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茅屋雑記帳

ボンクラ主婦きすけの気ままな日記

笑い

今日は消化器科のほうの診察日だった。
もう何年もお世話になっているが、温和で面倒見のいい先生。
入院時も毎日度々様子を見に来て下さるし、有難いことである。

血液検査の結果と照らし合わせ
「ああやっぱり乳腺外科の抗ホルモン剤の影響が出てるかなあ」
数値が軒並み悪かった。
「どういうわけか食欲もなくて…ムンクの『叫び』みたいな顔つきになってきました」
そう答えたところ、いつもは物静かな方なのに
「ブーッ」
いきなり噴かれてしまった、まあマスクしてらしたから唾は飛ばなかったけど。
「すみません、笑い事じゃないのに。
 そうですねえ、こちらのお薬を少し変えてみましょう」
きまり悪そうに通常の先生に戻った。

いえいえ、先生、私はうれしく思いましたよ。
こんな影の薄いインキー婆でも、まだ人さまを笑わせることができたんだなあ、って。

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晩秋

一昨朝。
診察日だったため久し振りに体重を測った。
吃驚した。
BMIで言うと15を切っている。
さすがにこれはあかん。

先生も胸の診察より先ず顔を見て
「ちゃんとしっかり栄養摂ってますか?」
うーん…摂れてないんだろうなあ。
何を口にしても美味しくないし、すぐ胃が重くなる。
抗ホルモン剤の副作用としてはあまり見られない症状ってか、一般的にはむしろ逆らしく、
慣れるまでに時間がかかる体質なのかもしれない、とおっしゃった。


ついでに。
残った右胸に二か所、それぞれごく小さな粒が三つくっついたようなものを見つけたので、
そのこともお話しした。
先生が触診する限りではほぼ心配ないそうだが、安心を得る為エコーはしときましょう、と。
左胸のとき、最新の造影MRI機で同時に右も検査した際は、異常無し。
が、リンパ節転移も無しという所見だったのに、手術時のセンチネルでは広がっていた。
きっとわかりにくい病なんだろうなあと思う、ある程度育っちまうまで。
まあとにかく受けて帰ってきた。


何にせよ、美味しいもん・好きなもんの豊富なこの時季。
こんなに食えんでどうすんねん、と、少し悲しくなる晩秋だ(笑)。

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ズッキーニ

食欲ねぇよぅーと嘆いたところでしゃあない、ましてや似非即身仏(笑)になるのも癪。
少しでも食べやすいものをと、今夜は水菜をお供の湯豆腐にした。
めっさ手抜きやけど、胃弱のおっさんも喜んでくれたし、まあええわな。

安かったため買ったズッキーニでついでにもう一品。
ズッキーニ好きなんだよね、ナスっぽいのにクセが無くて。

以下は覚え書き


【 ズッキーニのバター醤油ソテー 】

ズッキーニ 1本
バター 適宜

※ 醤油 小さじ1
おろしにんにく 適宜
砂糖 ひとつまみ

フライパンにバターを溶かし、5ミリくらいに輪切りしたズッキーニを入れて塩少々を振り、
両面軽く焼き色をつける。
※を加える。


やっぱりこれも手抜きな簡単さですな。

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骨どーすんだよw

昨晩、お風呂上りにパジャマのパンツの裾を膝までめくって足の爪を切っていたところ、
ちょうど帰宅した伜が一言。
「あんた、いったい何なんやその手首みたいな足首は、どんなふざけた仏か知らんけど、
まんま即身仏になってまうぞ」
先日も思ったが、野郎というのはどうしてこう厭味なものの言い方をするんやろ。
加えて直截でもあるし(笑)。


ホルモン抑制剤を服用するにあたり、現在の主治医の部長先生は、
「低体重のあなたには関係ないだろうが、薬の副作用でどんどん肥満する人もいます。
長年に亘る治療なので、その点はほんの少しだけ気に留めておいて下さい」
とのこと。
私はガリなのに何故かなっちゃったけど、乳癌の大敵は肥満だと言うしねえ。
また、リンパ浮腫外来の講師の先生からは、
「予防のためには太らないようにすることが最も大事です」
同時期にリンパ節郭清した各部癌患者を集めた場にてスライドでのそんな説明があった。


けれど。
なんか伜が指摘する通り、逆に羸痩の域に入ってきたような気もする。
いつまでも続く左上半身の痛みのせいなのか、或いはこれも一種の薬の副作用なのか、
私の場合、今んとこ一日中じわっとくる吐き気のため食欲がわかん。
本来食欲の過増進に悩む人が多いらしいものの、副作用の表れ方は個々に違うもんな。

骨粗鬆症を誘発することは、はっきりわかっている薬。
癌細胞の増殖を阻むため、謂わば強制的に老化を進めている側面もあるわけだし。
なのに、必要な栄養は摂れねぇわ、ろくに動けねぇわで、一寸困る。

