ボンクラ主婦きすけの気ままな日記
腹腔鏡による軽い婦人科手術のため、ごく短期間更新を休みますです。
普段から気ままにやってんのにいちいちお知らせかい、てな苦笑もわきますが、
いちお、よろしく、ということで。
んじゃ、行ってきます。
名鉄パノラマカーが来年度中には全廃となるそうだ。
二十年以上乗っていないが、もう見られなくなってしまうと思うとやはりさみしい。
楽しい思い出を呼び覚ますこのミュージックホーンも赤い電車じゃなきゃピンと来ない。


 

昭和は遠くなりにけり。

このところ嬉しい再会が二つもあった。

お一方は、以前某掲示板にて活躍されていたりょうさん。
(
勝手にお名前を挙げてすみません)
少し前にブログを始められ、

「わー、またあの鋭利且つ心底大笑いできる素晴らしい文が読める!」
と、喜びでいっぱいになった。

もうお一方もやはりネットの某所で活躍されていたある女性。
夕方、
「ありゃ、何やらリンクの影が…」
と気付き見てみたら、その方のお部屋へたどり着いて吃驚。

こういうお母さまと飲んだらとても満ち足りた時間を過ごせそうだ、なんて想像しつつも、
特にやりとりがあったわけではなく、こちらが秘かに親しみを感じていただけの淡い御縁。いつしかお姿を消してしまわれ、それっきりだった。
(
いや、お姿を消してしまわれたってのは私の早とちりで、一寸した変更があった模様。
 
がっかりしてそこを見なくなったため、それっきりだったのである。
 
ちったあじっくり探しゃいいものを、ものぐさのツケはこういうところに回ってくる)

弓の遣い手さま、またお会いできて感激です。
が。
品も恥もあったもんじゃないくそばばあのブータレ日記ゆえ、まずいとお感じになったら、

かまわずちゃちゃっとマークを外して下さいね。


やっほーな出来事が続いたんで、宝くじも当たるかもしれん。
必ず三枚しか買わんドケチだが。

今年のセンバツ入場行進曲は、コブクロの『蕾』。
よくまあこのように“らしく”アレンジできるもんだなあ、と毎年感心させられる。
五年前の『大きな古時計』なんか、行進どころか初めから
「ぜんたーい、止まれ、イチ、ニ」
みたいな選曲ではないかと思ったが、違和感なくきっちりと仕上がっていた。

毎年変わる入場行進曲とは別に、ブラバンの応援曲は高揚をもたらすものが定番化、
チャンステーマなどプロ・アマを問わず用いられている曲も多い。
何にせよ、敗れた選手たちの涙に貰い泣きしたり、
「うわー、比嘉くんやん、また一段と男っぷりを上げて!」
と、指導者になって甲子園に帰ってきた沖縄尚学・比嘉公也監督の姿にじーんときたり、大会中の常として、昨日も様々な応援曲が頭の中で鳴り響いている状態だった。

が、夜になると一転。
W杯3次予選バーレーン戦は、ガーガーわめき続けてもおかしくない苛々展開なのに、
何故だかテンションが上がらない。
点を失ったときもカッカとくるよりポカーン。

原因はどうやらバーレーンの応援の音楽にあるよう。
何度も繰り返されるうち尻の下のホットカーペットが浮き上がるようなひょろろん感を覚え、どうも腹に力が入りきらないのだ。
あれで存分に盛り上がれるバーレーンの人々って…世界不思議発見である。
なお、イランの作り過ぎた豆腐を売り捌くぞ的なラッパ応援も妙な波動で調子を狂わす。
猫ギター先生のブログであまりにも素晴らしい若者に出会い、決して大袈裟でなく、
敬虔な思いでもって深く頭を垂れた。

で。
ぼうずをとっつかまえ、
「なあ、一年でこんなに勉強した人がおいでるんやで」
と、直接PC画面を見せた。

勉強関連の話題だと、普段ならいかにもうんざりといった顔をする。
が、今回は、
「凄いな」
と言ったきり、しばし黙って見つめていた。
それくらいインパクトの強い画像だったのだろう。

