このところ嬉しい再会が二つもあった。 お一方は、以前某掲示板にて活躍されていたりょうさん。 (勝手にお名前を挙げてすみません) 少し前にブログを始められ、 「わー、またあの鋭利且つ心底大笑いできる素晴らしい文が読める!」 と、喜びでいっぱいになった。 もうお一方もやはりネットの某所で活躍されていたある女性。 夕方、 「ありゃ、何やらリンクの影が…」 と気付き見てみたら、その方のお部屋へたどり着いて吃驚。 こういうお母さまと飲んだらとても満ち足りた時間を過ごせそうだ、なんて想像しつつも、 特にやりとりがあったわけではなく、こちらが秘かに親しみを感じていただけの淡い御縁。いつしかお姿を消してしまわれ、それっきりだった。 (いや、お姿を消してしまわれたってのは私の早とちりで、一寸した変更があった模様。 がっかりしてそこを見なくなったため、それっきりだったのである。 ちったあじっくり探しゃいいものを、ものぐさのツケはこういうところに回ってくる) 弓の遣い手さま、またお会いできて感激です。 が。 品も恥もあったもんじゃないくそばばあのブータレ日記ゆえ、まずいとお感じになったら、 かまわずちゃちゃっとマークを外して下さいね。 やっほーな出来事が続いたんで、宝くじも当たるかもしれん。 必ず三枚しか買わんドケチだが。
もう何年も前にどこかで拾った画像。 ひどく愛着を感じ、PCを替えた際にも捨てられず後生大事にとってあった。 この教科書の持ち主が文章の内容をとらえられたかどうかは不明だが、 久しぶりに見直して再び感動した。
先日またひとつトシをとったのに、真人間への道は遠い。
大昔、この兵六餅は何故か故郷のスーパーでも扱われていた。 必ずボンタンアメとペアで並んでおり、箱の大きさや形状がよく似ているためか、 キャラメルコーナーに置いてあったのだが、晴れがましいゴールインランナーのグリコ、 エンゼルマークの森永ミルクキャラメル、赤地に小花の明治クリームキャラメル等の横で、 裾をからげてケツを出し、刀の鯉口を切るおっさんの小箱は乱調の異彩を放っていた。 このおっさん、『大石兵六夢物語』という薩摩郷土文学の主人公らしい。 作者不詳の滑稽譚を天明年間に薩摩藩士・毛利正直という人が改作した話だそうで、 それに因み創られたお菓子なんだとか。 実際に食べてみれば、きなこと抹茶の風味が豊かでなかなかおいしい。 が、遠足に持って行けないお菓子ナンバーワンの座をついぞ譲ることはなかった。
時間になるとプロペラが外れ、ブンブン飛んでゆく→拾って本体にセットし直すまで、 しつこくアラーム音が鳴り続ける→否応なしに立ち上がる。 謳い文句ではそんなスグレモノなんだとか。 が、どこかへぶつかった後枕元に舞い戻り、何の苦もなく止めることができたらしい。 笑える。 昔はこういう無用の長物すれすれグッズばかりを専門に扱う会社が沢山あり、 漫画雑誌等に競って通販広告を出していた。 裏表紙の内側ページいっぱいに種々雑多な商品がびっしりと掲載されており、 『1・2の三四郎』を読んだ後、隅から隅までつぶさに見ていたものだ、物好きにも。 振り返ってみれば、私の知っている昭和ってずいぶん胡散臭い時代だったなあと思う。
糞ババアっぷり全開の寂れた自己満足ブログなんでアク解も滅多に見なかったんだが、 久々に開けてみたらここ数日いらして下さる方が増えており、『?』。 なんと、物凄い文章(陳腐ながら他に言いようがない)を書かれるある先生が、 リンクに加えて下さっていたのだった、どひゃー! 光栄どころの騒ぎではない。 祭りだ祭りだ祭りだマツリダ〜ゴッホ〜。 ただ、常に俗臭プンプン、下品な話が大好きなんで、御迷惑がかからないか心配だ。 チッ、てな折はどうぞ何のお気兼ねもなく外して下さいますよう…。
回し者ではないが、この寿がきや生タイプ味噌煮込みうどん、なかなかいけている。 袋記載の時間(3分)を守って麺を煮込めば名古屋風の芯有りちっくな仕上がり、 それが苦手な人は長めに煮込むとよいでしょう(何気に押し付けがましい口調だな)。 ちょっとくらい煮込み過ぎてもあまりぐたぐたにはならないので、ご心配なく。 我が家じゃ殆ど鍋の扱いで、2人前入り2袋を食卓で煮ながら食べることが多い。 鶏肉や油揚げの他、斜め切りにした葱、春菊、えのき茸等を適当にどさどさ投入し、 各自好みで生卵をといた器によそったり、とろろをかけたり、変な食べ方をしている。 茶色の水玉対策として三人共くたびれたジャージ姿でハフハフやってるから余計変。 何にせよ、とてもあったまる冬の定番だ。