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おやまあ

土曜の午後、『西郷どん』の再放送をぼんやり観つつ、
「ところで私の執刀医はどこへ行かはったんやろ・・・」
やはりぼんやり呟いていたら、休日なのにめっさ珍しく家にいた伜が背後から、
「今あんたの前にあるパーソナルコンピューターという文明の利器で検索すりゃええやん」
と。
いちいち厭味にめんどくせー物言いをしやがる、誰に似たんだ、私か(笑)。

ぼんやりしたまま検索してみたところ、おやまあ。
さすが文明の利器、いっぱい出てきた。
外科の各分野に亘る論文、学会での発表・講演etc.…。
現在は、某大学病院にて先進医療のプロジェクトチームに加わっておられるそう。
ついこないだ田舎のババアのお乳切ったばっかなのに、一体何なんだその転身は。


夕方、帰宅したおっさんと
「おとーさん、○○先生は、何か学術っぽいってか、研究者だったみたいやわ」
「ほぅ、どれどれ、なるほど、こりゃ、日程的にあんたがこの土地最後の執刀やな」
「臨床だけじゃなくて医学博士号取って上を目指ささはるんやろね」
そんなことを話した。


田舎のババアとしてはむっとするとこもあるけど(笑)、今後の御活躍を心よりお祈りする。

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かったりぃー

ホルモン療法と言っても、一日一回小さな錠剤を忘れず服用するだけである。
このお薬は骨粗鬆症を誘発するらしいので、頂いた日に予防用の点滴を受けた。
先生曰く、
「二、三日微熱や関節痛が出る場合がある点滴なので、解熱鎮痛剤も処方しときます」
だそう、しかし、微熱どころか…。
四日間、39度超の高熱が出て、次に解熱鎮痛剤を飲めるまでの6時間が辛かった。
関節は、全身に関節があるんだなあと知らしめられるくらいどこもズキズキ痛かった。

その後本格的にホルモン抑制剤を服用し始めて思ったのは、かったるさだ。
やったらかったりぃー、かったるくて機能しねぇ、頭も心も身体も。

しょっぱなからこんなことでどうしよう、だわな、でも、何を言っても詮無い話。
抗癌剤は迷いに迷った挙句受けぬと決めたが、根性ねぇんで正解だったかもしれん。
とにもかくにも、私は死ぬまでこの私と付き合っていくしかない。

いま現在になってようやく知った。
あんた、案外自己愛の強い者だったんだね、と。
だから、私はあんたに一生付き合ってやるよ、そう自分に言い聞かせている。

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告知を受けたときは、割と冷静だった、まあしゃあないわな、と。
入院・手術して片乳になり退院した後も、割と冷静だった、まあこんなもんなんやろな、と。


近く各種業者さんが入るマンション全体の一斉点検がある。
あらまあ、ではお部屋を片付けなければって、のろのろながら動いた。
動いたつもりだが、あんまり動けなかった。
身体が私の意思を拒否しているみたいに。

あらためて思った。
ああ、そうか、私は一応癌患者なのだなあ。

すごくやりきれん気持になった。
ずっと泣かなかったのに、おっさんの目の前で涙をこぼしてもた。
こぼされたひとの気持を考えもせず。


涙はやはり我慢せなあかんな、せめて明日まで。
できれば、それがうれし涙になるかもしれん明日まで。

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あたりまえのこと

七月、悪性腫瘍の診断結果をおっさんに話したとき、彼は、
「昔は告知自体が大ごとやったのに、今は当の本人から聞かされるんやな」
ぽつり言い、黙り込んだ。
「そんだけ医学が進歩したんじゃね? フツーの病気なんやわ」
と、答えつつ、言われてみればそうだなあと思った。
古いドラマを思い返すと、本人にどう伝えるかみたいな周囲の懊悩シーンがよくあった。
それがテーマになっていたのさえあったような。

入院して、手術して。
そういうことには慣れてるんで、まあしゃあないわなあ、だった。
ただ、病院のベッドであれやこれや考えもした。


私は、ずっと、死ぬのが怖かった。
幼い頃母親に何度も訊いた憶えがある。
「おかあさん、人は死んだらどうなるの? どこへ行くの?」
そんな阿呆な恐怖心を五十路になるまで胸のはじっこに隠し持っていた。


だけど、たまたまひとりだった日の四人部屋の病室で先の事をぼんやりと考えたとき、
死ぬのをさほど怖いと思わなくなっている自分に気付いた。
すごく不思議だった。



死ぬのはこの世に生まれてきた全ての人にとってあたりまえのこと。
この歳になってようやくながらわかったのが、私の生においての収穫なのかもしれん。

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先生

実は、一昨日最もショックを受けたのは…。
初めから面倒をみてくれはった主治医であり執刀医でもある先生がいなくなってしまう、
そのことだった、てか、一昨日が最後の外来診察だった。
市立病院なんで、お役所っぽく見辛い掲示板にそういう文書が貼ってあっただけ。
最終日の診察を受けるまで、私は知らんかった。