「今日な、ガッコの先生にも
 
『おまえの得手勝手な都合でやれることを限定すな』
 
て言われたわ」
珍しくそんなことをぽつり。
K君の問題集タワー、是非心に焼き付けてほしいものだ…。


先月に入ってすぐ腸の方がまたちょっとやばくなりかけ、それからあまり外に出ていない。週末、おとんの運転で食材の買い出しに連れて行って貰い、下拵えしてフリージング、
どうしても必要な生鮮物を徒歩五分の小さなスーパーへ買いに行く程度、てな毎日だ。
将来的にはバイパス手術という手もあるし、生来パーなんで全然暗くなれないんだが、
昨年取った資格に関し、学習したことを忘れぬよう疑似ソフトで練習している際など、
「これを活かせる日があるのだろうか」
ふとした空しさを覚えることもある。
でもさ、活かすも何も、やり続けなきゃ話にならんわな。

K君の問題集タワーにもう一度敬礼。

もう何年も前にどこかで拾った画像。
ひどく愛着を感じ、PCを替えた際にも捨てられず後生大事にとってあった。

さらば
 

この教科書の持ち主が文章の内容をとらえられたかどうかは不明だが、
久しぶりに見直して再び感動した。



先日またひとつトシをとったのに、真人間への道は遠い。

大河ドラマ『篤姫』はまずまずの滑り出し、世の評判も高いようだ。
今夜は佐々木すみ江さんに惚れ惚れした。
さすがはベテラン、黙っていても横顔だけで深い思いが伝わる。

と、感動した端からなんなんだが。
薩摩言葉を聞くと、どうしても思い出してしまう人がいる。
兵六さんだ。
兵六さん
(セイカ食品さんのHPより拝借)

大昔、この兵六餅は何故か故郷のスーパーでも扱われていた。
必ずボンタンアメとペアで並んでおり、箱の大きさや形状がよく似ているためか、
キャラメルコーナーに置いてあったのだが、晴れがましいゴールインランナーのグリコ、
エンゼルマークの森永ミルクキャラメル、赤地に小花の明治クリームキャラメル等の横で、 裾をからげてケツを出し、刀の鯉口を切るおっさんの小箱は乱調の異彩を放っていた。

このおっさん、『大石兵六夢物語』という薩摩郷土文学の主人公らしい。
作者不詳の滑稽譚を天明年間に薩摩藩士・毛利正直という人が改作した話だそうで、
それに因み創られたお菓子なんだとか。
実際に食べてみれば、きなこと抹茶の風味が豊かでなかなかおいしい。
が、遠足に持って行けないお菓子ナンバーワンの座をついぞ譲ることはなかった。

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私ゃ、
「♪ 見たか聞いたか伊勢の国ぃ 心うきうき噂の館ぁ その名も国際秘宝館〜」
と脊髄反射的に歌っちゃったりするが、波平が相好を崩したみたいなこのおやじの顔、
伊勢志摩方面に多少馴染みを持つ方ならば或いは見覚えがあるかもしれない。
懐かしくもとほほにうら寂しく色褪せた『元祖国際秘宝館』の広告看板である。

そこは私が小学生時代からあったとんでもなく怪しい珍スポット。
流石に行ったことはないが、冒頭のCMソングはよく耳にしていたし、このおやじを始め、色々なタイプの看板が伊勢近辺の国道沿いや線路沿いにうじゃうじゃ見られたものだ。
幼稚園の頃のぼうずなど、
「あっ、おじさんだー、わっ、またおじさんだー、きゃっ、またまたおじさんだー、…以下略」
延々と続く看板を、首を振り振り窓から追い続けた挙句、
「うえー、きもちわるなってきた」
…車酔いしてやんの。

しかし。
猥雑な昭和の遺物でしかなかったのか、平成に入ってのちは年々寂れていったようで、
昨年三月末、遂に閉館。
あれほど鬱陶しく並んでいた看板も綺麗さっぱり消えた。
私が確認した範囲に限れば、現在は伊勢市の宮川大橋北詰付近(撮影地)と、
池の浦付近の二地点にしか残存しない。
絶滅は間近、そのどうでもよさゆえの物哀しさを込め、ここに挙げておく。
朝、ぼうずの部屋から異様な音が。
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何かの景品で貰ってきた目覚まし時計だそう。
が、すぐに止み、またしーん。
「ちょっとっ、いつまで寝とんの!」
結局、常の如くダーンとドアを開け、起こさねばならなかった。