卵スープ、肉もやし炒め、カニ玉、八宝菜、肉団子と白菜の煮物、炒飯その他、ほんのちょこっと隠し味に使うだけで、「おおー、中華しとるやんか!」な出来になる。オススメだす。
どでかいタヌキのやきものをシンボルにした陶園が通りに連なる町。中にはお店そのものがタヌキだったりするところも…。やけに親近感を覚えてしまうお姿でありますな。
グルメとは程遠いど庶民なので、食べ物に文句を言うことはあまりない。 しょっちゅう食卓に上る鰺の開きもスーパーに並んでいるもので十分、 ああ、ひものだなあ、と思いながらつついている。 それでも、秋刀魚の開きは新婚当時買ったきり手を出していなかった。 秋刀魚自体は旬になると頻繁に食べる大好物だが、あのじゅわーっとくる旨い脂が、 ひものになるとひねた臭いになって鼻に付き、どうも苦手なのだ。 二、三年前、久々に買ってみたがやはり駄目、おとんもぼうずも揃って残してしまう。 開いて広くし日に当てたというのにうちじゃ秋刀魚の開きは肩身の狭い日蔭者だった。 そんな印象をがらりと変えたのが、紀州は雑賀崎の秋刀魚の開き。 箱を開けた途端、姿からしてぴかぴかときれいなひものが現れ、わ、うまそー。 灰干しという製法だそうで、脂の臭味が全く感じられず、そのまま旨味になっている。 塩加減もほどよく、大根おろしを添え二枚も食べてしまったわい。 鰺の開きもあるが、スーパーの物とは格段の差、ああ、ひものだなあ、ではなく、 ああ、ひものっておいしいなあ、と思いながらどんどんつついた。 手のかかった品とは言え、目玉が飛び出るような値段ではないのがひものの良さ、 刺身以外の魚にはなーんだといった顔をしやがるぼうずでさえ積極的に食べるので、 送料も仕方ないであろう、冷凍しておけば日持ちするのも重宝だ。 興味のある方は『紀州 灰干し さんま』で検索してみて下さい。 味の好みくらい人それぞれなものもないんで保証はしませんが。
その夜。春に校長室で撮影した数枚の写真をあらためて文机に並べた。かつて金色に輝いていたであろう表装はまだらに剥げているものの、ぴんと背筋を伸ばしたかの如く端正な筆である。と、かなりぶれてしまい殆ど顧みなかった一枚がはらり畳に落ちた。ぞんざいに拾い上げて隅へ戻すと、「あれ?」向かって左側の枠にしみとも影ともつかぬ点のようなものが。作り話臭い流れだが、本当のことだから不思議だ。良く撮れた写真では何も見えない。翌日、小学校へすっ飛んで行った。お盆過ぎのしーんとした校庭で見回りをしていた校長先生をつかまえ、またもずかずかと校長室へ…普段は授業参観でさえどうも苦手なのに、一体この度胸はどこから出てくるんだろう、身勝手なだけか。驚いたことに、以前は雑然としていた棚の上がきれいに整頓され、扁額がすっきりと姿を現している。「ようわからんまんまで過ぎてしもて申し訳ないんですけど、 あれからえらい気になったもんで片付けときました」校長先生は首に巻いたタオルの端で汗を拭き拭きおっしゃった。その言葉に深く頭を下げ、折り畳み椅子の上に乗って扁額に向かう。ハンカチでそーっと枠をなでると、『 寄贈 ××××× 』当時の○△製薬御当主の名前がうっすらと記されていた。ああ、やっぱり…。それがわかって何になるかと言えば、何にもならない。土地の仁者の縁により、松本良順が揮毫を残したというだけの話だ。だが、片田舎の小さな尋常小学校のために筆を執る醇厚な人柄は、小説・伝記とぴたり重なり合うようで、胸が熱くなった。その額を眺める年寄りじみた子どもなどいやしなくても、その額は校長室の壁から見晴らしの良くなった窓の外を眺めるだろう。新学期になれば、校庭はまた子どもたちの賑やかな声でいっぱいになる。昨夕の帰り道、西日にたちのぼる草いきれの中で幻のように浮かんだ、良順先生の足あとが、ただただ慕わしかった。