一昨日も、
「きすけさん、排液を穿刺してから創の盛り上がった部分を削ってきれいにします。
少し痛いかもしれませんが、遠慮なく言って下さいね」
「はい、お願い致します」
ってな感じで、いつも通りのやりとりだった。
ただ、今後の治療についてまだ迷いがあると話したとき、すごく困った顔をされたので、
変な気はした。
「次の診察予約は部長にお願いしますね。
でも、急いで決める必要はありませんよ、御自身のお気持ちが最も大事です。
できたら私も来ます」
余計変な気がした。
なんで部長先生なんだろう?
なんで“できたら”なんだろう?

先の事を決めかねてはいるけれど、いずれにせよホルモン療法だけは受けねばならん。
診察後、その療法のための検査があって移動するとき、偶々通りすがりに掲示板を見た。
『外科の○○医師転勤、最終の外来診察は9月13日になります』
えっ、何だねそれ?
先生、聞いてないよぅー?
でも、お医者さんとしては、よくあーる話じゃーないかー (by日吉ミミ またかいw)。
転勤となっていたが、実際は退職、新天地の病院で活躍されるのだろう。


入院中毎日見てたら、甥っ子よりちょっと年嵩だったものの、雰囲気はやはり似ていた。
何より、言葉の柔らかさで安心感を得られた(甥っ子は私に似ずそういうええ男やねん)。
優しい先生でよかったな。
阿呆なんであからさまにきっついことを言われた場合、質問とか何もできへんかったやろし。



何だかんだでしょぼくれていた私に、帰宅したおっさんが言った。
「旅行しよ、一泊でも、隣町でも、旅行は旅行や。
うまいもん食って力つけて、そっからまたやってこに」

うん、行く!
もう少し待っててな、創が治ったら是非とも。

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たぶん

「今は創を治すのが大事です、ゆっくり考えましょう」
先日の診察にて、いつもの優しい口調で先生はそう仰ったが、ちらり匂わせてらした。
先に抗癌剤治療→続いてホルモン療法という方針。
「抗癌剤治療については、あなたが80歳を超えていたなら当然お勧めしません。
ですが、きすけさんはまだ56歳なので…」


似たような言葉を、ずいぶん前にも聞いた憶えがある。
脳動脈瘤の手術をしたときだ。
「あなたが77歳なら経過観察とするが、47歳からそれを続けることの負担は過大」
結果、うまくいった、だから今もこうしてちゃらちゃらブログなど書いていられる。
当時だって既にトシくったな感は覚えていたけど、やはり若かったと思う。
自分の寿命ってことに対し、どこか緩衝物があるような鈍感さで以て決断できたから。


抗癌剤か…。
外見なんかはまあいいよ、はげになろうが、眉毛・睫毛が無くなろうが。
ただ、体内の健康な細胞まで殺しちまうその副作用に苦しむ人が身近に何人もいた。
その挙句、再発しちゃったなんて場合さえ。
私の身体はそれに耐えられるのかな。
今以上ゴロゴロ寝たり起きたりな生活になった時、私の気持ちはそれに耐えられるのかな。

実際がとこ、乳癌って、ほんとうは完治するわけじゃないもん。
出来場所にもよるが、切れば終わりでなく、事後いかに転移・再発を抑えてくかっつう病。
ゆえに、その人の生におけるのちの主題ってもの自体、変わってしまう気もする。
化学療法の副作用に耐えつつ体内の癌の芽と闘い、いけるところまで長生きするか。
または化学療法に頼らず、体内の進行無視でフツーに過ごし、転移・再発を容れるか。

前者を選択し、乗り越え、元気になる人も多い反面、効かずに亡くなった知人も。
後者を選択し、フツーに長生きした人もいそうだが、その比較には意味がない。
大体、化学療法がない時代に罹患した人だと選択すらできんわ、統計も残っとらんし。
昨今になり、自然療法に委ね若くして亡くなった人々のことが世の話題にも上るので、
注目されかけてきたに過ぎない。

その人の生におけるのちの主題ってもの自体、変わってしまう気もする、などと、
ついさっきやたらエラソーなことを書いてしまった。
けれど、自分の生の全うの仕方をどう考えるか、結局はその一点に尽きるのだろう。



たぶん、ホルモン療法のみでいくと思う。
元々の持病との関係上、それだってずっと継続できるかどうかはわからないが。

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痛い

台風21号のさなか、おっさんと共に予め決まっていた退院後初回受診へ。
クルマだと10分弱の距離なんだが、家々のひしゃげて倒れた柵、ぶっ飛んでいる看板、
あちこちに横たわる大きな木の枝や雨樋などを目にしての、なかなか怖い道中だった。
院内もガラガラ・・・人がいない・・・午後とはいえ、外来のあんな光景初めて見たぜよ。
先生はとても恐縮してらしたけど、別に先生のせいっちゃうわなあ。
御自身とてそんな日の勤務だったわけだし。