時間になるとプロペラが外れ、ブンブン飛んでゆく→拾って本体にセットし直すまで、
しつこくアラーム音が鳴り続ける→否応なしに立ち上がる。
謳い文句ではそんなスグレモノなんだとか。
が、どこかへぶつかった後枕元に舞い戻り、何の苦もなく止めることができたらしい。
笑える。


昔はこういう無用の長物すれすれグッズばかりを専門に扱う会社が沢山あり、
漫画雑誌等に競って通販広告を出していた。
裏表紙の内側ページいっぱいに種々雑多な商品がびっしりと掲載されており、
『1・2の三四郎』を読んだ後、隅から隅までつぶさに見ていたものだ、物好きにも。
振り返ってみれば、私の知っている昭和ってずいぶん胡散臭い時代だったなあと思う。

糞ババアっぷり全開の寂れた自己満足ブログなんでアク解も滅多に見なかったんだが、
久々に開けてみたらここ数日いらして下さる方が増えており、『?』。

なんと、物凄い文章(陳腐ながら他に言いようがない)を書かれるある先生が、
リンクに加えて下さっていたのだった、どひゃー!
光栄どころの騒ぎではない。
祭りだ祭りだ祭りだマツリダ〜ゴッホ〜。

ただ、常に俗臭プンプン、下品な話が大好きなんで、御迷惑がかからないか心配だ。
チッ、てな折はどうぞ何のお気兼ねもなく外して下さいますよう…。

味噌煮込みうどん

回し者ではないが、この寿がきや生タイプ味噌煮込みうどん、なかなかいけている。

袋記載の時間(3分)を守って麺を煮込めば名古屋風の芯有りちっくな仕上がり、
それが苦手な人は長めに煮込むとよいでしょう(何気に押し付けがましい口調だな)
ちょっとくらい煮込み過ぎてもあまりぐたぐたにはならないので、ご心配なく。

我が家じゃ殆ど鍋の扱いで、2人前入り2袋を食卓で煮ながら食べることが多い。
鶏肉や油揚げの他、斜め切りにした葱、春菊、えのき茸等を適当にどさどさ投入し、
各自好みで生卵をといた器によそったり、とろろをかけたり、変な食べ方をしている。
茶色の水玉対策として三人共くたびれたジャージ姿でハフハフやってるから余計変。

何にせよ、とてもあったまる冬の定番だ。

味覇
何を今さら…な人も多いでしょうが、『味覇』。


卵スープ、肉もやし炒め、カニ玉、八宝菜、肉団子と白菜の煮物、炒飯その他、

ほんのちょこっと隠し味に使うだけで、
「おおー、中華しとるやんか!」
な出来になる。

オススメだす。

どでかいタヌキのやきものをシンボルにした陶園が通りに連なる町。

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中にはお店そのものがタヌキだったりするところも…。

やけに親近感を覚えてしまうお姿でありますな。

グルメとは程遠いど庶民なので、食べ物に文句を言うことはあまりない。
しょっちゅう食卓に上る鰺の開きもスーパーに並んでいるもので十分、
ああ、ひものだなあ、と思いながらつついている。

それでも、秋刀魚の開きは新婚当時買ったきり手を出していなかった。
秋刀魚自体は旬になると頻繁に食べる大好物だが、あのじゅわーっとくる旨い脂が、
ひものになるとひねた臭いになって鼻に付き、どうも苦手なのだ。
二、三年前、久々に買ってみたがやはり駄目、おとんもぼうずも揃って残してしまう。
開いて広くし日に当てたというのにうちじゃ秋刀魚の開きは肩身の狭い日蔭者だった。

