旅籠そのままのお気に宿でも、一斉の夕食時、そんな囁きが聞こえた。一目で大学生とわかる、男女各三、計六人のグループ。東京からやって来たゼミ仲間らしい。心中またかと苦笑しつつ素知らぬふりでもりもり大飯を食らっていたが、女の子の一人に「どちらからいらしたんですか?」懐っこい笑顔で訊ねられたのをきっかけにぽつりぽつりと会話が生まれ、結局、ところの地酒・杉の森をぐいぐい飲りつつ夜更けまで談笑。前年、奈良井⇔薮原間の衝立である鳥居峠を越えた際の思い出話をし、明日は再び辿ってみるつもりだと言ったことから、自分たちも一緒に、と、翌日も行動を共にする成り行きとなる。頭の良さが窺える上手い冗談を次々に飛ばす男の子たちと、少しも気取ったところのない爽やかな女の子たちに交じり、賑やかに山道を行く変なねえさん。些か奇妙な図ながらも、道中ずっと笑いっぱなしだった。彼らと別れた後、胸の中へひたひたと静かに満ちて来たもの寂しさ、それこそがちゃちな一人旅の醍醐味だったのかもしれない。その時限りの親しみに美点のみを触れ合わすことができるからだろうか、幾つかの旅先で言葉を交わした人々は、皆不思議なほど好人物であった。さて、結婚後は当然一人旅どころの騒ぎではなく、欲求自体薄れていった。この町に馴染むまで、どこか旅行者のような気分でいたせいもあろう。さほど遠くへ嫁に来たわけじゃないものの、美しい山並みが望まれ、言葉のアクセントも生まれ育ったところとははっきりと違うため、距離の割に“よその町感”があった。今じゃすっかり土地の者、言葉も近畿風に変わってしまったが、それでも不意に旅行鞄を提げているような錯覚を起こすことが間々ある。『忠臣学生服』 『千代田ミシン』 『ココノヱ酢』等の琺瑯看板を目にした時だ。何かしら甘酸っぱい気持ちになって、ちょっと鼻の奥がつんとする。
Author:きすけ ボンクラ主婦。関西言語圏の地方都市在住。のんきなおとん・生意気な高校生の息子と三人暮らし。どうでもいいことをちんたらと書いていきます。
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