んでさ。
もっと言えば、手術に臨んで思いがけずリンパ節廓清となったのも先生のせいではない。
センチネルの結果が転移なのならしゃあないこった。
天災のように大きな事柄でなく、一人の患者の身体内にしたって、予測は難しいんだろう。
よくあーる話じゃーないかー (by日吉ミミ 知っとる人いてるんかいw)。

排液がしつけーんで、まずはまたぶっとい注射で抜いて頂く(2本分あった、うげ)。
この先の治療についてもほんの少しだけ触れておられたが、今はまだ創を治すのが大事、
もうちょっと状態が落ち着いてからにしましょうね、とのこと。
実際、左上半身が痛くて痛くてかなわんし、左腕などノルマの自己リハビリでさえ泣ける。
おまけに抜いて頂いた術創の排液かて数日経ったらすぐたまって腫れてきとるやん。
これ、今度の木曜の診察まで持つんかなあ。

まあ、病理の結果、色んな問題が待っていることだけはわかった。
けれど、毎日鎮痛剤に頼りうんうん唸っている現状、先のあれこれをじっくり考えようにも、
まともな判断なんぞできん。
てか、暗い感情しかわいてこやへん。

なので、今んとこはまだチンタラチンタラ不良ばばあのまんま過ごしている。

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半分、グロい。

九月になりましたな。
病室では殆どテレビを見てなかったんで、毎朝の時計代わりみたいな『半分、青い。』も、
プチ玉手箱的にえらく話が進んどったわ。



入院中、下半身だけシャワーOKとなって以後、看護師さんに毎日繰り返し訊かれた。
「胸が見えたらいけないので上着を脱がないままでいいよう整えましょうか?」
「Aのシャワー室には鏡がありますんで、Bのほうで予約しましょうか?」
何でも胸部の変わり果てた状態に衝撃を受ける人が多く、失神したケースもあるそうな。
乳房を取った患者さんの大半は、自分のそれを見るまでに時間がかかるとのこと。

私ゃその都度、
「あ、大丈夫です」
と答えてきた。
だって、術後すぐの回診で既に見えちゃったんだもん。
上半身を起こした姿勢、大抵は顔を背けるのかな、でも、頭はまだぼーっとしてたものの、
目でははっきり捉えてもうてん、胸帯と分厚いガーゼを外したそこを…はい、馬鹿ですな。
失神はせやへんかったけど、冗談でなく『半分、グロい。』と思ったわえ(笑)。
だが、早いうちに慣れられたのは、却って良かったんじゃないか、と。



何にせよ。
自分の事なんだからさあ、ひとつずつ、ひとつずつ、自分で落とし前をつけていかんとな。

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帰宅

いやー、13日朝イチ入院・午後手術と、出だしはタイトなスケジュールだったのに、
退院となるまでには思いの外ダラダラと長ぅかかりましたわえ。
入院日数は全摘出でも通常七日前後で済むらしいけど、そうは問屋が卸さんかった。

まあ残念ながら転移しちゃってたんで腋窩リンパ節廓清となったのも関係しているのか、
手術創からの排液がいつまでも減らぬ上、ガバッとメスを入れた傷口の治りも遅い。
ドレーンは感染症を引き起こすため二週間が限度、まだ目安より多い排液量なれど、
結局抜去、以後はシリンダーみたいなぶっとい注射による穿刺吸引で凌いだ。

四人部屋での生活、病状や術式の差こそあれ、乳癌患者用の病室だったようだが、
先の方だけでなく私より後に入った方が次々退院、入れ替わりの方も出て行かはる…
何やら牢の主みたいな気分になってもたわ。
さくらももこさんの訃報をラジオで聞いた日も、部屋は私一人のガラーンとした状態だった。


それでも、月跨ぎにならず本日退院できたんは有難いことだ。
やはり新しい月は新しい気持ちでスタートしたいものね。


乳癌は、発覚のときでなく手術後からが本当のはじまりというちょっと変な病気。
来週早々の退院後初受診で、実際はどうなるのかという詳しい病理の結果がわかる。
たいがい言い飽きた台詞だけれど、なるようにしかならんがなるようにはなる、わいな。
なるようになってきた、これからもそうやって生きてゆく、ただそれだけでござるよ。