そんな印象をがらりと変えたのが、紀州は雑賀崎の秋刀魚の開き。
箱を開けた途端、姿からしてぴかぴかときれいなひものが現れ、わ、うまそー。

灰干しという製法だそうで、脂の臭味が全く感じられず、そのまま旨味になっている。
塩加減もほどよく、大根おろしを添え二枚も食べてしまったわい。
鰺の開きもあるが、スーパーの物とは格段の差、ああ、ひものだなあ、ではなく、
ああ、ひものっておいしいなあ、と思いながらどんどんつついた。

手のかかった品とは言え、目玉が飛び出るような値段ではないのがひものの良さ、
刺身以外の魚にはなーんだといった顔をしやがるぼうずでさえ積極的に食べるので、
送料も仕方ないであろう、冷凍しておけば日持ちするのも重宝だ。

興味のある方は『紀州 灰干し さんま』で検索してみて下さい。
味の好みくらい人それぞれなものもないんで保証はしませんが。

その夜。
春に校長室で撮影した数枚の写真をあらためて文机に並べた。
かつて金色に輝いていたであろう表装はまだらに剥げているものの、
ぴんと背筋を伸ばしたかの如く端正な筆である。

と、かなりぶれてしまい殆ど顧みなかった一枚がはらり畳に落ちた。
ぞんざいに拾い上げて隅へ戻すと、
「あれ?」
向かって左側の枠にしみとも影ともつかぬ点のようなものが。
作り話臭い流れだが、本当のことだから不思議だ。
良く撮れた写真では何も見えない。

翌日、小学校へすっ飛んで行った。
お盆過ぎのしーんとした校庭で見回りをしていた校長先生をつかまえ、
またもずかずかと校長室へ普段は授業参観でさえどうも苦手なのに、
一体この度胸はどこから出てくるんだろう、身勝手なだけか。

驚いたことに、以前は雑然としていた棚の上がきれいに整頓され、
扁額がすっきりと姿を現している。
「ようわからんまんまで過ぎてしもて申し訳ないんですけど、
 あれからえらい気になったもんで片付けときました」
校長先生は首に巻いたタオルの端で汗を拭き拭きおっしゃった。

その言葉に深く頭を下げ、折り畳み椅子の上に乗って扁額に向かう。
ハンカチでそーっと枠をなでると、
『 寄贈 ××××× 』
当時の○△製薬御当主の名前がうっすらと記されていた。
ああ、やっぱり

それがわかって何になるかと言えば、何にもならない。
土地の仁者の縁により、松本良順が揮毫を残したというだけの話だ。
だが、片田舎の小さな尋常小学校のために筆を執る醇厚な人柄は、
小説・伝記とぴたり重なり合うようで、胸が熱くなった。

その額を眺める年寄りじみた子どもなどいやしなくても、
その額は校長室の壁から見晴らしの良くなった窓の外を眺めるだろう。
新学期になれば、校庭はまた子どもたちの賑やかな声でいっぱいになる。

昨夕の帰り道、西日にたちのぼる草いきれの中で幻のように浮かんだ、
良順先生の足あとが、ただただ慕わしかった。

声をかけて下さったのは、創業者一族の奥さんだった。
例の如く子どもが夏休みの宿題で…”ともごもご事情を話したところ、
いともあっさりと工場の反対側にあるお邸の方へ案内して下さり、恐縮。

樹木の茂るそこには、地方財閥だった当事の空気がひっそりと沈んでいた。
昭和の戦火で甚大な被害を蒙ったものの、二条関白直筆の免許状を始め、
庭園の松を愛でに度々来遊したと言う貫名海屋が残した書幅、
十八代当主と親しかった東郷平八郎が手ずから刻し贈った円形の篆額、
近いものでは風雅な離れで三木武夫がしたためていった書額等々、
貴重な品々が邸内のあちこちに当たり前のような顔で溶け込んでいる。
場違いな母子はトボーンと呆気にとられるばかりだ。

奥さんは、明治・大正の頃の広告が一部残っていた筈、と書庫の鍵を開け、
コピー機にかけて惜しげもなく提供して下さったのだが、
特に目を惹く刷物=軽い会釈の形で向い合う正装の紳士淑女を中央に、
モダンな意匠を凝らしてある=を渡す際、さらりおっしゃった。
「これはね、今でも胃腸薬として少し処方を変えて作ってるんやけど、
 元々は性病の症状を抑える薬やったそうなんよ。
 明治の中頃、松本良順が滞在したとき、処方を伝えていかれたんやて」