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あほっちゃうか

先週受けた術前検査の結果は、肺活量がやや低いものの手術は予定通りでOK。
入院に際してのさまざまな書類に記入したり、各所で説明を聞いたりして帰ってきた。

術後受けるリハビリ担当の方からもお話があり、まず握力を測定したわけなのだが、
なんと右17・左15…あほっちゃうか。
そらこの頃ビンの蓋が開けにくいとか、鍋振りにときどき失敗とかするわけだ、と納得。
病気ばっかしてたんで、気付かぬところの筋力がえらく落ちとんのやなあ。
あたくし箸より重い物は持ったことがございませんの、などと言ってる場合じゃねぇぞ(笑)。


一般入院用品はある程度揃ってるし、寝間着やタオル類はレンタルで済ます。
ま、乳癌手術独特の不自由さをカバーする細々した物を土曜にでも買っとかねばな。

知らないうちに弱気になってんだろか、日が迫るにつれ胃痛が強くなり食欲もないけど、
このことこそあほっちゃうかである、ええトシこいてしっかりせんかい!
こんな私にだって励ましをくれはるひとびとがおいでるのに。

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いつもの床屋さん

何だかんだでバタバタといろんなことが決まり、手術まで一週間ほどしかないため、
お馴染みの床屋さんへ行って来た。
入院すると洗髪もままならんし、さっぱりしておきたい。

奥さんに理由を話し
「思いっきり短くして下さーい」
とお願いしたら、伜よか短くなった(笑)。
「私も長年理・美容師やっとるけど、きすけさんは頭の形がすごくええんやわ。
切り甲斐があったよ」
「あらぁ、うれしわぁ、また次も宜しくお願いします」
「はぁい、はよ元気になって存分に切らしてね」

奥さんのさりげないお心遣いがとても胸に沁みた。

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おっさんよ、すまぬ

うちのおっさんは神仏かと思うほど心の広いひとである。
考えてもみよ、誰がこんな迷惑な者と三十年近くも一緒にいられるかね?

手術日が決まり、伜にもきちんと話した。
奴は言った。
「あんた、おとうさんに感謝せえよ。
どんだけあんたのことを心配して、どんだけ落ち込んどるか」

うむ、わかっとる。
わかっとるのに、昨晩も要らんことを愚痴ってしまった。
「おとうさん、やっぱなんかめんどくさいわ、余計なことせずにもうずっと家にいてたい」
「あほなこと言うとったらあかん、治るもんは治せ。
ちゃんと俺がついとるで大丈夫や」
そんなやりとり。


なんなんやろな、このひとは。
すまぬどころではすまんな。

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左のお乳よ、すまぬ

術式が決まった。
左乳房全摘出。
造影MRIの結果を見る限りでは、リンパ節への転移は大丈夫そうとのことだが、
こればっかりはセンチネルリンパやら実際に手術やらしてみないとわからないため、
今の時点では何とも言えん。

通常、手術まで1~2か月待つのが当たり前である。
なのに、ちょうどお盆の時期の手術日程が一日だけポッカリ空いていたので、即決。
おっさんにも会社を休んでもらわず済むわけで、好都合である。

主治医の優しいクマさん先生は大変に丁寧な説明をして下さり、
「女性としては色々悩まれるでしょうから、そんなに早く決断しなくてもいいんですよ。
セカンドオピニオンに相談される方も沢山いらっしゃいます」
穏やかにおっしゃったが、私はまず、一緒に説明を聞きに来てくれたおっさんへ
「こちらでお世話になりましょう、何の不安もないし」
と言い、おっさんも
「そいでええんやな? わかった。
決めるのは本人です、先生、どうぞよろしくお願い致します」
ってな風に話はさっさとまとまった。

先生は乳房再建のことにも触れたが、もうこの歳である。
「無しでいきます」
はっきり答えた。
小さな物から大きな物まで(ヤンマーかい)、あちこちメスを入れてきたのだ、この身体は。
今さら整容だけのために余分なことなどしたくない。
第一、それは、私の生まれ持った乳房ではない。



未熟児だった伜のため、過剰なほどフルに活躍してくれたねえ。
おかげでミルクを買うことはなかった。
左のお乳よ、ほんとうにほんとうにありがとう。
そして、すまぬ。





http://kisuke234.blog102.fc2.com/blog-entry-406.html

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ここんとこエアコンつけっぱなし状態のせいか、眠りが浅い。
勿論、エアコン側にしてみれば、クッソ暑い中連日懸命に稼働してくれておるわけで、
有難いことこの上ないが、心地良さにおいては自然の涼風に勝るもんはないしの。


眠りが浅いと、よく夢を見る。
大抵は、子供の頃・若い頃の失敗に基づいた
「うわぁー、どうしようー」
なやつ。
プールで溺れかけたりとか、数学や物理で赤点取ったりとか。


だが、今朝方見た夢はちょっと違っていた。
私は大昔の相棒、スズキの小刀に乗り、酷道(国道)425を走っていた。
何故だろ
「よっしゃー」
とか叫んでいた気がする、てか、その自分の声で目ぇ覚めたんちゃうか(笑)。

懐かしい吊り橋、山奥独特の湿った森のにおい。
はっきり見、はっきり感じる不思議な夢だった。

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夏休み

【 ひまわり 夕立 蝉の声 】
とは吉田拓郎の『夏休み』だが。

皆、警戒しているのだろう、無気味なほど子供たちの声が聞こえない。
蝉の声のみ、ただただ耳に響いてくる夏休み。

今夏の猛暑が特別おかしいだけなのだと思いたい。

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続・変な感じ

今日は胸の造影MRIに行って来た。
定期検査で慣れっこになった頭部の単純MRIと違い、乳腺の場合うつ伏せ状態、
しかも後半には造影剤を静注したりと些か勝手が違う。
痛くも何ともないのに息苦しく変な感じで、終わった後しばらくぐったり。
技師さんが大変優しい方だっただけに申し訳なかった。

MRIは金気厳禁、ネイルアートやラメ入りのアイシャドウ、マスカラも駄目らしい。
私ゃ病院にはいつもすっぴんで行くし、大体普段から上記のようなお洒落心など皆無。
検査前のチェックでも見ればわかるんでささっと過ぎたが、
「あのぅ、刺青はなさってませんよね」
念には念を、で問われたときには、
「はい」
答えながらついぷっと噴いてしまった。

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嘉風

勝った。

なんやわからへんけど、涙がぽろぽろぽろぽろこぼれてきた。

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変な感じ

先日、乳癌確定となったわけなんだが。

めっさ変な感じなのである。
今までいろんな病に罹ってきた。
けれど、自分の手で触ることのできる腫瘍には遭遇したことがない。
しかも、それが悪性とかさぁ。


今夜もお風呂で問題のしこりに触れながら

「あんたが悪いやつなん?」
つい話しかけたりして。


暑さで食欲も減っているが、体力付けるために食べないとな。

「私はしっかり栄養摂るけど、あんたは大きくなったらあかんよ」
一応そう言っておいた()


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うーん

嘉風、さすがにもう限界なんだろうか。

ずいぶん前から左目も見えていない状況だったし。

大好きなお相撲さんが引退してしまうのって辛いな。


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やっぱりか

はい、悪性でございました。

「いいお話じゃなくてすみません」

先生は開口一番前回までの柔和な笑顔を消してそうおっしゃった。
が、私はたぶん終始顔色一つ変えず平然と説明に聞き入っていたと思う。
しこりに気付いたときから何となくそんな気がしていたせいかな。

これからMRI等もっと精密な検査を受けた後、術式や治療方針が決まる。
なるようにしかならんが、なるようにはなるであろう。

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さくらごはん

先日、給食にも出て静岡の人にはお馴染みだというさくらごはんというのを炊いてみた。

いや、実際に炊いてくれるのは炊飯器なんだが()

実にシンプルでさっぱりしてうれしいごはんだった。
冷めたのも十分美味しいし、このクソ暑な時季のお弁当にも適しているんじゃないかな。

どこで参考にしたか忘れちゃったけど、鉛筆書きのメモがあるので残しておこう。

 



さくらごはん


お米 1合

酒 大さじ1弱 

みりん 小さじ1

醤油 大さじ1

 

お米を研いで、時間があれば30分くらいザルに上げた後、炊飯器のお釜に入れる。

まず酒・みりん、次に全体に回しかけるように醤油を加える。

水を注ぎ、全体を軽く混ぜて平らになるようならしてスイッチオン。

炊き上がったら上下を返して蒸らす。

 

食すときにごまを振っても美味しいです。
梅干しも合いました。


主張は強くないけど美味しくて周りを引き立てる、とてもすてきなさくらごはんでした。

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めんどくさいもん

先月下旬。

お風呂で麦の唄など口ずさみながら身体を洗っていたら

「ん?」

手が止まった。
ガリ婆の小さくしぼんだ左お乳にコツンと何かが当たる。
湯気で曇る鏡を拭いてじっと見たらその脇に変なへこみもある。

「あ、こりゃちょっとあかんやつかもしれんな」

何となくそう思ったので、翌日、いつもかかっている市立病院へ行った。
昨今は紹介状無しでは診てくれはらん科も多いが、外科はまだ飛び込み可だ。
一口に外科と言っても診療範囲が幅広いのでかなり待たされるし、初診料は痛いものの、
そこんとこはまあしょうがない。

やはりえらく混んでいてかなりどころではなく待った。
が、その日は常よりさらに混んでいたらしく、別の曜日担当の先生も応援に駆けつけて、
無事診察に至る。
私を診てくれはったその応援の先生は、ちょうどうちの甥と同じくらいな年齢の方やろか。
口調も表情も物柔らかで温かい。
失礼ながら、お若くて優しいクマさんってな印象を受けてしまった(笑)。