「ひゃっ!!」
私は興奮のあまり素っ頓狂な声を上げてしまった。
「こちらは良順先生と親交があったんですかっ!」
「ええ、老境に入ってから何度か滞在されたようなことは聞いてます」
実は斯々然々と、小学校の校名額について話したところ、
「うちのつてで、というならご本人なんやろけど
残念ながらその事柄についての記録は残っていないそうだ。

あれやこれやお世話になり、お邸を後にした。
家へ帰る道すがら、
「良順先生があたしらの町に来たってだけで、おかあさんは嬉しいなあ」
「うん、もしかしたらこの道を歩いとったかもしれへんよ」
「前に市史・地方史やら産業史やら躍起になって調べたのに、
 良順先生とは掠りもせんかったわ。
 確証はないけどあの額は○△製薬さんのご縁で書かれたんやろね」
「そや、きっとここの子らがかしこなるようにて書いてくれたんやで」
まだ母親を喜ばせてやろうという可愛げがあった(ははは)子どもと、
そんなことを言い合い、西日に手をかざしつつ逃げ水を追うような心地で歩く。

数か月が過ぎ、盛夏となった。

クソ暑い中、さらに体感温度を上げるのが夏休みの自由研究である。
当地の小学校の課題は十年一日の如く『郷土について』。
「結構なこっちゃ、郷土を辞書で引いて書き写しときゃ一行で済む」
こちらも毎年同じ毒口を叩いたものだが、幅を持たせたつもりでも、
小学生にとってこれほどつかみどころのないお題はなかろう。

学校からの説明プリントに
「おうちのかたとよく話し合ってとりくみましょう」
ちゃっかりこう明記してあるのも何だか小面憎い。
要するに、親が手伝ってちゃんとやってね、ってことなのだ。

我が市には、酒・酢・味噌・醤油の醸造元や工芸品の製作所等、
小規模ながらも由緒ある老舗が点在している。
子どもと相談(殆ど誘導)した結果、それらを自らの足で訪ねて回り、
『ぼくの町の歴史あるお店』というテーマでまとめようぜ、となった。

ガキの宿題、断られるのもまた良い経験と、仰々しくアポなど取らず、
母子二人でいきなり飛び込む。
何日もかけて六軒ほど回ったが、傍迷惑な奴らであるにも関わらず、
「夏休みの宿題で云々
と神妙に頭を下げるだけで、勿体ないことにどちらも
「うわー、大変やねえ、うちでよかったら何でも見てってや」
「ボク、うちのことに興味持ってくれたんやー、おおきになあ」
などと、涙が出そうなほど温かく応じて下さった。
写真を撮るのもOKだし、質問が古い時代の事柄に及ぶと、
奥からステテコ姿のご隠居さんも登場、話に花が咲く。

皆さんのご親切は歴史への招待状でもあった、大袈裟でなくそう思う。
ごく普通のおじいさんの何気ない昔話が俵藤太・藤原秀郷に行き着き、
図書館等で調べてみると実際に裏づけが取れたりしてアラ吃驚。
途中で養子を迎えたため血筋は途絶えているかもしれぬそうだが、
普段何気なく前を通っているお店が元を辿れば俵藤太の子孫だったとは。
三上山の百足退治伝説が急にカラーで立ち上がってくるではないか。

さて、最後に私たちはとある和漢製薬所を訪ねた。
下調べによると創業は元亀元年、『姉川の合戦』があった年だ。
が、お店と言うより工場だし、しかも現在は創業者一族の手を離れ、
中堅商事会社に営業権を譲渡したと聞いている。

苦い匂いが濃く漂い、時折建物の窓に白衣・マスク姿の人々が映る。
とてもじゃないが汗臭いTシャツ姿の母子が立ち入る所ではなさそうだ。
子どもと顔を見合わせ、門の前で引き返しかけたところ、
「何か御用ですか?」
五十台半ばと思われる上品な女性に呼び止められた。

その柔らかな声が再び松本良順をゆかりある人へと結びつけたのだ。