大きな病院ってのは、生死を分ける病状の人優先なのが当然、今日は触診して終わり、
後日検査やろな、と思っていた。

が、触診後、

「きすけさん、今日お時間ありますか?」

温かな口調も表情も崩さすそう訊かはるんで、お時間たっぷりで働きの無いクソ婆は、

「はい」

と即答()

「またすごく待って頂くことになりますけど、今日中にマンモとエコー検査だけしますね」
「はい」
「私の診察は四日後なので、そのときいらして下さいね」
優しいクマさんの笑顔でおっしゃる()

「はい、よろしくお願い致します」

内心、びっくりした。
我が市にもわりと評判のいい乳腺外科のクリニックがあって、初めはそっちに行こうかな、

などと思っていたんだが、まずは検査までの予約を取るのが大変らしい。
飛び込みなのに、来たその日に検査って、すげーな、と思った。

お腹空いたけど()、持ってきた本を読んで暇を潰しつつ検査を受けて帰った。
マンモは痛いと聞いていたが、これまで別件であちこち鬱陶しい検査を受けてきたためか、

何とも思わなかった。


で、四日後。

やっぱり優しいクマさんな先生が検査画像を説明してくれはった。

「悪性の可能性があります」

ま、そやろな、と思った。
マンモの画像は後からしかわからないが、エコーは先回受けた際、しっかり見ていた。

エヘン虫みたいなイガイガしたのんが黒く映っていたんで、

「あ、こりゃちょっとあかんやつかもしれんな」

最初この掌に感じたことを反芻しているような感じ。


先生はこの日もまた同じことを訊かはった。

「きすけさん、今日お時間ありますか?」

「はい」

「また待って頂かなきゃいけませんが、吸引組織診をしようと思います」

私は、この日も、内心、びっくりした。
(
えっ、当日でもやるんかい)

「局所麻酔を使いますので、申し訳ありませんが同意書が」

「はい」
も、すっかり慣れてるんで、すぐに署名した。

検査と言っても手術扱いなんやねえ、呼ばれたとこも簡易ながら手術室やったし。
けどさ、やってもらえるもんならさっさとやってもうたほうがええわ。

先生に優しく声をかけてもうても、結構痛ぇなあ、とは思ったが、我慢できぬ程じゃない。

第一、その日のうちに行動して頂けるって、有難い。
ガーゼと絆創膏と包帯をぐるぐる巻き状態で家に帰った。

特に何ということもなかった。
ただ麻酔が切れた後は痛くて一寸出血もあったんで、おっさんには外食してもらった。


結果はこれから二週間後らしい。
長いなあとは思うけど、優しいクマさんな先生なんで、白黒灰いずれにしても大丈夫、
何とかやっていけると感じている。


 

私は生来めんどくさいことが嫌いなんだと自覚していたが、今回もやはりそうだった()

雨続きで鬱陶しいけど晴れたらまたK川で散歩しようと思う。

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散歩

例の如くまた体調崩して最低限の家事しかできないぐだぐだした日が続いていたけれど、
今朝は弁当作りもナシなのに早々と4時半頃起き(年寄は目覚めがはよおますねん())
しばらくぼーっと温かい麦茶など飲んだ後(年寄は急に動くと貧血起こしますねん())
何となくラジオ体操第一をやって、外へ出た。
散歩、である。



半月ほど前だったかな、着替えの際、割箸のような自分の脚を眺め、ぞっとした。
人さまに比べ身体を動かすことが極めて少ない生活。

こりゃきしょい、都こんぶの如く薄い筋肉が申し訳程度に骨の上にくっついてるだけで、
そのまた上に皮が張り付いおる、、恐らくそんな状態なのではあるまいか、と。

ちょうど天気の良い休日だったので、おっさんに付き添ってもらい散歩した。

メニエルや腸による突然の変調が不安でちょっとパニック障害に似た症状も呈してい、

いつしか独りで歩くことすら難儀になっていたのだ。

無理のないよう町内をゆっくりゆっくり20分くらい。
「なっさけないババアやな」

途中、呟いたら、

「歩こうという気持ちのどこが悪いねん、結構なことやんか」

にこり笑って返した。

ああ、このひとは、年齢こそ重ねても、出会った時からなんも変わってへん、と、思った。


以来、晴れた休日は、

「俺も内臓脂肪とか増えてそうやし、ちいと身体使わなあかんなぁ」

なんて、お気に入りのお店へ歩くのを意識しだしたのも何か面白いことである。

徒歩やったらビール飲めるしな、おっさん()




とにかく。
近頃は、えーい、倒れたら倒れた時のこと、そんなん気にしてたら一生家の中やん、

みたいに割り切って、強い雨でない限り独りでの散歩も行っている。

平日でも伜の営業の都合で弁当が要らない朝は、日の出を見て外に出、ゆるりゆるり。

近くのK川の大きな道路につながる橋から橋へ左岸・右岸の土手を一周すると約30分。

ちょうどよい距離だ。

余力があればもう一周といきたいところだが、まだまだあかんな。

途中にちっさな橋もあるんでそこで調整して帰る。

また、カモやカワセミ、蝶に会えるのも楽しい。

晴れた日に右岸をゆく時は、西の山脈の風景の清々しさにも心洗われる。
今日もそんな朝のひとときを過ごせた。

 

 


体調次第でまたどうなるかわからんが、どうなるかわからんその体調の向上の為にも、
散歩しようと思いまする。

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続・やりとり

その伜、翌五月一日は仕事だってんで、珍しく晩のうちに帰宅。

あたしら夫婦はちょうど『次代に残したい曲100選』だったかの懐メロ番組を観ており、

婆:「あーこの曲が流行ったときこんなことがあったねえ」

おっさん:「うむ、今思えばええ時代やったな」
それまではしんみり静かに過去を振り返っていたのだが、雰囲気一変。

奴がいるとどういうわけだかおとなしくしていた私のツッコミ癖が頭をもたげてしまうのだ。

 

神田川

【 ♪ 二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに 

いつも私が待たされた 洗い髪が芯まで冷えて 】
婆:「風呂屋の中で牛乳でも飲みながらぬくぬく待っとりゃええやん」

伜:「大体女のほうが長風呂やしな」

おっさん:「・・・」


あずさ2号

【 ♪ 明日私は旅に出ます あなたの知らない人とふたりで 】

【 ♪ こんな形で終わることしかできない私を許して下さい 】
伜:「勝手な話や」

婆:「なあ、ほんで次回はまたこのあなたの知らない人とやらとは違う男と旅に出るってか」

おっさん:「・・・」

 

【 ♪ 目を閉じて何も見えず 】

婆・伜:「当たり前やろ」

おっさん:「・・・」

 

 


結局、おっさんの

「あんたらが二人揃うと情緒もへったくれもあったもんやないわ」

という呟きと共に、夜は更けていったのであった。

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やりとり

ここんとこ毎日、もさーっとした顔で起きてくる伜と

「平尾はまだか」

「うむ、まだみたいや」

という変な朝の挨拶が続いていた。

なので昨日は第一報が入った直後つい

【平尾、広島市内で逮捕】

信越方面へツーリング中の奴にメール。

いつもの
【おい生きとるか?】

【気を付けて帰れ】
なメールは無視することも多いのに、

【まじか】

すぐ返信が来たので何だか笑ってしまった。

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集団

先の休日、何度も書いたがいつもの大好きな和食処へ。

おやっさんの急逝で代替わりとなり、すぐそばの商店街内へ移転後は、

「自分の目の行き届く範囲で」
という現大将の意思で、カウンターとテーブル四席、奥に十人余程の小上がり席のみ。

こじんまりした、しかし先代譲りの味と風情を残すお店となった。


が、先日は、暖簾をくぐり店内へ入って吃驚、テーブル・小上がり共満席でやたらざわざわ。
おっさんと二人、一寸まごまごしつつカウンターの隅っこに腰かけランチを頼んだものの、
女の人でいっぱい、落ち着かぬことこの上ない。
よくお会いする古くからの常連らしきおじさまがカウンターの定位置からあたしらを見て、
「今日は、ね」

小さく苦笑された。


多分私とぴったり同年くらいの方々ではないだろうか。
「たまにはこういうとこでの女子会もいいよねえ」

「○○ちゃん、相変わらずお肌きれいやん、どこの使うてんの?」

今さら何が女子や、とは思えど、そのくらいのワイワイガヤガヤだったら特にどうとも思わん。
おのれの性が女であることすら殆ど忘れている私よりうんとすてきだ。


でもさ。
結局、悪口になるんだよな。
今日来られなかった人のこと。
少し外側にいて呼ばなかった人のこと。
お酒が入るとそれが際限なく大声になり、耳の悪い私にもガンガン聴こえてくる。
この人ら、何で他人の事情をこんなに知っているんだろうと怖ろしくなる。
個々人としてはたぶん善良な方々なのであろう。
けれど、お酒を片手に語られる集団のそれは、醜い。

他人への嘲笑まで齎す集団の心のくすみは、どこの化粧品を使ったってきれいにならない。



自身にだって悪いとこはいっぱいあったやろ?

トシ食えばそんなことくらいわかるやろ?

それを、他人に押し付け、他人を槍玉に挙げ、溜飲を下げて、本当に楽しい集まりなのか?





ここは食後の珈琲も美味しく、カフェインを控えてる身にもたまの愉しみになってるんだが、

「おとーさん、もう珈琲いいから出よう」

「そうしよか」
ってことになった。





余談もええとこやけど、私は利き酒日本一に輝いた伯父を持つ酒屋の孫でもあるのだ。
愚痴なら仕方ない、が、悪口に花を咲かせる集団に飲ませる美味い酒などねえよ、とは思う。


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